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【起床】

「ここは……どこだ?」


 青年は、うめきながら目を覚ます。彼が横たわっていたのは、いささか奇妙な場所だった。


 まるで王侯貴族が使うような、豪奢な天蓋つきのベッドに青年は寝かされている。寝台が設置されているのは、円形の部屋の、その中央だ。


 弧を描く壁沿いにはひとつ、大きめのソファがあり、そのうえに中身の詰まった買い物袋が放置されている。


 部屋の形状と家具の配置も奇妙だが、より不可思議な痕跡が目につく。


 壁にはいくつものひび割れ、砕かれた家具と食器が散らばり、床にしかれたじゅうたんは大きく引き裂かれている。まるで、何者かが暴れまわったかのようだ。


「誰か……いるのか?」


 青年は、ベッドのうえからあらためて円形の部屋の様子をうかがう。少なくとも室内には、自分以外の人間の姿はない。


 無人の部屋だろうか。だとしたら、誰が自分をここに寝かせたのか──青年は、眉間にしわを寄せて、思案する。やがて、もっとも重要な疑問にたどりつく。


「……俺は、誰だ?」


 青年は、自問する。答えを返す者は、いない。自分が何者なのか、どうにか思い出そうとする。脳裏に浮かぶ記憶は、いずれも曖昧で判然としない。


 実感の伴わない風景がフラッシュバックするなか、青年は、ひとつだけ深い実感を伴った思考をつかみ取る。


「俺は……どこかに、戻ろうとしていた。戻らなければ、ならない」


 それは、どこか。答える者は、いない。青年自身の記憶すら、肝心の答えを返さない。それでも青年は、己の記憶のなかをまさぐり続ける。


「……蒼い星」


 ぼそりとつぶやくように、しかし確かめるように、青年は独りごちる。


 そのとき、青年はどこからか水粒がしたたり落ちる音に気がつく。円形の部屋には、いくつか開け放たれたドアがある。部屋の外、廊下の向こうからか。


 やがて部屋のそとから、ぺたぺた、と裸足の足音が近づいてくる。開けっ放しのドアのひとつから、足音の主が部屋に入ってくる。


 青年は、上半身をもたげ、扉のほうを振り仰ぐ。


「ん。目、覚めたの?」


 足音と声の主は、女性だった。


 無防備にもバスローブを羽織っただけのシャワーあがりと思しき女は、青年を一瞥すると、気にする様子もなく天蓋つきベッドのわきを横切っていく。


 青年の鼻腔を、花畑にいるかのような香りがくすぐった。


「ここは、どこだ? おまえは、だれなんだ?」


 青年は、バスローブの女に尋ねる。女は、答えることなく、壁沿いのソファのうえ、買い物袋の横に、勢いよく身を沈める。


「あー……疲れた! 間違いなく、今日だけで三ヶ月分の労働だわ……」


 バスローブの女は、買い物袋の中身をまさぐると、ファッション雑誌を取り出す。青年の視線も気にとめず、脚を組み、ページをめくる。


 バスローブの合わせ目から、張りの良い艶やかな太ももが露わになる。その奥からのぞくヒップには、下着の類を身につけていない様が見て取れる。


 胸元からぞくバストは大きく実り、顔立ちも整っている。ただ、エメラルドを思わせる色合いの目元のしたには、くぼみのようなくまができている。


「男のまえで、そんなあられのない格好をするのは、どうなのか?」


 青年が問いかけると、バスローブの女は、じろりと、にらみかえす。


「他人のことを言うまえに、まず、自分のなりを確認すべきだわ」


 女性に言われて、青年はあらためて自分の身を確認する。寝具におおわれていた自分の肉体は、一糸まとわぬ全裸の姿だったことに、はじめて気がつく。


「とりあえず、あなたはシャワー浴びてきなさい! そのあいだに、なにか着るものを用意しておいてあげるから……ああ、あとでシーツも取り替えないと」


 バスローブの女が、首にひっかけていたバスタオルを投げつける。青年は、それをキャッチすると、寝台から降りつつ、自分の腰に巻き付ける。


 あらためて女のほうを見ると、ファッション誌に視線を落としながら、部屋の対面を指さし示している。指の先には、女自身が入ってきたドアがある。


 青年は、バスローブの女が指し示す通りに扉をくぐり、廊下へと出た。


「……ここには、ほかに誰かいるのか?」


