”働かざるもの・・・” 違和感ない?
働かざるもの食うべからず、という言葉が日本にはある。
子供の頃からの教育や躾から「そうなんだな」とは思うが、なんか違和感を感じていた。
その言葉を、働かなくとも余裕で金持ちな者で全く働いておらずしかも権力がすごくある位置(一族など)に居る者に言うことができるだろうか?
日本人は相手を見る時に、相手の「付属品」を見ることに重きを置く。
よく言われる
「何を言ったか(内容)では無く、誰が言ったか、が重要なんだよ!」
日本人の資質をとても良く表している言葉だ。
この「誰」は、肩書やモブどもの評判など「付属品」の言葉だ。
人間を除く、まともな動物達のそれぞれの社会。そこには「付属品」は無い。
群れ社会であれば「リーダー資質」「強さ」
単独であれば、強さと能力
それを他者は見る。
今の人類の人間たちの多くは、「付属品」に惑わされ、本質を見ることが出来ないでいる。
また、日本人のように「付属品」に重きを置く(ほとんど)特殊な社会もある。
私は「あいつの本質はなになにだ」などと明確に言語にすることはうまくない。
感覚的なので、最初の出会いで全く逆の印象を保つことなどしょっちゅうだ。
が、
心の底から穢れている物体だけは無意識に拒否する。吐き気や頭痛や、一瞬相手の姿がおかしく見えたり。
で、そういうのが少ないところに居たい、と思うのはとても自然な気持ちだろう。
なので、今は今住んでいるところに居る。
犬より猫が好きなのも。
犬は飼い主に染まる。自身の意志に指針が決まっておらず、飼い主が居る場合、それによって決まる。もちろん、犬本人が決めた認めた飼い主でないと飼い主ではない。それは奴隷主みたいなものだ。
ペットに「働かざる・・」を言う者、押し付ける者はいるだろうか?居たら、周囲の者達は「そのとおりだ」と思うか?。そうは思わないだろう。
「自己責任」という言葉も、同様な位置に置かれている日本人社会。
これらを「どこがどう」と今回は書くつもりはない。
相変わらず「とてもわかりづらい」文で申し訳ないが、
”最初の7人”以外でも、なんとなくでも判る人がいたら、
今後共「うにまろ日記」をご贔屓に宜しくお願いいたします。
** 決して、結局文にまとめられなかったから↑としてごまかした!とか思ってはいけない!いけないんだよ?多分?、、、 優しさは必要だよね? **
おやすみまさい、今からシャワー浴びて寝ます!(夜勤or半夜勤なんでね=店番)