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【猟犬】

 巨大な円筒状の空間だった。


 十分な照明が確保されているにも関わらず、上を見ても天井は霞の果てに溶けこんで視認できず、下を見でも穴の底は闇の向こう側に隠されている。


 セフィロト本社の『ダストシュート』。巨獣のごとくうごめく経済活動の末に産み出された大量の廃棄物を、ただ投棄するための施設だ。


 円筒空間には一本橋がかかり、そのうえにはふたつの人影がある。


「……以上が、ミッションの詳細になります」


 人影の片方、灰色のスーツに身を包んだ一般社員と思しき男が、緊張した面持ちでタブレットデバイスの情報を読み上げ終える。


「了解だ。事前に確認したとおりだな」


 もうひとつの人影が、くぐもった声でぶっきらぼうに返事をする。


 漆黒のコンバートスーツに、フルフェイス型のガスマスクを装着し、バイザー越しにその表情をうかがうことはできない。


 顔の見えないセフィロト・エージェントは、ガスマスクの具合をあらためたあと、その他の装備をひとつずつ確認しはじめる。


 アサルトライフルと予備弾倉、銃身の下部にアタッチメントされたグレネードランチャー、コンバットスーツの左右に格納された軍用ナイフ。


 戦場に赴く兵士──それも、最前線か特殊部隊を思わせる重装備だ。


「ふむ。これから出陣かね? ご苦労なことだ」


 ダストシュートの円筒壁面に、第三の男の声が反響する。


 顔の見えないエージェントが、声のした方向に顔を向ける。ガスマスクの下で、ちっ、と聞こえないように舌打ちする。


 底なし穴にかかった一本橋の付け根の扉から入ってきたのは、シルクハットに燕尾服、ステッキを手にした男だった。


 胸元には、金色のネームプレート──セフィロト社の上級幹部、スーパーエージェントであることを示す証が輝きを放っている。


「……『伯爵』」


 顔の見えないエージェントは、シルクハットの男のふたつ名をつぶやく。


 かたわらの一般社員は、ただでさえ直立した姿勢をさらに正そうとし、のけぞったような格好となる。


「なんのようだ」


 顔の見えないエージェントが、ぶっきらぼうに言う。『伯爵』は、自慢の髭を人差し指でなでる。


「いや、ちょうど我輩のミッションが完了したところでね。せっかくだから、貴公の様子を見に来たのだよ」


『伯爵』は、コンバットスーツのエージェントに向かって歩み寄り、一本橋の下の底なし穴を覗きこむ。


「ふむ。次元転移ゲートは使わないのかね? なにも、こんな危険な移動手段を使うこともあるまい」


 顔の見えないエージェントは、ガスマスクのなかでため息をつく。


「それに、アンダーエージェントの同伴もなしかね。なんなら、ノーマルエージェントを動員してもかまうまい」


「こちらの任務を、どうこなそうと勝手だ。なぜ、余計な口出しをする」


「我輩は、お節介なのだよ」


『伯爵』は、シルクハットのふちを指で傾け、目元を隠す。その口角がつり上がる。


「いや、なに。同僚のよしみ、というやつだよ。数えるほどしかいないスーパーエージェントを失うとなれば、我が社にとって手痛い損失だろう」


 コンバットスーツのエージェントは、ふたたびガスマスクの内側で舌打ちをする。


「……行きに次元転移ゲートを使わないのは、イレギュラーに逆利用されて、逃げられる可能性を排除するためだ。帰りは、使う」


「ふむ」


「他のエージェントを同伴しないのは、極限環境ではかえって足手まといとなるからだ。この説明で満足か、『伯爵』?」


「ふむ。貴公が強情であることは、よくわかったよ」


『伯爵』は、自慢の髭を親指と人差し指でつまんでみせる。


「ふん」


 顔の見えないエージェントは、ガスマスクの下からでもわかるようにわざとらしく、鼻を鳴らした。


「とりあえず、ここから、貴公の出撃を見送らせてもらうよ」


「どこまでもお節介な男だな、『伯爵』」


「スーパーエージェント同士、貴公を心配しているのだがね。なんなら、我輩が手伝ってもかまわないが?」


「余計な気遣いというやつだな」