 青年は自問しつつ、フローリングの廊下の床に、ぺたぺた、と足音を響かせる。


 現在、自分の置かれている状況がさっぱりつかめない。なにより、第三者とばったりあって、裸体を見られるのは気恥ずかしい。


「というよりも、あきらかに不審者じゃないか……」


 つぶやきつつも、青年は短い廊下の突き当たりにたどりつく。そこが浴室だと、すぐに気がつく。青年は、バスルームと脱衣所を隔てるガラス戸を押し開く。


 唖然とした。


 広めの浴室は、床から、壁面に天井、果てはバスタブまでパステルピンクを基調としたカラーリングまとめられている。


 あの女が使った直後だからか、室内には湯気が立ちこめ、照明が柔らかく揺らめき、メルヘンチックながらアダルティな雰囲気を醸成していた。


「ラブホテルか、なんかか? ここは……」


 青年は、呆気にとられながらも、シャワーノズルに手を伸ばし、湯滴を浴び始める。温度の具合はちょうどいい。


 蛇口のすぐ近くに石けんを発見し、借りることにする。泡立てると、バラの芳香が匂い立つ。バスローブの女から漂っていたのと、同じ香りだ。


「ここが、あの女の部屋だとするなら……女物でまとめられているのが自然、か」


 青年は、貴婦人のような芳香を漂わせるボディソープに居心地の悪さを覚えつつも、あきらめて肌を洗う。


 シャワーで泡を流し落としても、花の匂いが控えめに残り、なんとも疎ましい。


「まあ……仕方ないか……」


 青年が浴室を出ると、脱衣所の洗面所でドライヤーを発見する。


 簡単に髪を乾かし、全身をぬぐうと、着たときと同じようにバスタオルを腰に巻き、フローリングの床を裸足で歩きながら、部屋へと戻る。


「んーっ、と……確か、ここらへんにしまったはずなんだけど……あぁ、もう! 誰かさんが暴れたせいで、引き戸の立て付けが悪いったらありゃしないのだわ!」


 円形の部屋、壁の一部に備え付けとなっているクローゼットをまえにして、女が山のような洋服を引っ張り出している。


「お……あったのだわ! とりあえず、これ着ときなさい」


 女は、青年のほうを見ずに、ベッドのうえへ男物のジーンズとTシャツを投げる。


「男物の下着は……さすがに、ないか」


「あるわよ。私は、べつにノーパンでもかまわないんだけど」


 女が、意地悪そうな笑みを浮かべつつ、青年のほうを振り返る。ジーンズとTシャツのうえに、トランクスが放り投げられる。


「私のお下がりだわ。以前、メンズスタイルでキメようと思ったことがあってね。すぐに飽きて、タンスの肥やしになってたんだけど……」


「まさか、下着までメンズにしようと思ったのか?」


「んなわけないのだわ! こっちは、昔、連れこんだ男の忘れ物。もちろん、きちんと洗濯はしてあるわよ?」


 女の説明を聞いて、青年は眉間にしわをよせる。


「イヤなら、私は別にノーパンでもかまわない、って言ってるのだわ! それとも、私の下着をご所望なわけ!?」


 腰に手を当てながら頬をふくらませる女をまえにして、青年はため息をつく。服の提供者に背を向けて、もぞもぞと衣類を身につける。


「はぁい。服を着たなら、こちらへどうぞぉ」


 先ほどまでの不機嫌な声音から一転、女は、わざとらしく甘ったるい話し口で声をかけてくる。しなやかな手の先には、小型の丸テーブルとふたつのいすがある。


 青年は、洋服を身につけることで、あらためて相手を観察する余裕ができる。そして、めまいを覚える。


 女が身にまとっているのは、清潔感のある色合いの白衣でありながら、その造形はボディラインにぴったり張り付き強調する、ボディコンシャスに改造されている。


 いまにも下着が見えそうなマイクロミニスカートから伸びる脚を包みこむのは、扇情的に太ももに喰いこむガーターストッキング。


 すらりと伸びる脚の先には、ショッキングピンクのハイヒール。頭に着けた、医療従事者を示すはずの白帽も、このスタイリングでは、かえって冒涜的だ。


「はいはーい。患者さんは、早く座ってくださーい」


 セクシーナースコスチュームに身を包んだ女は、先に腰を降ろして脚組みすると、青年が対面の席に着くよう、促した。


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