【水月】
ミナズキの意識は、宙を漂っていた。夢を見ているんだ、と直感した。
眼下の視界を見下ろす。夜の森の中だ。天には、星が輝き、月の光が地を照らし出す。『常夜の怪異』の前だろうか。
(──父上!)
ミナズキは、樹々をかきわけ、獣道を進む養父の姿を見つける。声をかけようとするが、言葉が出ない。
養父は、なにかを探しているようだったが、迷いなく森の奥を目指していく。おそらく、占卜か託宣に従って来たのだろう。
ミナズキは、この森が見知った光景であることに気がつく。陽麗京の東北にある『妖鬼の森』だ。
ときおり、豚のような顔をした醜悪な鬼が現れると言われており、都人からは忌み嫌われている。
しかし、貴重な薬草を採取できるため、符術巫や薬師にとってはなじみのある場所でもあった。
「……おお」
茂みをかき分け、獣道を抜けた養父が、嘆息をこぼす。眼前に、ぽっかりと梢が開いた空間が広がっていた。
月光が差し込む地面には、みなずきの花が咲き乱れている。
周囲には、狐や狸、狼といった獣たち、枝の上には鷹や鷲、梟といった鳥たちが、輪を描くようにたたずみ、月明かりの中心を見守っている。
「……占卜の報せは、これであったか」
養父は、鳥獣の円のなかに入っていく。森の住人たちが、邪魔をする様子はない。養父は、群生するみなずきのなかから、なにかを抱き上げる。
「まさか、『界渡り』の赤子であろうとはなあ」
養父の腕のなかには、白い布に包まれた赤ん坊の姿があった。赤子は、余人の倍ほどの長さはある、とがった耳を持っていた。
「よし、よし。いい子だ……この子は、いずれ大きな責を果たすであろう」
養父は、感慨深げに目を細める。大事そうに赤ん坊を抱えながら、初老の符術巫は、都へ向けて、もと来た獣道を戻ろうとする。
(父上──ッ!)
ミナズキは、今度こそ、養父を呼び止めようとする。そこで、夢は途絶えた。
長耳の符術巫は、見覚えのない部屋の中央で目を覚ます。細身を包み込む寝具は、まるで空に浮かぶ雲のように柔らかく、心地よい。
自分の身体が横たえられているのは、寝台のようだった。頭上には、天蓋まで設けられる。上位の貴族のなかには、こういった寝床を好む者もいると聞く。
(ここは──?)
ミナズキは、首を巡らせて、周囲の様子をうかがおうとする。動かない。手足の感覚もない。
長耳の符術巫は、己のへその下──丹田に意識を集中する。そして、己の霊力が枯渇しかけていることを悟る。
(そうか。此方は、死にかけているんだ──)
『禁足地』の戦いで、精根が尽き果てたのだろう。ミナズキは、自分でも驚くほど冷静に、己の衰弱具合を自覚する。
(それにしても、ここはいったい、どこなのかしら──)
とりあえず、安全な場所であることは確かなようだ。ともに戦ってくれた、あの青年──アサイラが、連れてきてくれたのだろうか。
眼球だけを動かして、どうにか寝台の周辺を視界に捉えようとする。自分の足下の方向に、人影をふたつ、見つけた。
片方は、アサイラ。もう一人は、見慣れぬ女性だ。アサイラ同様に、見慣れぬ装束を身につけている。黒百合の花弁のような、あるいは漆黒の羽衣のような。
アサイラと女は、しきりに言葉を交わしているが、ミナズキの耳に内容が届かない。ミナズキは、なけなしの意識を聴覚に集中する。
「……だから、アサイラ! はやく、この子──ミナズキちゃん、だっけ? とにかく彼女に、あなたの精をわけて! 本当に、死んじゃうんだわ!!」
「強姦教唆はやめろ、っつってんだよ。クソ淫魔、ほかに方法はないのか」
「それがあるんなら、とっくにやってるんだわ! とにかく、緊急! エマージェンシー!!」
二人のやりとりを聞き取ったミナズキは、かろうじて、ほんのわずかに頭を上げる。『淫魔』と呼ばれた女のほうが、先に気がつく。
「目が覚めた? でも、動かないで! 全身の導子力を吸い尽くされて、本気で瀕死の状態なのだわ!!」
「話……聞いてました。やって……ください」
ミナズキは、途切れ途切れの言葉で、枕元に駆けつけた『淫魔』に話しかける。わずかに意志を伝えるだけで、息が切れそうになる。
「房中術……のことですよね……? 経験はない、ですけれど、知識としては……知っています。だから……やって、ください」
「アサイラ!」
枕元の女性が、振り返り、声を上げる。
「本人の同意がとれたのだわ! これで、しない理由がなくなったでしょ!?」
アサイラは、ため息をつく。ぼりぼりと頭をかきながら、座っていたいすから立ち上がる。




