【開門】
「観測さえできれば、一発で送り返してあげられるんだけど」
青年と女は、階下の部屋に戻り、ふたたび丸テーブルを挟んで座っていた。
女が二杯めの紅茶をティーカップに注ぐも、青年は手を着けようともしない。視線を伏せた表情は、ひどく落胆した様子だった。一言も、話そうとしない。
「あー……だいじょうぶ? よかったら、気晴らしにセックスでもする?」
冗談めかした口調で女が話しかけても、青年は沈黙し、返事はない。
「あとは……どこか住みやすい次元世界を探すとか? その気があるのなら、私も手伝ってあげるのだわ」
前のめりになりながら、しゃべり続ける女に対して、青年が顔をあげる。重く暗い視線に射抜かれて、女は思わずあごを引く。
女は、青年の長い沈黙が、単純な落胆とは違うことを理解する。媚びへつらうつもりはないが、また暴れ出されても困る。最悪、今度こそ命に関わる。
(意地でも、自分の次元世界に帰らなくちゃ、気が済まないわけか)
青年の意図に沿うプランを提案すべく、女も腰を据えて長考し始める。破壊の跡と投げ散らかされた衣類が散らばる円形の部屋に、重苦しい沈黙が満ちる。
やがて、女が肉厚の赤い柔唇を動かす。
「……地道に、足で『探す』という選択肢もあるのだわ」
「どういう意味だ……?」
青年の眉根が、ぴくりと動く。女の提案に対して示した、初めての反応だった。
「次元世界には、アドレスがある、ってさっき言ったわよね? あちこちの次元世界を巡りながら、アドレスを集めるのだわ」
「それが、俺の帰る場所と、どうつながる?」
「あなたの『蒼い星』が、観測範囲外、あるいは、なんらかの阻害要因に挟まれていると仮定して、他の次元世界経由の迂回路を探していくわけだわ」
「……──」
青年が、ふたたび口をつぐむ。女には、この沈黙が先ほどまでとは意味合いが違うと理解できる。
「あてもなくさまようよりは、マシじゃないかしら?」
女が、付け加える。青年は、テーブルのうえのティーカップを手に取り、満たされた甘ったるい紅茶で舌を濡らす
「パラ、ダイム……とか言ったか。他の世界に移動するのは、困難なことじゃないのか。おまえの口振りだと、ずいぶんと簡単なように聞こえるが」
青年の質問が、具体的な事柄に移る。女は、バストの谷間の奥で、しめしめ、とつぶやく。
「普通の人間にとっては、困難だわ。ほとんど、不可能といってもいいくらい……でも私にとっては、別」
女は、いすから立ち上がると、自分の真横に向かって手をかざす。青年が、目を見開く。空間に、ノイズと電光が走る。
「次元世界のアドレスがわかれば、観測できる。観測ができれば、次元世界へのノードを確立できる。確立さえできれば……」
やがて、なにもなかった場所に忽然と、古めかしい木製の『扉』が現出する。
「……こんな風に、次元世界に接続する『扉』を作り出すことができるのだわ。私なら、ね」
女は、若干、疲労の色を見せながら、青年に自慢げな視線を向けた。
「それで……そのアドレスとやらは、どうすれば手にはいるんだ?」
ふたたび、いすに腰をおろし、紅茶をなめる女に対して、青年が質問する。
「そうね。いくつか方法はあるんだけど、一番手っ取り早いのは……」
女は、セクシーナースコスチュームの窮屈な胸元を押し開く。バストの狭間にしまいこまれていた、銀色のカードを取り出して見せる。
輝きを反射する金属片の表面には、『SEFIROT corpration』と刻印されている。
「『セフィロト社』っていう連中の社員証だわ。こいつらも、次元世界間を移動する技術を持っている」
女は、ひっくり返して、プレートの裏面を見せる。そこには、女が『天球儀』のリングに刻みこんだものとよく似た紋様が、小さく、びっしりと彫りこまれている。
「ここに刻まれているのが、次元世界のアドレス情報だわ。これをかっぱらってくるのが、たぶん、一番手っ取り早い」
青年は、金属製のカードを手に取り、しげしげと眺める。
「『セフィロト社』ってのは、次元世界をまたいで活動している巨大企業のことだわ。ずいぶんと、手広く商売しているみたい」
「奪うことが前提なのは、何故だ? 穏便に譲ってもらうことは、できないのか?」
「あー……」
女は顔をしかめつつ、視線を空中に泳がせる。
「実際に会えば、交渉するより、かっぱらうほうが簡単だってわかるはずだわ」
青年は、ふう、と息を吐き出しつつ、金属片をテーブルのうえに置く。二人の真横に浮かぶ『扉』を、青年は指さす。
「これは、どこにつながっている?」
女は、にやり、と挑発的に笑う。
「もちろん、『セフィロト社』のエージェントがいる次元世界だわ。あなたがその気になれば、すぐにでも仕事に取りかかれるわよ」
「なるほどな……」
青年は、つぶやきながら、席を立つ。足取りには、妄執じみた力強さが宿っている。女は頬杖をつきながら、青年の横顔に語りかける。
「なんなら、進展があるまで、この部屋に居候させてあげるのだわ。もちろん、家賃はいただくけれど」
「カネは、持っていないぞ?」
「んなこと、見ればわかるのだわ。カラダで払ってもらうから、安心して?」
女が、わざとらしくウィンクする。青年は、重ねてため息をつく。
青年は、女の仕草を無視するように、虚空に浮かぶ『扉』の取っ手に触れる。そこで、思い出したようにテーブルのほうを振り返る。
「そういえば、まだ聞いていなかったか。おまえ、なんてていう名前なんだ?」
「……ぬふっ」
女は、よくぞ聞いてくれました、という表情を浮かべつつ、立ちあがる。
「リーリス、だわ。人は、私のことを『淫魔』とも呼ぶ」
『淫魔』リーリスが名乗り終えるよりも早く、青年は、『扉』に向き直る。
「わかった。それじゃあ、行ってくるぜ。クソ淫魔」
「ちょっと! 呼び方──」
開かれた『扉』の向こうには、暗黒の虚無空間が広がっている。青年──アサイラは、リーリスの文句から逃れるように、『扉』の先へと踏み出した。




