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【決行】

「……ドラゴンライドというのも、たまには悪くないのだわ!」


 悠々と霞を切り、巨大な翼を広げ、『淫魔』を背に乗せたドラゴンが飛行する。


 力強い風圧が、頬をなでる。自分で飛ぶよりもはるかに速いスピードに、髪がはためき、『淫魔』は思わず頭部を手で抑える。


 くすんだ緑色のうろこを持つ巨躯の龍は、俗にレッサードラゴンと呼ばれる下位種だが、単純な膂力では人間に太刀打ちできる相手ではない。


 そういう意味では、岩山に巣くっていたドラゴンは、『淫魔』にとって都合のいい、手頃な強さを持つ相手だった。


 龍を誘惑し、肉の接触を持って支配下に置いた『淫魔』は、その背に乗って上空からオークどもを追っている。


 周囲には、このレッサードラゴンの眷族であるワイバーンたちが追従している。最寄りのワイバーンの一匹が、『淫魔』の臭いを気にする素振りを見せる。


「やめてほしいのだわ。私だって、気にしているのだから」


 鼻を鳴らすワイバーンに対して、『淫魔』は、しっしっ、と追い払うように手を振る。おそらく、ドレスに染みついたオークの精の臭気を怪訝に思ったのだろう。


 眼下では、杉の原生林が途切れ、葦の茂る湿地帯が広がり始める。


『淫魔』は、まぶたを閉じ、精神を集中して、先行しているであろう豚頭どもの精神とリンクを接続する。


「ヴヒ、ヴヒッ」


「ヴルヒッ」


『淫魔』の脳裏に、葦をかきわけて走るオークたちの視界が映し出される。互いに声がけしあう鼻音や、足下の泥の感覚まで伝わってくる。


 豚頭どもの思考を読むに、森のなかで見つけた足跡を追ってここまで来たようだ。


 その時点で、ターゲットの臭いを覚え、湿地帯に入ってからは嗅覚を頼りに追跡を続けている。


「うんうん。なかなか、優秀なのだわ」


『淫魔』の感覚では、飛翔するドラゴンよりやや前方をオークたちは走っている。自分の目を凝らしてみれば、確かに葦が大きく揺れているのが、見て取れる。


 ドラゴンの背から、『淫魔』はさらに前方へと視線を向ける。地形や植生などお構いなしに、葦をへし折りながら突き進む影がある。


「……アレだわ!」


 オークは野蛮で獰猛だが、それゆえに優秀な略奪者であることを『淫魔』はよく知っている。予想よりも早くターゲットを捉えていたのが、その証拠だ。


 豚頭どもは、身を屈め、背の高い葦原のなかに身を隠しながら、漆黒の獣を包囲するように動いていく。


 思っていたよりも、順調だ。このまま、オークたちに任せていいかもしれない──そう考えて、顔を上げた『淫魔』の視界に前方の地形が入ってくる。


 広大な湿地帯の向こうには、対岸と同じように杉の原生林が広がっている。かすみがかってよく見えないが、その手前、湿地帯と森の境界線に、集落が見える。


「エルフの村だわ……ッ!」


 龍の背のうえで、『淫魔』は思わず前のめりになる。エルフは、この次元世界(パラダイム)における主要な知的種族だ。


 高い知性を持ち、オークほど野蛮ではなく、ドラゴンほど凶暴でもないエルフたちは、『淫魔』にとってもよい交渉相手だ。


「……なにより、カワイイ娘が多いのだわ」


 ターゲットをこのままにすれば、一直線にエルフの集落へと突っこんでいく。そこにオークの群れまで乱入すれば、なにが起こるか、想像に難くない。


 ざらりとした龍のうろこをなでると、『淫魔』は拳を握りしめた。


「行きなさい……ッ!」


 精神のリンクを通じて、『淫魔』はオークの群れにゴーサインを送る。エルフの集落に到着する前、湿地帯の中央で決着をつける。


「ヴルヒアァァ!!」


 豚頭のリーダーが、雄叫びをあげ、略奪品と思しき錆びた鉄の大剣を振りあげる。頭目の咆哮を合図に、群れのオークたちが一斉に脚の速度を上げる。


 先行する無貌の怪物は、周囲の喧噪などお構いなしに疾走を続ける。その姿に疲労の色はなく、無尽蔵の体力をうちに秘めているかのようだ。


「──ヴラアッ!」


 漆黒の獣に対して、突然、葦の茂みのなかから槍が突き出される。完全な前進体勢のうえに、足元が泥にとられては、回避行動のとりようがない。


