【疾駆】
「馬と一緒に逃げてくれれば、しとめやすかったんだがな、と」
ラルフは小声でつぶやくと、自らもドラゴンの背から草原に飛び降りる。ずしんっ、と重苦しい音を立てて、足下の土が大きくへこむ。
本社から命じられたミッションは、『イレギュラー』と呼称されるターゲットの排除。殺害ではなく生け捕りであれば、査定にボーナスがつく。
「だが、生還第一だ、と」
すでにターゲットは、同様の任務を帯びたエージェントを複数人、撃退している。ラルフは、最低限のミッション達成と自身の生存を優先する。
「おれは、そうやって生き残ってきた、と」
「……おまえ、セフィロト社のエージェントか?」
ぶつぶつと独り言を口にするラルフに対して、青年が問う。
「そのように認識してもらってかまわないぞ、と」
ターゲットは、それ以上の言葉を向けることはなく、徒手空拳をかまえる。限りなく自然体に近いが、隙はない。
しかし、互いの距離は、きっかり20メートルある。拳銃の間合いだ。
草原に轟音が響き、ラルフの左手の『対龍拳銃』が火を噴く。トリガーが引かれると同時に、青年も駆け出す。
銃弾は、命中しない。ターゲットは、ガゼルのごとき機敏な動きでジグザグに走り、ラルフとの間合いを詰める。
ラルフは、相手の方向転換にタイミングをあわせて銃弾を放つ。二発目の弾が、一発目同様に虚空を穿つ。
「速すぎるぞ……と」
そうつぶやきながらも、ラルフは汗粒ひとつ浮かべずに涼しい顔をしていた。
そもそも『対龍拳銃』は、その名の通りドラゴンのような大型生物に使うための携行武器だ。人間に使用するのは想定外。
そうでなくても、龍の革と鱗を貫く威力を追い求めた結果、弾道のブレが激しく、精密な射撃はとうてい不可能だ……通常であれば。
「だからこそ、『ドクター』はこいつをおれに持たせたのだな、と」
ラルフの武器は、『対龍拳銃』のみではない。
『重双義腕』。過去の任務で両腕を失ったラルフに、『ドクター』が与えた機械の腕だ。
ジェネレーターを内蔵し、それ単独で重機ほどのパワーを発揮するのみならず、熱源、振動、電磁波に対する精密センサーが組み込まれている。
得られた外部情報をAIが統合し、ラルフの戦闘行動を半自律的にサポートするのだ。
「そも『重双義腕』がなければ、『対龍拳銃』をまともに撃つこともかなわなかっただろうよ、と」
この短時間で、機械の腕のAIはターゲットの身体能力に対する補正計測を完了した。ラルフは、左の銃、最後の一発を放つ。炸裂音が、草原を震わせた。
「ぐぅ、グヌギギギ……ッ!」
ターゲットが、苦悶のうめき声とともにひざをつく。その右肩を銃弾がかすめ、大きくえぐり取っていた。
「なかなか、こいつは驚いた、と」
ラルフは涼しい顔をしながらも、内心で舌を巻いた。
「とっさに急所をそらすとは思わなかったし、右腕が吹き飛ばなかったのも予想外だ。おのれ、頑丈すぎるぞ、と」
青年の傷口からは、赤い鮮血のかわりにタールのようにどろりとしたどす黒い粘液があふれ出す。
闇色の液体は、無数の糸のように分かれ、伸び、結びあって、肉体の破損部位を修復しようとする。
「本社で確認した戦闘データどおりの能力。驚異的な再生速度だが、それでも完全に傷口がふさがるまでには、なかなかの時間がかかるんだろう、と」
青年は、額に脂汗を浮かべながら、苦痛に歪んだ顔でラルフをにらみつける。
ラルフは、撃ち尽くした左の拳銃を投げ捨て、右手の拳銃のグリップに左手を添える。確実にヘッドショットできる距離まで、慎重に間合いをつめていく。
「……さよならだ、と」
10メートルまで距離を詰めたラルフが両手で拳銃をかまえる、その瞬間──
<Alert>
『重双義腕』が、骨伝導で警告メッセージを伝える。左側から、高速かつ高質量の動体反応が接近。直撃すれば致命的ダメージの可能性。
「なにィ!?」
機械の双腕が、ラルフの身を守ろうと自律行動をとる。片腕では衝撃を受けきれないと判断し、両腕を交差したクロスガードの体勢をとる。
「グゥ……ううッ!!」
高層ビルの鉄筋を叩きつけられたかのような衝撃が、真横からラルフの身を貫く。スキンヘッドの巨漢はたたらを踏み、どうにか耐える。
双腕が角度を精密に算出し、衝撃を斜め上へと逃がす。ラルフは視界の端に、質量体の正体を見る。
「なかなか、どうして……生命力もトカゲ並か、と!!」
それは、殺したかと思っていたドラゴンの尾の一撃だった。ラルフとドラゴンの一対一であれば、無駄なあがきとなっただろう。
しかし、いま、ラルフの眼前にはイレギュラーがいる。
「……速い!!」
ターゲットである青年は、刹那の隙をついてスプリントし、ラルフのふところに踏み込んでいた。
「──ウラアッ!!」
イレギュラーは雄叫びをあげつつ、速度を乗せた右ストレートをラルフの正中線に叩きこむ。
「オグわ──ッ!?」
大砲を受け止めたかのような衝撃を受けて、そのまま、ラルフは後方へ30メートルほど吹っ飛ばされる。
草原の上に、仰向けに倒れ込み、即座に立ち上がろうとする。できない。
「……ぅげホッ!!」
排水口からあふれる汚水のように、ラルフは大量の吐血をする。身体が動かない。イレギュラーの拳で、心臓が破裂した。そう直感する。
ラルフは、まだ動く機械の腕で迷彩ジャケットの内ポケットをまさぐる。お守り代わりに仕込んでいた故郷の写真を取り出し、見る。
「戦って、生き延びて……戦って、生き延びて……いつかは、故郷に帰れるものだと思っていたが……なかなか、うまくは行かないものだな……と」
視界がかすむ。ターゲットが近づいてくる足音が、かろうじて聞こえてくる。ラルフは、まぶたを閉じた。
「もう一度……兄弟たちと……家の裏の小川で……釣りが、した、かっ、た」
黒髪の青年──アサイラ・ユーヘイは、セフィロト社のエージェントの腕が静止したのを確認して、自らの足を止めた。
振り返れば、巨大なドラゴンの屍体が転がっている。見開かれた瞳は濁り、すでに生命の輝きを失っていた。
アサイラは、馬の鳴き声を聞く。戦場から離れていた馬が、心配そうに戻ってきた。あの村の住人は、賢い騎馬をゆずってくれた。
馬は、アサイラの前を横切ると、龍の死体に対面した。馬は、龍に対して頭を垂れる。
村の住人の一人が、「この世界の生物は、すべからくドラゴンに敬意を払う」と言っていたことを、アサイラは思い出す。
アサイラは、ずきずきと痛む右肩を抑えながら馬のそばに歩み寄り、革製の水筒を手にすると水を飲む。
不快な血と硝煙の臭いを、草原の青い香りが消し飛ばしてくれるまで、アサイラはその場に立ち続ける。
やがて、ふたたび騎馬にまたがると、草原を駆け始める。アサイラの背を追いかけるように、風が大地を吹き抜けていった。




