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【落下】

「アサイラさまッ!」


 ミナズキが、同行者の名を叫ぶ。仔細を説明する余裕などなかったが、アサイラは大まかな異変を察知してくれたようだった。


「ウラ……ウラアッ!」


 アサイラは、足下に転がっていた岩を蹴り上げ、左の拳で殴りつける。岩は無数の飛礫に砕け、蛭魔人へと襲いかかる。


「……チッ」


 少し間をおいて、アサイラの舌打ちが聞こえてきた。数多の石弾を身に受けても、人型と化した妖魔の蛭は、動じる様子を見せない。


「どうする……触ることは、できない!」


「此方の式神も、通用しないようです!」


 人型を保った蛭の郡体は、うろたえるアサイラとミナズキを睥睨し、その後、瑠璃の円筒を見上げる。


 蛭魔人は、大きく屈伸する。次の瞬間、ためたバネを解放して、跳躍する。妖魔は、一跳びで構造部の頂点に着地した。


 とっさにアサイラは、シジズが使っていた長弓を拾い上げると、三本の矢を同時につがえ、放つ。


「……だめかッ!」


 まともに動かない右手では、狙いすらままならない。二本の矢ははずれ、一本はかろうじて巨蛭の背に突き刺さるも、手応えはまるでない。


 地上で右往左往するアサイラとミナズキをあざ笑うように、蛭魔人は両腕を大きく振り上げる。そして、無造作に振り下ろす。


 ただ、それだけで、巨槌を叩きつけられたような衝撃が、渓谷全体を揺らす。


「培養槽が……ッ!」


 アサイラが、叫び声をあげる。巨蛭の拳によって、瑠璃の円筒にいくつものヒビが入り、砕け、構造物の上部を中心に大穴が空く。


 円筒内部からあふれ出したとおぼしき甘ったるい腐臭が、周囲に充満する。


「──ォォォオオオアアアッ!!」


 構造部の頂点で、人型の蛭が咆哮する。同時に、耳をつんざくような甲高い羽音が渓谷に反響する。


 ミナズキは、とがった長耳を思わず両手でおおう。アサイラは構うことなく、構造物の上部を仰視し続ける。


 アサイラにならい、ミナズキも顔をあげる。蛭魔人は、背をのけぞらせる。


──ぶぢゅり。


 気色の悪い音を立て、粘液の飛沫をまき散らしながら、人型の蛭の背中から蟲の薄羽が姿を現す。


「見ろ……」


 アサイラが、抑揚のない声でつぶやく。割れた円筒の内でうごめいていた巨蛭たちも、同調するように羽を生やす。


「……飛び立つ気だ」


 アサイラの言葉に、ミナズキは稲穂を喰い荒らすイナゴを連想する。陽光を奪った妖魔が、陽麗京を、世界を、喰い尽くす──


「──飛べッ!」


「ミナズキ!?」


 ミナズキは大鷹の式神を編み出す。アサイラの制止も聞かず、式神の足につかまり、円筒の頂点目指して上昇する。


 宙を舞いながら、ミナズキはかつてこの妖魔を封じたであろう人物──己の養父のことを想起する。養父との記憶が、走馬灯のように脳裏を巡る。


「父上……」


 ふと、ミナズキは幼少のころの出来事を思い出す。


 いつものように、呪符の修練をしていたときのことだ。書き写しを命じられていたにも関わらず、ミナズキは戯れで、思いつくままの呪符を描いた。


 それは、右方向に向かう渦のような紋様だった。


 養父にはすぐ見つかった。ミナズキは叱責を覚悟したが、そんなことはなく、養父はただ興味深げに新奇な呪符を見つめると、大事そうに匣のなかにしまいこんた。


 ミナズキは、片手で自らの懐中をまさぐり、一枚の呪符をつかみとる。ミナズキの手に収まった呪符は、かつて幼い彼女が描いた、自分だけの札だった。


「父上……どうか、此方をお導きください……!」


 自分を支える大鷹の足を、ミナズキは手放す。


「ミナズキーッ!!」


 アサイラが、自分の名を叫ぶ声が聞こえる。ミナズキは、円筒の内部、うごめく蛭の群のなかに落下する。


 熟れすぎて腐り始めた果実のような、ぶよぶよとした肉が、全身に触れる。怖気を覚える粘液が、装束に染みこんでくる。


 蛇が獲物を呑み込むように、ミナズキの身体は巨蛭の沼に沈んでいく。見る間に、全身から霊力を吸い取られていく。


 それでも、ミナズキはあえて抵抗せず、己の霊感を極限まで研ぎ澄まし、霊気の流れと己の意識を一体化する。


(ああ、やはり……)


 その瞬間、ミナズキは世界と一体化していた。己が、妖魔が、構造物が、中心となって、循環する霊気の流れを知覚する。


(霊気の渦は、左回り。たぶん、これは……世界を編むためには『逆』の向き)


 ミナズキは、己の内に残されたありったけの霊力を、握りしめた呪符にこめる。


「森羅万象、天地万物、諸事万端──」


 唯一の呪符を、地面の奥深くに穿ちこむように、投げつける。実際にできたかは定かではないが、すくなくとも、そうあろうと強く祈念する。


「──封ッ!」


 ミナズキの霊力をきっかけにして、『逆』向きの霊気の渦がじょじょに弱まっていく。同時に、巨蛭たちの動きが鈍っていく。


 一瞬だけ、霊気の流れが制止する。そして、車輪が回りはじめるように、ゆっくりと『正』の方向へと動きゆく。


 ミナズキは、巨蛭の群れとともに、自分が地の底へと呑まれる感覚を味わう。静かに、ミナズキは目を閉じる。


「……父上ッ!」


 薄れゆく意識のなかで、ミナズキは背を向けた養父の姿を見る。ミナズキは、必死に養父を追いかけようとする。


「此方は、正しくできましたか? 責を果たすことが……できましたか!?」


 離れていく養父の背中に向かって、ミナズキは力のかぎり、手を伸ばす。細い指の先に、なにかが触れたことに気がつく。養父の背中では、ない。


「つかまれ、ミナズキッ!!」


 ミナズキの意識が戻る。指に触れたのは、アサイラの手だった。この謎の青年が現れたときと同じように、空中に『門』が浮いている。


 アサイラは、戸枠を左腕でつかんで体重を支え、蛭の沼の水面に向かって、けいれんする右手を伸ばしていた。


「アサイラさま……ッ!!」


 ミナズキは、赤子ほどに弱まった己の膂力を奮い立たせ、アサイラの右手をつかみ返す。アサイラは、額に汗を浮かべ、ひきつる右腕でミナズキを引きずりあげる。


 蛭魔人と巨蛭の群れが、霊気の渦によって地中の底に引きずり込まれていくなか、アサイラとミナズキは、『門』の向こう側へと転がり込んだ。


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