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【怪異】

 残された者たちが八角堂を出たときには、すでに中納言たちの姿は無かった。


 ミナズキは、部下の符術巫たちに宮中への報告に向かうように命じて、自身は食糧を運ぶ検非違使の一行に同伴する。


 食糧を満載した牛車と、それを取り囲む騎馬が、葉のない樹々の森を抜ける。左右に

田園が広がるが、放棄され、田植えはおろか水すら張られていない。


(『常夜の怪異』が起こってから……およそ一年くらいかしら)


 日の光のように美しく、聡明な帝の治世で平穏に満たされていた都は、かつて『陽麗京』と呼ばれていた。


 しかし、一年前、突如として夜が明けない怪異に呑み込まれた。太陽は昇らず、やがて月も消え、ここ最近になって星々の輝きも弱くなっている。


「お疲れさまです、検非違使之輔さま!」


 都の西門にさしかかり、警備の者が一行に声をかける。牛車と騎馬の群は、楼門をくぐり、かつて『陽麗京』と呼ばれていた場所へと入る。


 ミナズキとシジズたちは、東西をつらぬく大路を直進する。一年前とは違い、往来を行き来する人の姿は全くない。


 土塀に力なく寄りかかり、生きているのか死んでいるのかも定かではない浮浪者の姿を見つけ、ミナズキは顔をしかめる。


 ごみはおろか、死体が転がっていても、片づけられるほうがまれだ。寺社や橋が破損しても、修復の手は回らず、ほったらかしにされる。


 都の住人である貴族は、怪異をおそれ、各々の屋敷に引きこもっている。悪夢のような現実から逃れようと、享楽的な宴にふけるものも少なくないといううわさだ。


 先の見えぬ闇に呑まれた人々は、恐れ、おののき、かつて栄華を誇っていた都も、いまやあざけり混じりで『常夜京』などと呼ばれているありさまだ。


 やがて一同は、東の楼門をくぐり、ふたたび都の外へと出る。


「どれ」


 シジズが、小さくつぶやく。検非違使之輔は、長弓をかまえ、矢をつがえる。引き絞った弦を放てば、矢は風切り音を立てて、飛翔する。


 矢は、茂みの奥へと飛び込む。少し遅れて、人とも獣ともつかないうめき声が聞こえてくる。


「ギギイ……ッ!」


 食糧をねらって待ち伏せしていたのか、小柄な影は肩口をおさえながら闇の中へと走り去っていく。


 ミナズキは、目を細める。哀れな狼藉者の姿が、飢えた人なのか、はたまた人を惑わす妖鬼なのか、区別もつかない。


 石の転がる荒れた道を進めば、やがて都の東北に位置する寺院が見えてくる。道の両脇に身を横たえた貧民たちが、力なく顔をあげる。


 かつて、都の鬼門封じとして建立された寺院は、『常夜の怪異』のあとは貧民たちに対する炊き出しの場となっていた。


 騎馬と牛車の群は、寺社の前で歩みを止める。


「どれ。それがしは、報告に都へと戻る。警護の検非違使は置いていくぜ」


「はい。シジズさま、お気をつけて」


「ミナズキもだぜ」


 ミナズキは、馬を駆る検非違使之輔の背中を見送ると、寺の僧侶たちの出迎えを受ける。境内には、あふれんばかりの貧民たちが群がっている。


 僧侶たちは検非違使らと挨拶を交わすと、米俵を堂内へと運んでいく。ミナズキも、そのあとを追う。


「メシだァ! メシをくれェ!!」


 餓鬼のようにやせ衰えた浮浪者の一人が、明けぬ夜空に向かって咆哮する。数名の検非違使が集まり、暴徒を化すまえに制する。


「場を乱すな! すぐに炊き出しがある……いま少し、待たぬか!」


 骨と皮だけの貧民は、あっさりと地面に組み伏せられる。ミナズキは、胸が締め付けられる思いをしつつ、僧侶たちのあとを追う。


 ミナズキは寺院の本堂を抜けて、裏側に位置する炊事場へと向かう。そこでは尼僧たちが、かまどに火を炊き、調理の準備を進めていた。


「さしつかえなければ、手伝いましょう」


「ありがとうございます、符術巫さま。助かります」


 ミナズキは、尼僧たちに混じって炊事場に向かう。すぐに、届いたばかりの米と野菜が運び込まれ、湯立つ大鍋のなかに次々と放り込まれる。


 野菜でかさを増し、少量の味噌で申し訳ていどの味付けをした雑炊は、味見する間もなく、大鍋ごと境内に運ばれていく。


「ならんで! おならびくだされ!」


「一人ずつ、順番に! 足りなければ、作りたしますから……慌てずに!」


 僧侶と尼僧が、大声を張り上げて貧民たちを先導する。ミナズキも、そのなかに混じり、施しを手伝う。


「列を乱さず……! 食べ終わった者は、食器を持たぬ者に椀を貸してあげてください!!」


 ぼろ布をまとった人々は、湯気の立つ大鍋を前にして、幽鬼のごとく列をなす。ときおり、奇声を発して暴れ出す者を検非違使が押さえつける。


 ミナズキは目を細めて、寺院境内のありさまを見る。もはや人間か妖鬼か区別の付かない者たち、いったいどれほどが罪を犯したというのだろう。


(──飢えが、人の心を荒ませているんだ)


