信仰と宗教、なぜ劣化の一途なのか?
信仰が先に生まれた。
自然発生だった。
人間が少し知恵を付け始めると、「理解できないもの」を畏怖し始めた。そして、その恐怖を治めるために、祈った。
人間がさらに知恵を付け始めると、「コントロールできないもの」を畏怖する方向になった。コントロールできる(と思い込んでいる)ものは畏怖の対象から外れた。
そして、
それ(信仰)を利用するようになった。最初は善意で。しかし、人間と言う種は業を持った種。悪意無き者は僅かにしかおらず例外。また、その業を抑え込むことが出来た特殊な者はさらにわずかでしかない。
宗教が、大きい宗教になればなるほど悪意を持って利用されるのはとても自然なことなのだ。
最初の信仰は自然に対する信仰。
太陽、水、など。その時代には信仰は宗教になどなっておらず、悪用されていなかった。
信仰が宗教に成り始めると、信仰対象が「ひとがた」が出始める。
わかりやすいだろう。誰が?、宗教に加わっていない者達がわかりやすいように、だ。
そしてその信仰内容も、人間社会のルールに沿った「当然あるべきもの」であった。とてもわかりやすかった。善人になるべくの宗教として、が、看板であった。
善人、それは人間社会が維持しやすいルールに則ったものを指すこもの。もしそのルール以上の高度なモノに行き着く者がいたとしても、それはルールから外れたものなので「異端視」され迫害・駆逐された。
そのルールを強制するもの、ルールを制定するものは、宗教(組織)であり、その構成員達(信者や信者以外でもルールを絶対視する者達)である。
さて、
神から創造神(?)に至るまでの階層をちょろっと述べてみよう。
これは支配とかではなく、その力の大きさ?と範囲によって述べられる。主な、一般的なものを述べていく。
まず小さい方から。
日本は信仰は特殊で、アミニズムも未だ生きている奇異な地域だ。それは信仰という観点から見ると、とても良いことだろう。後に述べるが、それを帳消しにしてしまうほどの反対ベクトル(*)も同時に存在しているので、さらに特異性は増す。
日本以外でも存在するが、
家や田畑など狭い地域に「居る」神。道祖神、馬頭観音、なにかの祠、などなど。いわゆる精霊級のものたちを対象に信仰がおこなわれている。タイの「ピー」など、中華系の土地神など、もある。
それから少し大きくなって、村などにある神社。土地神に相当する。日本の場合は水の神の場合が多い。
このように、アミニズム信仰は地域密着型の場合が多い。その地域地域で独立して祠や神社が維持されている。
最大の太陽神にしても、その国全体とはいかず、その中でのいくらかが信仰している、となる。
また、アミニズム信仰は「どれだけ多くの神様に祈っても良い」のだ。水の神に祈ると火の神が怒るので祈れない、など無い。
信者を独占しようという意思がない、のがアミニズム。なので利権にすることはとても難しい。つまり悪用には向かない。
中世までの欧州での信仰(除く支配層)は、アミニズムに近かった。神、を漠然とした存在とみていたから。
支配層などはキリスト教を自分の宗教とし、時流の流れにのっていた。が、実際に信じていたのは何だったのかは当人と近親者のみの知ることだろう。
アミニズムはこのようにでかい勢力に成りようが無いものだった。むしろ個人で祈りを捧げるものであり、祈る場所などさほどきにせずによかったものであった。
神社や祠は、その地域の神様に「捧げもの」をするときに、「その場所」が無いことが不便で、「神さまの居場所がない」など理屈を付けてつくられたのではないか?。もちろん地域の神に居場所は必要ない。
で、小さい方から大きなほうへ段々で大ざっくり書き連ねてみる。
気に宿ったり石に宿ったり台所の火の神など。
家や道祖神や田畑の神など。
村挙げて祀る神社など。
(ここまでが地域神)
名の通った神で分社があるようなもの。
(ここまでがアニミズムのみ)
人間が祀られた神(*1)
国全体の神
国を越える神
太陽神
ざっと書くとこんな感じ。
で重要なのが*。
これは、悪神・邪神を鎮めるために祀ったものが多い。呪いながら死なされた者達の呪いが残って、それを鎮めるために祀ったもの、が多い。そこまで呪われるなんて一体なにやったんだろう?的なものなのだがね。呪われてざまぁ!なんだけどね。
中には名君などを神に祭り上げ、死後も守って貰おうとかご利益貰おうとかいう魂胆が見えるモノも。
だが残念なことに、これらは殆どが神になっていない。なれていない。
もしなれるとしても、大概は人間時間で千年単位の時間後になるだろう。
