【脱出】
ミナズキは、普段使う式神の倍はある大鷹にぶら下がり、常夜京のうえを滑空する。
宮中の周辺で、いくつものかがり火が行き来しているのが見えた。追っ手はまだ、都全体まで広がってはいない。
常夜京をおおう怪異の闇が、いまはミナズキの姿を隠してくれる。漆黒のとばりの空を、長耳の符術巫は一直線に飛翔する。
やがてミナズキは、自分の邸宅の敷地内に着地する。過剰な霊力と重量に耐えきれず、大鷹の式神は霧散し、核となる呪符が千切れる。
「ワンッ……ワンウワン!」
剣呑な気配を察知して、番犬の式神が駆け寄ってくる。その様子から、ミナズキは追っ手がまだ邸宅にも来ていないことを理解する。
「……でも、どれだけ猶予があるなんてわかりはしない」
ミナズキは、三枚の呪符をふところから取り出し、呼気を吹きかける。霊力のこもった札は、宙を回転し、新たな三匹の番犬へと変じる。
「四方を見張って!」
ミナズキは、もとからいるのを含めた四匹の番犬に命じる。式神たちは、指示に従って、それぞれ敷地に散っていく。
術者当人であるミナズキは、靴をはいたまま、土足で邸宅へとあがる。途中、つまずきそうになりながら、奥へと急ぐ。
「この屋敷とも、今日でお別れかしら……」
ミナズキの胸中に、ふと郷愁が満ちあふれる。
物心つくころから、養父とともに、この邸宅でミナズキは暮らしてきた。養父が失踪したあとも、引き継ぐように一人で……
「はあ……はあ……ッ!」
短時間で霊力を使った疲労から、ミナズキは軽く息を切らす。
それでも長耳の符術巫は、屋敷の奥にたどり着く。そこに、大切にしまっていた匣を取り出すと、ふたを開ける。
「……あぁ」
ミナズキは目を細め、嘆息をこぼす。匣のなかには筆とすずり、幾ばくかの霊墨と霊紙、そして厚い呪符の束が納められていた。
大量の呪符は、ミナズキが幼いころから養父に修練として課せられ、毎日、少しずつ描きためていたものだ。
養父がいなくなってからも、ミナズキは習慣として、毎日の呪符づくりを続けてきた。いまなら、その意味がわかる。
「父上は、こうなったときのために、此方に……」
ミナズキは、いまにも泣き出しそうになりながら、包み布に霊墨と霊紙、なにより数多の呪符を移していく。
「ガウッ! ガルル……ッ!!」
邸宅の西側──宮中の方向から、番犬がうなり声を吠える。ミナズキは、追跡者の接近を知る。
ミナズキは、最低限の荷物をまとめた包み布を肩に結びつけると、慌てて屋敷の裏側へと周る。
「ワン……ウワンッ!!」
今度は、正門のほうから番犬の吠え声が聞こえた。続けて、人のざわめきが響く。
ミナズキは、邸宅の裏口へと移動する。番犬の式神が一匹、控えているが、すぐに戸は開かない。
「急々如律令──ッ!」
ミナズキは、四枚の呪符を放つ。呪紋を描きこまれた霊紙を核として、そこにはミナズキと全く同じ姿をした式神が顕現する。
「行きなさい!」
自分の分身に、ミナズキは命じる。術者と瓜ふたつの式神たちは、本人の代わりに木戸を開き、裏口から路地へと出て、四方に散る。
「いたぞ、捕らえろ……!」
「こっちだ、誰か来てくれ……!」
方々から、追跡者の声が聞こえてくる。正門側からは、番犬の式神と戦う剣戟の音が聞こえる。ミナズキは、三方の番犬を援軍に向かわせる。
「侮っていたわけではないけど。思っていたよりも、早い……かしら」
念には念を入れて、ミナズキは、裏口をくぐらず、敷地の東北の角へと向かう。そこに植えられた松をよじ登り、塀を越える。
囲の上から、ミナズキは路地と大路にいくつものかがり火が行き来するのを見る。思っていたよりも、追っ手の数は多い。
