【煉獄】
「グ、ヌゥ……ギ、ギギィ……」
倒れ伏したアサイラは、歯を食いしばる。アサイラの身体の下には、ガレキでできた地面が、どこまでも続き、傾斜を形作っている。
ガレキの大地のところどころから、生物の舌のようにちろちろと紫色の炎が噴き出し、揺れている。
重苦しく淀んだ大気は、刺激臭のみならず、腐食性も持ち合わせているらしく、アサイラの肉体を皮膚と肺腑の両面から痛めつけてくる。
「ギギ……ヌゥ……ッ」
アサイラは、しびれる身体を叱咤して、かろうじて頭をもたげ、上空を見やる。
天は厚い雲に覆われ、ときおり橙色の電光が走っている。曇空のところどころでは、台風か竜巻のような、左巻きの渦が形成されていた。
「なんだ、この次元世界は……地獄か?」
悪態をつくアサイラの頭上で、ばらばらとなにかの降り注ぐ音が聞こえてくる。上天の渦から無数のガレキが落ちてきて、地面に散らばっていく。
落下点は、アサイラのいる場所から少し離れている。だから、下敷きにはならずに済んだ。それでも、ガレキの破片が飛び散り、アサイラの身に傷を刻む。
「グッ……ヌゥ……」
アサイラにとって、ガレキの挙動が予想のつくことだった。他ならぬ自分自身も、あの渦から落下して、ガレキの地面に叩きつけられ、ここまで転がってきたのだ。
腐食性の空気にただれゆく皮膚と、落下の衝撃で負った打撲と切り傷。アサイラは、全身をさいなむ苦痛に耐える。
「クソ……ッ。生き地獄なのは、事実……か」
アサイラの肉体は、極めて特異な高速再生能力を持つ。パラダイムシフターとしてのアサイラの能力なのだろう、と『淫魔』は語っていた。
だが、この極限環境において、アサイラの再生力は裏目に働く。持続的に肉体が痛めつけられるため、再生が追いつかない。
さらには、アサイラの能力自体も代償が存在する。再生にともなって、全身に激痛が走る。再生は自動でおこなわれ、自身の意志でコントロールできない。
「これが……二重苦ってやつ、か」
途切れのない苦痛に、アサイラの意識がもうろうとしはじめる。皮膚がしびれ、五感が薄れていく。
「おい、クソ淫魔……聞こえているか……?」
アサイラは、いつもそうしているように、『淫魔』に対して語りかける。アサイラと『淫魔』の精神はリンクしており、普段なら念話が可能だ。
「これは……セフィロト社の罠……か?」
途切れ途切れの意識で、アサイラは『淫魔』に問いかける。アサイラの必死の通信にも関わらず、『淫魔』からの反応はない。
なんらかの理由で、精神のリンクが切断している。そう考えるのが、自然だ。
(次元世界が無数にあるのなら、人間が生存できない世界が存在するのも道理、か)
かすむ視界で一面のガレキを身ながら、アサイラは思う。
(いや、違う)
『淫魔』は『扉』を作る前に、必ず『天球儀』を使って転移先の次元世界を観測している。
そのとき『淫魔』がアサイラに見せた光景は、いま、倒れ伏している環境とは似ても似つかない世界だった。
(ともかく、自力でどうにかするしかない、か)
アサイラは、自身の生命力を振り絞り、震えるひざに力をこめて、立ち上がる。少しでも安全な場所に移動しようと、一歩を踏み出す。
足元のガレキが崩れ、アサイラは転倒する。全身に新たな傷を負いながら、錆びた斜面を転がり落ち、大きめの鉄骨にぶつかって、止まる。
「ダメ……か」
仰向けに倒れこみながら、アサイラは力なくつぶやく。もはや、痛みすら感じない。視界がかすみ、暗転していく。意識が混濁し、思考がまとまらない。
(……ん?)