日本では神話時代の者達の神が幾分いるくらい。
そして、それらはアミニズムの神達の中での大きなもの(太陽神とか)の下位になる。
もちろん、世界ででっかい宗教になってるものも同様。ただこれはどうだろ?もし「使い」や「聞こえる者」だとしたら、またなんか違うんかもしれんけどわからんし?。
ただ、イスラムは”ひとがた”の神を崇めていない。ここ重要。
人間には通常察知できないものが世には腐るほどある。大気だって少し前まで「存在している」と認識されなかったのだ。物質の最小のモノは分子だと言っていたのだ。光より速いものは存在できないと言っていたのだ。
(最低でも”万有引力”の原理を解明できて、やっと出発点に立てるというもの。引力が今のこの世の存在の原点。それが無いと今の物質はまず存在できない。)
で、続き、
太陽神よりもさらにさらに幾つも幾つも上位になり、創造神に至る。
形態は無い。物質でもない。あえて人間に判るように言えば、無、かも知れない。
イスラムが、どのへんの神を敬って祈っているのかは私は知らない。が、
アミニズム(自然に湧き起こった信仰形態)やムスリムのそれは「形がない」。
アミニズムのは土地を守る神(形は無い)、水を守る神(形はない)、太陽神(太陽自体を神としてるが、実際太陽を守る神=形がない)、と、無形だ。
本来の神となる。
創造神の小さなかけらたちが、アミニズムの神々、と言っても良いかも知れない。
で、
今ココ。
あれ?
「でも仏教でも天国地獄あるじゃん!」
「神道でも黄泉(死者の国)とかあるじゃん!」
と言うだろう。
仏教は「各自悟り開いてね!」という、人生修行だよ!っていう、宗教として見れば一風変わった宗教。最終的に病、老、死について、自分なりに悟り開いてね。という。その過程でヒント?として天国地獄を出したのだろう。考えていく上で、とても良い思考方法のヒントになる。
多分、神道は基本アミニズムなので、その基本を逸脱しない限り、黄泉の国の意図を読み取ることは可能だろう。今時そういう人いるかどうかわからんが。
「でもでもっつ!!神主や坊主におかしな力持ってるのたまーにいるじゃん!」
と言う者もいるだろう。
うん、その職業において、まともに修行を行い続けている者達じゃないかな?そういう人たちは。
大正時代に剣術でものすごく秀でた人が居て、関東大震災が来るのを当てたらしい。
彼も相当の修行をし、とてつもないある種の集中力を、壁を越えるまで行い続けたのだろう。
その壁を超えれば、どの職業でいてもそうなる。(職業無くても可w)
また、個体差はあります。かなり差がある。年月も掛けねばならない。
あと、
なんとかレコード、とか、、あかしっくだったっけ?があるが。あれもあながちデマカセともおもえない。
人間では信じられないほどの集中力を持った者が存在した、というのであれば、その「声(音声ではない)」が頻繁に聞こえたこともあるかも知れない。
(いちろーみたいに打者が打った瞬間に走り出すとか、犬なんか足元だろ?、勘以外ないよね?。あの集中力でも不足なのかねぇ、わからんが。(特殊例です))
人間はね、そういうところにおいて、野生の動物よりかなり下位なんだよ。何百も下。
「知恵の実」
この話を最初に出した者。これこそ最も祀られても良いくらい。
彼は「知恵」は両刃の剣、主に地雷が9割、だと判って言ったのではないか?。ただ、地雷の実、だと話は全く拡散されないだろう。なので「知恵」とした。
その知恵を阿呆な方向にばかり利用したので、人間の進化は無く、退化する一方でしかない。
なぜ人間だけ、他の生物と違うのか?(輪に入っていない)
なぜ肉体があるのか?
なぜ年齢があるのか?(なぜ誕生と老いを設定したのか?)
生き死にが在るものを生命体と呼ぶ。
なぜそれがあるのか?
宇宙の外には何が在るのか?
古代、地球は大きな平らなものだったと思われていた。現代科学では、宇宙に浮かぶ星だと、現代科学の検証の結果、そう断じた。多分、目に見えるものだけをみたらそうなるのだろう。
古代も同様、当時の目に見えるものは平地でしかなったから。
知恵は、そこらに使われるべきものなんだろう。
使われなかったからこそ、今現在、人類は破綻の危機に陥っている。(その事実を理解出来ないものばかりだら今ココなんだが)
退化というより劣化だな。劣化激しすぎてもう取り返しつかないとは思うが。
老婆心ながら、上記ヒントをあげておく。
(ちなみに学校のお勉強で集中力は付かない。むしろ斜め上に行くので、好きな科目だけ好きにばんばんやるにしとくが吉)