「空を飛んで逃げるのは、無理そうかしら」
手にした札を握りしめながら、ミナズキはつぶやく。滑空移動は、灯りを持った相手に対して目立ちすぎるし、弓矢の格好の的となる。
「飛べ! 見よ!」
ミナズキは、つかんでいた呪符を闇空に向かって放る。それは、一羽の鷹へと変じ、暗天へと急上昇し、術者の頭上で旋回を始める。
火急の事態であるため、式神と感覚を共有する余裕はない。しかし、鷹の瞳が捉えたものを、合図で知ることならできる。
ミナズキは、塀の上から身軽に往来へと飛び降りる。さいわい、ミナズキは夜目がきく。暗い道につまずく心配もなければ、上空の鷹の動きもよく見える。
「行こう……!」
式神が旋回の形状を微妙に変えて、追っ手の動向を教えてくれる。ミナズキは、意を決して走り始める。
いかに人数を動員しても、広大な都をおおい尽くすことは不可能だ。上空の鷹の動きを注視しつつ、ミナズキは無人の通りを選んで、進んでいく。
「……待った」
複雑怪奇な迂回路をとってきたミナズキは、路地から大路へ出る手前で足を止める。頭上では、式神の鷹が、しきりに小さな円を描いている。
「誰かが、来る」
ミナズキは、土壁の影に身を潜め、様子をうかがう。辻の向こう側から、騎馬にまたがり、かがり火を掲げた一人の検非違使がやってくる。
「──ッ!」
ミナズキは、息を呑む。目前に現れたのは、恩人でもある検非違使之輔、シジズだった。
シジズは、ミナズキが隠れる塀の手前で馬を止める。鞍から降りると、ミナズキが潜む影のほうをまっすぐに見据える。
「どれ。出てきな、ミナズキ。そこに隠れているのは、わかっているぜ」
シジズは、かがり火を握る手の甲を逆手でぼりぼりとかきながら、普段となんら変わらない声で語りかける。
「……シジズさま」
ミナズキは、検非違使之輔の目をごまかすことはできない、と観念して、大路に姿を現す。かがり火が、符術巫の娘の白い肌を照らす。
「お手数をかけた末、このような末路となってしまい、申し訳ありません。ですが、此方は、どうしても……」
「貴殿は、なにを言っているんだ?」
ミナズキの言葉は、実兄のように慣れ親しんだシジズの声音にさえぎられる。
「乗れ。それがしが、途中まで送るぜ」
検非違使之輔は、親指で背後の騎馬を指し示す。
「……シジズさま!」
ミナズキは、目前の男の申し出を聞き、安堵を覚える。いままでの緊張がほどけ、ひざが震えだす。それでも、シジズのもとへ歩み寄る。
すると、検非違使之輔は、右手に握りしめたかがり火を放り投げた。
「黄泉路へ、だがな」
シジズの右手が腰に伸び、鞘に納められた太刀の柄を握る。鞘走る白刃が、かがり火の光を受けて、妖しい輝きを放つ。
必殺を確信した検非違使之輔の口元が、歪む。ミナズキは、自身の華奢な肉体が、逆袈裟の方向に両断される光景を幻視した。
「ギャアァ──ッ!!」
けたたましい鳴き声をあげて、何かが急降下してくる。ミナズキが上空に放った、鷹の式神だ。
鷹は、くちばしを突き立てんと、検非違使之輔の頭上へと急降下する。
「チイッ!」
歴戦の武人であるシジズとて、符術巫の式神を無視することはできない。太刀を引き抜く軌道は、大きく上方へとずれる。
「あぁ……ッ」
ミナズキは、尻もちをつくような格好で、背後に倒れこむ。前髪が引き裂かれ、闇の中を舞う。それでも、ミナズキはそれ以上の傷を負わなかった。
鷹の式神は、ミナズキの身代わりとして、シジズの太刀に両断された。鷹の姿は霧散し、両断された呪符が大路を舞う。