 ミナズキは、思う。もし、地獄というものがあれば、このような風景だろうか。それとも、陽麗京は知らぬ間に地獄へと墜ちたのか。


「おつかれさまです! みなさま、お下がりください!!」


 年輩の尼僧が声を上げる。ミナズキが、はっ、と我に返ると、大鍋の中身は空になっていた。幸い、全員に配ることはできたようだ。


「ありがとうございます、符術巫どの。こうして衆生に食事を供することができるのも、符術寮の働きにほかなりませぬ」


「それどころか、わざわざ、ご足労のうえ、炊き出しまで手伝っていただけるとは……感謝してもしたりませぬ」


 周囲の僧侶や尼僧が集まってきて、ミナズキに感謝の言葉を述べる。激務で疲労困憊のミナズキの顔に、微笑みが浮かぶ。


「いえ……これも、私の父上が残してくれた教えと秘伝のおかげです」


 ミナズキの答えを聞くと、僧侶たちがとたんにざわつき始める。動揺は、境内の貧民たちにも広がっているのがわかった。


「……あれほどの御方が、なぜ『禁足地』に」


 僧侶の一人のつぶやき声が聞こえた。尼僧たちは、無言でミナズキのそばを離れていった。




 寺社の炊き出しを見届けて、ミナズキは三日ぶりに自分の邸宅に戻ってきた。


「バウッ」


 番犬が、主人を出迎えるように一吠えする。と、その輪郭がゆがみ、霧のようにかき消える。あとには、よれよれになった呪符が残される。


 ミナズキは、懐から新しい呪符を取り出すと、息を吹きかける。霊紙の札は宙を舞い、見る間に姿を変えて、新たな番犬となって庭に着地する。


「ワン。ワンッ」


 符術の技によって作った式神だ。並のならず者であれば、追い払うていどの力はある。獣の式神は、正門の影の木立に身を潜める。


「以前は、こんなものを用意する必要なんてなかったのだけれど」


 ミナズキは独りごちながら、靴をぬぐ。『常夜の怪異』に襲われてから、都の治安は目に見るように悪化している。


 三日ぶりの自宅に、ミナズキはあがる。式神が仕事をしてくれたおかげか、何者かが入り込んだ気配はない。


「一日でも早く、夜を明かさせねば……」


 ミナズキは、机の前に座り、目前の匣の中に丁寧にしまわれた書物を取り出す。


 この邸宅のかつての主であり、当代一の符術巫としてその名を馳せたミナズキの養父が書き記したもの──符術の秘伝書だ。


 秘伝書は、十二年前に養父が消息をたったのち、当時は一介の検非違使であったシジズに託され、最終的にミナズキの手へと渡った。


「父上、シジズさま……ありがとうございます」


 ミナズキは、二人の恩人に感謝を欠かしたことはない。そして、養父であれば『常夜の怪異』を解決できたこと、その知恵が秘伝書に残されていることを信じている。


「お願いします、父上……どうか、此方に知恵を」


 ろうそくの灯を頼りに、弟子であり娘である符術巫は、師であり養父である男の文書をめくる。


 符術を学ぶため、怪異を鎮めるため、何度となくこの秘伝書を読んだ。中身を書き写したことすら、少なくない。


「でも、誰かが、この書に手を加えたのかしら……?」


 数え切れぬほど読み返すうちに、ミナズキは養父の秘伝書のなかにあるふたつの違和感に気づいていた。


 ひとつは、いままさに陽麗京を支えている食糧召喚の術式に関して。符術には使い手のクセが出るものだが、この術式だけ他の手法とクセが違う。


「そも、符術巫は一枚の呪符で術式を完結させようとするのに……なんでこの術式だけ、わざわざ複数枚の呪符を使って、さらに陣を組むのか……」


 もうひとつは、『禁足地』に関する記述が皆無であることだ。


「なぜかしら……父上は、あんなにも『禁足地』に関心を配っていたのに」


 陽麗京を包み込む『常夜の怪異』は、今回が初めてではない。十二年前、都が三日間の黄昏におおわれたことがあった。


 ミナズキの養父は、いまは『禁足地』と呼ばれる北の霊山が異変の原因だと考えた。養父は、そこに向かい、見事に異変を解消した。


 だが、ミナズキの養父が帰ってくることはなかった、それ以来、北の霊山は『禁足地』と呼ばれるようになった。


 いまでは足を踏み入れるものもいないどころか、話題に出すことすら禁忌となっている場所に、ミナズキは怪異の原因があると思えてならなかった。


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