かろうじて最後まで生き残っていたアサイラの聴覚が、なにかを捉える。ざくざくと鉄屑を踏みしめる足音だ。近づいてくる。
「どんがらがった、なんてこった」
ひどくかすれ聞きにくい、しかし、確かに人の声がした。
「おい、アンタサマ。いきてるだら?」
アサイラに、返事をする余力はない。代わりに、小さく身じろぎする。
「集落につれていくだら。もうすこし、しんぼうだら」
アサイラは、なにか布のようなもののうえに載せられるのを感じる。声の主は、そのままガレキの大地のうえで、アサイラを引きずっていく。
引きずられる心地は、決してよくはない。むしろ、最悪だった。それでも、緊張の糸が途切れたのか、アサイラは意識を失った。
「ひでえきずだ。よくいきてるな」
「ワッカのはなしだと、央心地のちかくでみつけたと」
「防護服もなしでか?」
「おい、ありったけの治療具、もってきた。洗浄スプレー、酸素ボンベ、包帯と軟膏……真水のボトルもある!」
意識とともに、まず回復したのは聴覚だった。複数人の話し声が、聞こえてくる。自分を運んだ者と同様に、ひどくかすれて聞き取りにくい声だ。
「とりあえず、ふく、ぬがすぞ」
「真水、つかうか?」
「それは、さいごのしゅだんだ……うわあ! なんだこれ!?」
周囲から、驚嘆の声があがる。アサイラには、思い当たる節がある。
アサイラの肉体は、再生するさい、黒い粘液を分泌する。周囲の人間……おそらく治療者たちは、それに驚いたのだろう。
「だいじょうぶ……だ」
四肢はいまだ動かないが、アサイラはかろうじて声を絞り出す。触覚が戻り始め、同時に苦痛もよみがえる。
「意識があるのか!?」
治療者の仰天する声が聞こえる。誰かが、漆黒の体液を、布かなにかでぬぐいとる感触が伝わってくる。
「すげえ! ひふが、なおりはじめている!!」
「とりあえず、きずがひどいところに洗浄スプレーはかけておくからな?」
「うぐ……ッ!?」
傷口が染みる感触に、アサイラは思わずうめく。洗浄スプレーとやらのおかげかはわからないが、少しずつ全身の痛みが軽減されていく。
アサイラは、意識して呼吸する。嗅覚が、戻りつつあることに気がつく。
ガレキのうえに転がっていたときのような、気道と肺腑を焼かれる感触はない。神経に針を突き立てるような、刺激臭もない。
ただ、わずかにカビ臭く、すえた臭いがする。それでも、あの地獄のような大気にくらべれば、はるかに生きた心地のするものだ。
「助かった……か」
「ああ、たすかった! たいしたしぶとさだ!!」
アサイラは、ゆっくりとまぶたを開く。まず、頭上で明滅する古びた電球が目に入る。室内のようだが、天井はずいぶん低い。
狭い小部屋の中央、床に敷かれたつぎはぎだらけの敷布のうえの、アサイラは寝かされていたようだ。ドアはあるが、窓はない。
自分を助けてくれた治療者たちを見ようと、アサイラは未だきしむ首をまわす。
「……ッ!?」
思わず、アサイラは息を呑む。取り囲んでいたのは、アサイラが想像する人間というものとは、だいぶ異なる風貌をしていた。
頭髪は、老人のように白く、薄い。顔に刻まれたしわは深く、紙をくしゃくしゃに丸めたかのようだ。全身の肌も褐色で、黒い染みがいくつも張りついている。
なによりも彼らの身長は、アサイラの半分程度だった。『小人』という形容がぴったりくる、アサイラはそう思う。
目を丸くするアサイラに対して、小人たちも患者の人知を超えた回復速度に驚きつつ、命を拾ったことに無邪気な笑顔を浮かべていた。
「いやあ、よかったよかった。まだ、ゆだんはできないが、とりあえず、たすかってよかった」
小人たちがアサイラの上半身を起こし、軟膏をぬって、包帯を巻いていく。アサイラは、むずがゆさを感じる。
「しかし、アンタサマ。どこからきて、どうしてたおれていたんだ? それも、あんなところに」
治療者のリーダーらしき小人が、アサイラに尋ねる。アサイラは額に手を当てて、混濁する記憶をたどる。
(そうだ。いつも通りに……)
セフィロト社のエージェントが持つ社員証、そこには様々な次元世界の座標を示すアドレスが刻まれている。
奪った社員証から情報を読みとり、さらに新たなアドレスを手に入れるため、次なる次元世界へ転移する──予定だった。
『淫魔』とともに観測した次元世界は、人工建造物の並ぶセフィロト社の小拠点のようだった。いまいる世界とは、まったく異なる様相だ。
「どうした、むずかしい顔をして。わすれたのなら、そのうち、おもいだすさ!」
小人のリーダーが、包帯越しにアサイラの肩を叩く。アサイラは、せきこんだ。