 長柄の穂先が、漆黒の獣のふくらはぎへと一直線に伸びる。一番槍を手にしたオークの口元が、サディスティックにゆがむ。


──べきゃ。


 鈍い音が、葦原に響く。鎧のように怪物の全身に巻きついた黒い剛毛を、豚頭の原始的な槍は貫通できず、それどころか傷ひとつつけられずにへし折れる。


「ヴルヒッ!?」


 うろたえるオークを前に、漆黒の獣は立ち止まり、向き直る。怪物は、槍だった棒きれをつかみ返す。


 豚頭は、腰みのに差した短剣を引き抜き、斬りかかろうとする。獣は、それよりも早く槍の柄を振り回し、豚頭の側頭部を殴打して、昏倒させる。


「ヴルウゥ!」


 無貌の怪物の背後から、また別のオークが飛び出す。両手で握りしめた斧を振りかぶり、後頭部めがけて刃を叩きつける。


 オークは確かな手応えを覚え、必殺を確信する。直後、漆黒の獣は何事もなかったかのように攻撃者のほうを振り返る。


「ヴ──!?」


 斧を手にした豚頭が後退しようとするよりも先に、怪物は相手の手首をつかむ。


──めきゃ、ごきゃ、ぼきゃ。


 骨がつぶれるいやな音を鳴らしながら、オークの右腕があらぬ方向へと曲がっていく。苦痛に顔をゆがめながら、豚頭の斧使いは泥のなかへと倒れ伏す。


 さらに、漆黒の獣は、葦の茂みに向かって右腕を振るう。


「ヴルーッ!?」


 葦の壁の向こうから、オークの鳴き声が響く。


 無貌の怪物の右手先からは、闇色の体毛鞭が伸びている。葦の茂みのなかで様子をうかがっていたオークの足元に、剛毛の先がからみつく。


 漆黒の獣は、腕を一振りする。葦原のなかから、オークの巨体が釣りあげられて、空中で一回転し、ふたたび葦の茂みなかへと突き落とされる。


「ヴラアッ!?」


 反対方向の葦原の奥に隠れていたもう一匹のオークの頭上に、空を舞う豚頭が落下する。避けることかなわず、二匹の巨体は衝突し、気絶する。


「──……」


 無貌の怪物は、口をつぐんだまま、次の追撃を待ち受ける。と、背後から、ぬう、と気配を消した巨体が現れる。


 獲物の背後をとったオークの群れの副官は、そのまま漆黒の獣を羽交い締めにする。


「……グヌッ」


 豚頭に対して、はじめて漆黒の獣がうめき声をこぼす。


「ヴラ、ヴラッ。ヴララアッ!」


 正面の葦の壁を押し開いて、錆びた鉄剣を引きずるオークの頭領が現れる。


 豚頭のリーダーは、刃こぼれして鉄棒のようになった大剣を振りあげる。副官は、羽交い締めにした獲物を、頭目に対してかかげあげる。


「ヴラッ! ヴラア! ブルアッ!!」


 オークの統率者は、無貌の怪物に対して錆びた鉄剣を鈍器のように何度も叩きつける。動きを封じられた漆黒の獣は、なされるままに殴打される。


「ブルヒヒヒ……ヒッ?」


 相手をいたぶる嗜虐心に満ちた副官のオークの下卑た笑い声が、突然、途絶える。


 無貌の怪物の肘鉄が、背後の豚頭のわき腹に深々と突き刺さっていた。羽交い締めがほどけ、オークの副官が泥のなかに倒れこむ。


「ヴララ、アッ!?」


 一瞬のすきを見せたオークの頭目に対して、漆黒の獣は足場の悪さをみじんも感じさせぬ踏みこみで間合いを詰める。


 怪物のひざと腰が沈みこみ、バネのように跳ね上がる運動エネルギーの乗った拳が、豚頭のリーダーのみぞおちを穿ちこむ。


「ヴケ、ヴルェ……ッ!!」


 オークの頭領は、悶絶しつつ三歩下がり、その場で胃の内容物を吐瀉すると、うつ伏せに倒れ伏す。ひときわ大きな泥のしぶきが、あたりに飛び散る。


「グヌウラアアァァァ──ッ!!」


 湿地帯に、漆黒の獣の怒気に満ちた咆哮が響きわたる。




「だけど! 足は止められたッ!!」


 ドラゴンの背のうえで立ち上がった『淫魔』が叫ぶ。


 オークは、苛烈な略奪者だ。しかし、それは一般的な知的種族に対しての話だ。あの規格外のモンスターに対して、決定打になるとは最初から思っていない。


『淫魔』は、周囲を羽ばたくワイバーンたちを睥睨する。


 人間並みかそれ以上の知性を持つドラゴンに対して、ワイバーンの精神構造はトカゲ並だ。それゆえ、『淫魔』にとっての精神支配も容易になる。


 簡易的な魅了であれば、一瞥するだけで十分だった。


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