 コンバットスーツのエージェントは、『伯爵』との会話を振り切るように、一本橋の柵を飛び越え、底なしの陥井に向かって跳躍する。


 すぐに照明の範囲を脱して闇に包まれ、自由落下のうちに重力感覚も喪失する。


『ダストシュート』は、セフィロト社がゴミ投棄場として利用している次元世界(パラダイム)に直結している。


 今回のミッションのターゲット──セフィロト・エージェントをすでに何人も撃退した『イレギュラー』は、いま、その次元世界(パラダイム)に捕らわれているはずだ。




「集落ちかくの空気は、まだ汚染が弱いだら。これが、ガレキの山のいただきに近づくほど濃くなっていく」


 つぎはぎだらけの防護服に身を包んだ発掘者(スカベンジャー)、ワッカは、手にしたシャベルで前方を指し示す。


 現在地点は、地面がガレキにおおわれてこそいるが、まだ平地といえる程度だ。眼前には、見あげんばかりの廃棄物の山がそびえ立つ。


 山裾のところどころから噴き出す紫色の炎が不気味に輝き、峰の真上では分厚い灰色の雲が渦を巻いている。渦の中心から、ときおり、なにかが落下してくる。


「空気の汚染が濃くなれば、防護服でも防ぎきれねえだら。具合が悪くなりそうだったら、すぐに言ってくれよ。勇者サマ?」


「ああ」


 発掘者(スカベンジャー)、ワッカの気遣いに、かたわらの男──アサイラはうなずきを返す。


 アサイラもまた、ワッカ同様につぎはぎだらけの防護服を装着している。


 発掘に出かけるワッカへの同行を申し出たところ、集落の小人たちが、予備の防護服と補修用の素材を組み合わせて、アサイラの体格にあわせて仕立ててくれた。


「しかし、自分が死にかけていた場所にまた行きたいだなんて、勇者サマも物好きだら。央心地ちかくなんて、発掘者(スカベンジャー)でもめったにいかない」


「……この次元世界(パラダイム)から脱出する方法を、見つけたい。ワッカ、なにか心当たりはないか?」


「この、世界……?」


 アサイラの問いかけに、ワッカは顔を上げ、ひびの入ったゴーグルを向ける。


「すると、あれか? 勇者サマは、ここではない別の世界からやってきた……?」


「まあ、そういうことになるか」


 ワッカは前方を向き直り、背中にかついだピッケルの具合を確かめる。


「ここではない、ちがう世界……そんなこと、考えたこともなかっただら」


 小さな発掘者(スカベンジャー)は、思慮深げにつぶやく。二人は、ガレキの山麓にさしかかりつつあった。


 小人たちが用意してくれた防護服は、見た目はぼろ同然で、動きにくく、少し臭うが、地獄のような外気の影響をしっかりと遮断してくれている。


「でも、べつの世界に行ったとしても……おいらたちは、生きていけないだろうな」


「どうしてだ?」


「ちがう世界に、ガレキの山はあるか? おいらたちは、この山からモノを与えられなきゃ、じぶんたちでは、なにも作り出せないだら」


「違うんじゃないか?」


 アサイラの言葉を受けて、先導するように前を歩いていたワッカが背後を振り返る。


「おまえたちは、俺の防護服を作ってくれた。別の世界に行ったら行ったで、そこにあるものを使って、なにかを新しいものを作り出せるんじゃないか」


 ワッカは、アサイラをじっと見つめる。曇ったゴーグル越しには、小人の発掘者(スカベンジャー)の表情はうかがえない。


「そうか、そうだら……そうだと、いいな!」


 小人は、再び前を向いて、ガレキの斜面を登りはじめる。ワッカのかすれ声は、心なしか軽やかだった。


「さて、勇者サマ。ぼちぼち、央心地に近づくだら。汚染はきつくなるけど、収穫物も多くなるだら!」


「待て、ワッカ……あれは、なんだ?」


 アサイラは、手をかざして目を凝らす。ガレキの山頂直上、雲の渦の中心から、なにか小さな影が落下するのが見える。


 影が、空中で白い布を広げるのが見える。とたんに、落下速度が遅くなる。


「……パラシュート?」


「どんがらだった、初めて見る落下物だら! 行くぞ、勇者サマ!!」


 ワッカは、アサイラのつぶやきを耳に留めず、落下点に向かって喜びいさんで走り出す。アサイラも、急いであとを追った。


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