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【解錠】

「ヌあ……っ!?」


 間抜けな声を上げながら、アサイラは空間に放り出される。円形状で、中央に天蓋付きのベッドが置かれた『淫魔』の部屋だ。


 アサイラたちを転送した『扉』は、相変わらずノイズまみれで、床と斜め向きになるような位置で空中に浮かんでいる。


「あー、ひどい目にあったのだわ」


『扉』の内から身軽に着地した『淫魔』は、じゅうたんのうえに転がるアサイラを横切り、ソファに背中を沈ませる。


「その娘をバスルームに連れてって、洗ってあげて。ついでに、あなた自身も」


「おまえがやれよ。クソ淫魔。俺の右腕は、ちぎれかけているんだぞ」


「どうせ、二、三日で元通りになるでしょ?」


 よろよろと立ち上がるアサイラの右腕を、『淫魔』は指さす。


 ひしゃげた腕は、アサイラの体内から分泌した黒い粘液におおわれ、闇色の分泌物は幾本もの繊維状となり、巻き付き、いまやギプスのように固定している。


「あなたの再生能力、シフターズ・エフェクトだとしても、本当に異常だわ。ドラゴンだって、そんな速度で再生したりはしない……」


『淫魔』は、ソファのうえに身を投げ出したまま、静かに寝息を立て始める。アサイラはため息をつき、自分の横に力なく転がる女エージェントに目を向ける。


「おい、おまえ。立てるか?」


 返事はない。アサイラは、二度目のため息をつき、獣耳の女性を担ぎ上げる。気絶しているわけではないが、女の瞳は虚ろで、意志の光を感じさせない。


 脱力しきった肉体は、必要以上に重く感じさせられる。


 アサイラは、片腕で難儀しながら、バスルームへと向かう。脱衣所で、虜囚の女エージェントを、いったん床に降ろす。


「本当は、クソ淫魔がやるべきなんだろうがな。あの気まぐれ女だ。あきらめろ」


 アサイラは、ひざをつき、獣耳女の上半身を起こす。インナーレオタードの背面に、チャックを見つけ、それを降ろす。


「う……ッ!?」


 女エージェントの背中を見たアサイラは、思わず息を呑む。


 そこには、無数の惨たらしい傷跡が刻みこまれていた。弾痕や斬撃のような、戦闘でついた跡には見えない。


 堅い棒か、あるいは鞭のようなもので何度もたたかれたような、裂傷の痕跡だ。


 拷問でも受けた経験があるのだろうか。だが、あれほど手練れの女エージェントが、そんなおくれをとるだろうか。


「……グルルルウッ!!」


 突然、獣耳女が振り返ると、犬歯をむき出しにし、アサイラの喉元に喰つこうとする。アサイラは、間一髪で回避する。


「あう……ッ!?」


 すでに戦う力を使い尽くしている女エージェントは、バランスを崩して、そのまま床に倒れこむ。それでも、顔を上げ、目を血走らせてアサイラをにらみつける。


「おい、無理をするな! 死ぬぞ!?」


「見るな……見るな見るな、見るなああぁぁぁ──ッ!!」


 獣耳女が、狂乱したかのようにわめき立てる。死にかけの狂犬のごとく牙をむき、アサイラは近づくことができない。


「ビイィ! クワイエット!!」


 手をこまねくアサイラの背後で、絶叫が響く。脱衣所の入り口には、家主である『淫魔』の姿があった。


「なに大騒ぎしているの! うたた寝もろくにできないのだわ!!」


『淫魔』は叱責しながら、脱衣所のなかに入ってくる。手狭になった空間で、装飾過剰なゴシックロリータドレスを脱ぎはじめる。


「あと、私もお風呂に入るのだわ! いやな臭いが、髪に染みついてる!!」


 唖然とするアサイラをしり目に、『淫魔』は黒いレース生地の下着姿となる。


 四つん這いとなって、未だ野獣のごときうなり声をあげる女エージェントの背を、『淫魔』は見て、目を細める。


「──虐待の跡だわ」


 ぼそり、と『淫魔』はつぶやく。


「あああアアアァァァ──ッ!!」


 獣耳の女は、咆哮する。全身に打ち込まれた重症の負傷が悲鳴を上げるのもかまわず、狂乱し、激しく暴れ出す。


「アサイラ! ちょっと、この娘を取りおさえて!!」


「……どこまで人使いが荒いんだか」


 アサイラは、女エージェントの側面に回り込み、右肩から体当たりをする。相手の体勢を崩したところに、左腕一本で不完全なアームロックを極める。


「う、うゥ……ッ!」


「……ごめんなさいだわ」


 なおも苦しげにうめき続ける獣耳女の両頬を、淫魔は白く長い指でそっと触れる。深紅の肉厚な唇が、ねっとりと女同士の接吻を交わす。


「あぁ……んッ」


 艶めかしいうめき声をあげて、女エージェントの瞳は陶酔に濁り、全身が脱力する。アサイラが拘束をほどくと、獣耳女はへなへなとその場に腰をつく。


「どうするんだ、クソ淫魔?」


「思ったより、この娘、ワケアリだわ。早々に処置してあげたほうが、いいかも……アサイラ、もう一仕事だわ」


「やれやれ、だ」


 アサイラは、額を手でおさえながら、嘆息をもらした。




 シルヴィアの意識は、薄暗く、湿って、かび臭い牢獄のなかにいた。四肢は鎖につながれて、自由を制限されている。


 拘束された獣人の目の前、牢屋の中央には鍵が転がっている。腕と脚をつなぎ止める鎖をはずすための鍵だ。


 身じろぎするたびに、じゃらりと音を立てる鎖は長く、ある程度の身動きはとれたが、あと少しのところで鍵にまでは手を届かない。


 幼いころのシルヴィアは、この鍵をつかみ取ろうと必死にもがいた。成長するに連れ、抵抗は弱くなり、いまや、手を伸ばそうとすら思わなくなった。


「ここが、あなたの内的世界<インナーパラダイム>ね」


 まったく予期していない第三者の声が、石壁に響く。シルヴィアは、思わず顔をあげ、鉄格子の向こう側に目を向ける。


「ずいぶんとガッチガチに心を閉ざしているから、ここまで潜りこむのに苦労したのだわ。大変なことは、立て続けに起こるものね」


 闇に溶けこむような、紫色のゴシックロリータドレスに身を包んだ女が、鉄格子を挟んで立っている。右手には、複数の鍵を束た鉄製のリングが握られていた。


 女は、鍵のひとつを使って、鉄格子の扉を開くと、シルヴィアの牢のなかに踏み入ってくる。


 造作もなく床に転がった鍵を拾い上げると、鎖につながれた獣人娘の間合いに近づいてくる。


「グルルウウゥゥ……」


 シルヴィアは、思わず獣のうめき声をもらす。ゴシックロリータの女は、動じる様子もなく、狼耳の娘のすぐ前に立つ。


「暴れない、暴れない。すぐに終わるのだわ」


 女は、シルヴィアの四肢を封じる枷に鍵を差しこみ、手早く解錠していく。


 十数年に渡って自由を奪っていた鎖は、驚くほどあっさりと狼耳の娘の四肢から離れていった。


「はい、終わり。これで、あなたは自由なのだわ。シルヴィア」


 ゴシックロリータドレスの女はそう言い残すと、手を振りながら、牢獄から出て行く。そこで、シルヴィアの意識は途絶えた。


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