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【青年】

「おあいにくさま。おもらしプレイと猟奇プレイの趣味は、ないのだわ」


 自らの頭蓋を撃ち抜き、首無し死体となった男の死体が路地裏に倒れこむ。


『淫魔』と呼ばれたゴシックロリータドレスの女は、まき散らされる血飛沫をかわしながら、エージェントの胸元から銀色のネームプレートをかすめとる。


『SEFIROT corpration』


 そう刻印された金属製のカードを、『淫魔』は自身の乳房の谷間にしまいこむ。血を垂れ流す首無し死体を背に、『淫魔』は背後の路地を振り返る。


 ひざを曲げて、交戦状態となる直前に投げ捨てた買い物袋を拾いなおす。その横には、ワッフルコーンのラズベリーアイスクリームが、溶けかけて落ちている。


「あーあ。結局、一口しか食べれなかったのだわ」


『淫魔』は、今回の『散歩』で楽しみにしていたスイーツのなれの果てを、名残惜しげに一瞥する。


「これは、埋め合わせをしてもらうしかないのだわ」


 紫色のゴシックロリータドレスで着飾った『淫魔』は、路地の奥へと足を向ける。直角の曲がり道に入り、さらに奥の袋小路へと向かう。


 コンクリート壁の行き止まりの手前には、浮浪者のようなぼろを身にまとった青年が、力なく路上に横たわっている。


「ゲベッ。ゲベベベ……ッ」


 頭上から、下品で奇怪な笑い声が聞こえてくる。


 顔を上げれば、コウモリのような翼と蛇のような尻尾を持った小悪魔──インプが、ビルの壁面に張り付いている。


 富裕層の住民に飼われていたものの、飽きられて放逐された野良インプだ。表通りのまばゆい灯火のもとでは生きられず、こうして都市の路地裏を住処にしている。


 都市運営の観点から見れば、害獣に他ならないが、行き場の失った浮浪者を『掃除』してくれるために、その存在が黙認されている。


「ゲベーッ!!」


「しっ、しっ!」


 威嚇の奇声をあげて近づこうとするインプに対して、『淫魔』は手を振って追い払う。おそらく、足下の青年を喰らおうとしたのだろう。


「ゲベッ、ゲベッ、ゲベ……ッ」


 小悪魔は相手が悪いと思ったのか、距離をとる。すぐに、路地の入り口に転がる新鮮な死体の臭いをかぎつけると、そちらへと向かっていった。


『淫魔』は、ため息をつきつつ、あらためて足下に転がる青年に視線を落とす。


 まるで、途方もなく長い距離と時間を旅し続けてきたかのような、くたびれた、という言葉ひとつでは片づけられない風貌だった。


「おーい、生きてるかー?」


『淫魔』は声をかけつつ、ハイヒールの先で青年のわき腹をつっつく。


「グッ、ヌゥ……」


 青年は、言葉の代わりにうめき声で返事をする。『淫魔』は、舌なめずりをする。


 一見すると行き倒れて死にかけの浮浪者だが、この青年の内側にはあまりにも強すぎるほどの生命力が宿っている。『淫魔』にとっては、良い『食事』になる。


「ま、セフィロト社のエージェントが手にかけようとしていたから、なし崩れ的に助けに入ったわけだけど。あの連中、以前から気にくわないし……」


『淫魔』は、独りごちながら、青年の前にひざをつこうとする。


「結果的には、命の恩人なわけだし、ラズベリーアイスのぶんくらいは駄賃を払ってもらうのだわ」


 接吻をほどこそうと『淫魔』は、青年に顔を近づける。と、次の瞬間、行為を中断して頭を上げる。


 歓楽街の喧噪に混じって、規律のとれた複数の足音が近づいてくるのを、『淫魔』の聴覚が捉える。靴音は、路地の入り口手前でいったん止まる。


「あいつ……救援を呼んでやがったのだわ」


『淫魔』は、小さく舌打ちしながら、立ち上がる。


 サイレンサー越しの銃声が一発だけ聞こえる。おそらく、エージェントの死体を喰いあさるインプを撃ち殺した音だ。


「やれやれ、なのだわ」


『淫魔』は、救援のエージェントに背を向ける格好になりながら、パイプとケーブルがツタのように這うコンクリート壁に相対する。


 白くしなやかな指先が、摩天楼の壁面にかざされる。『淫魔』はまぶたを閉じて、精神を集中する。数秒の沈黙ののち、空間にわずかな電光が走る。


 コンクリート構造物の表面に、砂嵐のようなノイズが走り、無機質なざわめきは次第に大きくなる。


 やがて『淫魔』は、かざしていた手を引く。閉じていた双眸を、ゆっくりと開く。


「……ふうぅぅ」


『淫魔』は、緊張と集中を弛緩させるように、深呼吸する。


 眼前に立ちふさがる無機質なコンクリートの壁面には、あきらかに周囲の風景とは不釣り合いな木製の『扉』が現れていた。


「グリン!」


『淫魔』は、妙に古風な『扉』に駆け寄ると、乱暴な動作で両開きにする。『扉』の向こう側には、闇で塗りつぶしたような漆黒の虚無空間が広がっている。


