【妨害】
「こちら、ニードル1……了解した。ターゲットの狙撃態勢に入り、待機する」
通信機をかたわらに置いた男は、迷彩シートをかぶりながら、うつ伏せの姿勢になる。あらかじめセットしておいたスナイパーライフルを、手元に引き寄せる。
黒い防弾ジャケットに、軍用のゴーグルを装備した男は、この次元世界の人間ではない。セフィロト社の実働部隊……アンダーエージェントだ。
セフィロト社が紛れこませた参加者を競技会で優勝させるために、他のメンバーと協力して、有力な他の参加者を脱落させる任務を帯びている。
さきほどの導子通信は、レースの現状を伝えるものだ。最優先排除対象……通称『イレギュラー』が、もうすぐ、この崖の下を通る。
アンダーエージェントは、務めて呼吸を整えつつ、スナイパーライフルのスコープをのぞきもうとする。そのとき──
「むぐ……ッ!?」
男の眼前に、いきなり、左手のひらが現れる。手の腹の部分に、黒い肉球型の模様が浮かびあがっているのが見えた。手が、男の口をふさぐ。
「ん──! んん──ッ!!」
男は、とっさにもがき、口をふさぐ手を振りほどこうとする。離れない。力で負けているのではなく、まるで接着剤でくっついたかのように引きはがせない。
首の後ろに、冷たい鉄の肌触りが伝わる。肉と骨を裂く不快な触感と、鋭い痛みが遅れてやってくる。男の視界は暗転し、そのまま、絶命した。
迷彩柄のジャケットを身につけた狼耳の獣人──シルヴィアは、狙撃手の首筋に突き立てたコンバットナイフを引き抜く。
セフィロト社が、工作員を配置していることは、簡単に予想がつく。だからこそ、シルヴィアは障害を排除すべく、アサイラの別働隊として動いていた。
「……こちら、ニードル2。どうした、ニードル1。応答しろ……」
息絶えた男の横に転がる導子通信機が、コードネームをがなり立てる。獣人の娘は、通信機を手に取り、口元にあてる
「こちら、ニードル1。異常なし」
シルヴィアは、本来の持ち主に成り代わって、返答する。通信機の向こう側では、まだなにかわめいているが、かまわず崖の下へと投げ捨てる。
獣人の娘は、狼の耳をピンと立てて、意識を集中する。断崖の向こう側の台地から、かすかに聞こえてくる声を、鋭敏な聴覚が拾いあげる。
足元に転がるスナイパーライフルをつかむと、シルヴィアはひざ立ちの姿勢でスコープをのぞきこみ、声のした方角に銃口を向ける。
案の定、通信機に向かってわめくもう一人の狙撃手の姿が、照準器越しに見える。
シルヴィアは、肺腑のなかの空気を吐き出すと、スナイパーライフルのトリガーを引く。スコープの向こう側で、アンダーエージェントの頭が弾け飛んだ。
「グヌ……っ」
側近龍の背にひざを突き、背後の様子を見張るアサイラは、眉根にしわを寄せる。断崖の回廊の果てから、ぎらり、と輝くふたつの光点が見える。
ふたつの輝きが、徐々に大きさを増していく。距離を詰められている、ということだ。アリアーナの飛翔速度よりも、速い。
『アサイラさま、なにか……?』
乗り手の剣呑な気配に気がついた側近龍は、前を向いたまま、尋ねる。青年は、振り返ることなく、小さく首を振る。
「わからない……近づいてくる、なにかが」
アサイラは、前屈みになりながら、瞳を細め、後方を凝視する。陽射しを反射する金属質の光沢が見える。風切り音に混じって、つんざくような音が聞こえてくる。
接近する物体を、おぼろげながらも遠目に視認できたとき、青年は舌打ちする。
「……スティンガーミサイルかッ!」
『ミサ……なんですって?』
「戦闘機とか……まあ、ドラゴンみたいなデカブツを撃ち落とすために使う兵器だ」
『バリスタのようなものであれば、回避は容易なのですよ?』
「多分だが、かわしても追いかけてくる」
『なんと』
乗り手と龍が言葉を交わしているうちにも、飛翔体は、さらに近づいてくる。
アサイラの目には、推進剤を激しく燃焼させて宙を滑る二本の鉄杭の姿が、はっきりと視認できる。
ミサイルから発せられる耳障りな金切り音が、アリアーナの耳にも届いたのだろう。灰色の龍の背が、わずかに身震いする。
「……どうするか?」
『迎撃しましょう……アサイラさま、目測でかまいません。追いつかれるまでの秒を、数えてください』
「わかった……10、9、8……」
アサイラは、じりじりと相対距離を詰める金属光沢の円錐をにらみつける。アリアーナがタイミングを計りやすいよう、己の鼓動を基準にカウントダウンする。
「……5、4、3」
『くるっ、と──ッ!』
側近龍は、縦方向に回転する。アサイラは、龍のたてがみに、とっさにしがみつく。アリアーナの目と鼻の先に、技術の毒牙が迫る。
『──カアッ!!』
灰色のドラゴンの口から、まばゆい閃光がほとばしる。強大な魔力を帯びた光の吐息が、対空ミサイルを呑みこみ、飴細工のように溶解させる。
内部に仕込まれた炸薬が、空中に大きな爆炎を作り出す。側近龍は、翼を大きく羽ばたかせ、崩れかけたバランスを立て直す。
『どうにか、しのげましたか。しかし、いったいどこから……』
「わからない……ミサイルを担いだエージェントが途中に潜んでいたなら、俺か、アリアーナのどちらかが、気づいてもいいはずだが……グヌ?」
ひとつの危機をしのいで息つく間もなく、アサイラは新たな殺気を察知する。ドラゴンの背で身構えれば、アリアーナも気づき、顔をもたげる。
『どうやら、先ほどの攻撃は足止めが目的だったようですよ……』
側近龍のつぶやきを聞き、アサイラは周囲を睥睨する。断崖の狭間が広がり、大きな円形の空間が広がっている。さながら、闘技場のようだ。
龍の背で拳を握るアサイラは、攻撃を受けた方向に向き直る。ミサイルの爆発によって生じた濃煙の向こう側には、巨大な影が浮かびあがっていた。