『淫魔』の両耳が、ぴくぴくと動く。追跡者の足音は、止まっている。エージェントの死体の周辺を警戒しているのだろう。下部構成員としては、妥当な行動だ。


「ほら、立つのだわ。急いで……といっても、無理か」


 相変わらず意識を取り戻す様子のない青年を、『淫魔』はハイヒールの足で乱暴に蹴り転がす。そのまま、ぼろぼろの青年を『扉』の向こう側に放りこむ。


 買い物袋を抱えたまま、『淫魔』は背後を仰ぎ見る。視界に、人影はない。


「チャオ」


 ビルの角の向こうで、息を潜めて様子をうかがっているであろう接近者に向かって、『淫魔』はいたずらな笑みを浮かべて、小さく手を振った。


 そのまま、きびすを返し、虚無空間を満たす闇のなかに自らも身を沈めていく。


『淫魔』がくぐると、『扉』はひとりでに閉まり、周辺に小さな電光とノイズが生じる。やがて、初めから何もなかったかのように『扉』は消滅する。


 数十秒後、アンダーエージェントたちが袋小路に踏みこんだときには、すでに痕跡ひとつ残されてはいない。


 彼らが発見できたものは、統括者であるエージェントの首なし死体とそれを食べようとした野良インプ、路上に投げ捨てられたラズベリーアイスだけだった。




 個人の私室に使うは大きめで、ダンスホールとするには物足りない円形の部屋。壁面にはアンティーク調の家具が置かれ、中央には天蓋付きのベッドがある。


 寝台のうえの空間に、小さなノイズと電光が走ったかと思うと、ぼろをまとった青年の姿がこつぜんと現れる。


 青年は、そのまま寝具のうえに落下し、小さくうめき声を上げる。


「ただいまー」


 少しの間をおいて、部屋の扉を押し開きながら、買い物袋を小脇にかかえたゴシックロリータドレスの女が入ってくる。


「あー……ベッドじゃなくて、床に転がしておけば良かったのだわ」


 薄汚れた青年の姿と清潔な白いシーツを見比べて、女──『淫魔』は独りごちた。


「しかし、まあ……どこをどれだけさまよい歩けば、これだけくたびれられるんだか」


 部屋の主である『淫魔』は、自分のお気に入りの天蓋付きベッドに歩み寄る。寝具のうえに仰向けで寝ころんだ青年は、微動だにしない。


「……じゅるり」


『淫魔』は、思わず舌なめずりをする。その口角が吊りあがり、顔には淫靡な笑みが浮かびあがる。


 一見すると死にかけの青年の内側には、驚くほど濃密な生命エネルギー──『導子力』と呼ばれることもある──が内在している。


『淫魔』には、それを直感的に理解できる。


「さあて、と。どうしたものなのだわ」


 ルージュを塗った肉厚の唇のしたに指をあて、『淫魔』は思案する素振りを見せる。


「私、行為に及ぶときは、いちおう、相手の同意をとる主義なんだけど」


 深い呼吸をくりかえし、胸板を上下させる青年が、目を覚ます気配はない。


「でも、薄汚れた男を愛でる趣味もないのだわ」


 くたびれきった青年を見るだに、入浴をしたのがどれほど前なのか想像するのも難しい。まずは、この男の身体を洗ってやるのが、優先事項のようにも思われる。


「うぅ……とはいえ、さっきセフィロトエージェントとやりあったから、私もお腹がすいたのだわ」


『淫魔』は、リボン付きの装束のうえから下腹部に手を当てる。まぶたを閉じて、しばしのあいだ、沈思黙考する。


「決めた。あれこれするまえに、まずはつまみ食いだわ」


 目を開いた『淫魔』は、にたりと笑う。


 前かがみになり、フリルで装飾されたスカートのなかに両手をつっこむと、白く細い指を自分のショーツにひっかける。


 衣ずれの音が響き、『淫魔』の太ももをすべって、スミレ色のショーツがスカートのなかから脱ぎ捨てられる。『淫魔』は、下着を無造作に床へと放り投げる。


「おとなりに失礼……と言っても、家主は私だけれども」


『淫魔』は、スプリングに両ひざを沈ませながら、寝台のうえに登る。キングサイズのベッドは、二人はおろか、三人以上で乗っても、なお余裕がある。


 真珠のような肌の手のひらが、青年の股間をなでまわす。ビクン、と震える生命力を感じて、『淫魔』は満足げに目を細める。


『淫魔』は、手の腹で青年の股ぐらを弄びながら、ひざ立ちでその身にまたがる。


「ぬふふふ。それじゃあ……いただきまぁす」


 わざとらしい、甘ったるい声音でささやきながら、『淫魔』ははやる心を抑えつつ、ゆっくりと腰を降ろしていく。


「う……ッ!?」


『淫魔』の動きが静止する。眼下の青年の瞳が、いつの間にか見開かれ、自分にまたがる女を見据えている。


 青年の視線に射抜かれ、『淫魔』の背筋に冷や汗が伝う。金縛りにでもかかったかのように、身体の動きが硬直する。


 まるで吸いこまれそうな青年の瞳は、星のない夜空のような、わずかに蒼みがかった漆黒の色をしていた。


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