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【亀裂】

「なんなのだわ、これ……」


 自分の頭上に、白い直線が伸びているのを『淫魔』は見る。はじめは、ワイヤーの類かと思った。


 違う。飛行機雲よりは近く、クモの巣よりは遠くにあるような、細いライン。


 視界を横切るように一本だけ走っていた極細の白線は、見る間に放射状へと広がっていく。『淫魔』は、破滅的な予兆を直感し、身構える。


──ぱりんッ。


 ガラスの割れるような音が、周囲に響く。砕け散ったのは、空間そのものだった。細いライン──ひび割れの入った部分が、弾け飛び、消滅する。


「……──ッ」


 脂汗が、『淫魔』の額に伝う。


 風景の一部が、砕けて、欠落している。不自然に欠如した領域には、インクで塗りつぶされたかのような、漆黒の空間が広がっている。


『淫魔』の背筋に本能の警鐘が鳴り響き、凍てつくような怖気が走る。


「……なんなのだわ! これッ!?」


 闇の割れ目のなかから、病的に膨れあがり、節くれ立った、蛸の脚のような赤黒の触手が這いだしてくる。


「ヒ──ッ!!」


 とっさに『淫魔』は、後ずさる。しかし、空間の欠落は四方八方に生じており、前後左右の闇の穴から、同様の異形が現出してくる。


 見る間に、『淫魔』の四肢と尻尾、双翼は異形の触手にに絡みとられる。


 魔性の蛸脚は、それだけでは飽きたらず、ドレスの内部へと潜りこむと、衣装と下着を引きちぎる (精神体の服飾は必ずしも現実の状態を反映しない)。


「んむ……ッ。んんああぁぁぁ!!」


『淫魔』は、あらんかぎりの魔力を背中の双翼にそそぎこむ。大きく力強く開いた漆黒の翼が、背中に絡みつく触手の群れを引きちぎる。


「あぁアァァ──ッ!!」


 乱暴に、『淫魔』は双翼を振り回す。鋭利な刃に触れたかのように、魔性の蛸脚が黒翼によって切断されていく。


 自らを犯し、拘束する触手を切除し、解放された『淫魔』は、空中でバランスを崩し、そのまま地面に向かって落下していった。




「あいたぁ──」


『淫魔』は、顔面から地面に突っこむ。乾いた土の平らな地面だった。


「う……げほっ、げぼおっ!」


 激しくせきこみながら、異形の触手が残していった病的な体液を、のどの奥から吐き出す。呼吸を整えながら、顔をあげ、あらためて周囲の様子を見回す。


 先ほどまで自分がいた、魔性の蛸脚に蹂躙された空間でも、黄昏に照らされた路地裏の商店街でも、あるいはそれが破壊されたがれきの山でもない。


 整地された広いグラウンド、その周囲を囲む植木とフェンス、無個性で平べったい箱型のコンクリート建造物……『淫魔』は、学校の校庭に転がっている。


 少なくとも、周囲に動くものの影も、人の気配もない。『淫魔』は、とりあえず、服についた土埃を払いながら、立ち上がる。


 服──?


 身につけていた衣装は、あの異形どもに、下着ごと引きちぎられたはずだ。にもかかわらず、『淫魔』は裸体ではない。慌てて、自身の身体を確認する。


「……げ」


 その身にまとっていたのは、『淫魔』のトレードマークである (と本人が思っている) ゴシックロリータドレスではない。


 三角形の独特な濃紺のえり、それと対比するような真紅のリボンタイがついた、白地のブラウス。下半身は、えりと色を合わせたプリーツスカート。


『淫魔』が身につけていたのは、学校制服と思しきセーラー服だった。


「やばいのだわ……このセーラー服、たぶんだけど、ここの学校の制服よね……」


 天を仰ぎつつ、『淫魔』はつぶやく。商店街にいたときよりも、さらに日が傾いている。制服姿の影が、異様に長く校庭に伸びる。


「私の存在が、侵食され始めている……このままだと、この内的世界(インナーパラダイム)に取りこまれてしまうのだわ……」


 様子をうかがうように、『淫魔』は背後を振り返る。敷地の校門は、閉まっている。まるで、『淫魔』が外へ出ることを拒絶しているかのようだ。


 あらためて正面を向くと、校舎の正門は大きく開かれているのが見える。


「……誘われているみたいだわ」


 うんざりした様子で、『淫魔』はつぶやく。とはいえ、無人の校庭で手をこまねいているのが一番まずい、とも同時に思う。


 慎重な足取りで、『淫魔』は校舎の正門に近づく。用心深く、内部をうかがう。


「入ったとたん、触手がうにょうにょ……は勘弁なのだわ」


 覗き見した先は、下駄箱が並ぶスペースだった。校庭同様に、人の気配はない。


「虎穴にいらずんば、虎児を得ず……だっけ?」


『淫魔』は、校舎内の探索を決意する。正門から踏み入り、下駄箱の狭間を通り抜ける。さいわい、物影から触手が飛び出してくる様子はない。


 土足のまま、『淫魔』は廊下にあがる。まっすぐ歩きながら、教室の様子を眺める。無数の机といすが整然と並び、しかし、人の姿はまったくない。


 廊下の突き当たりまで進むと、階段を登り、次の階で廊下を折り返して、教室のなかを眺めていく。『淫魔』は、これを最上階にたどりつくまで繰り返す。


「学校の怪談、みたいな都市伝説が産まれるのも、理解できるのだわ」


 太陽が、都市を囲む山の頂に接吻し、空は夕暮れの赤に染まっていく。照明を切られた無人の校舎内は、薄暗く、ひどく不気味な気配に満ちている。


 一通りの教室を確認し、そのすべてが無人であることを見届けた『淫魔』は、さらに階段をうえへと登る。


 突き当たりは、屋上へと出る扉だ。『淫魔』は、ドアノブに手をかける。


「こういうのって、普通、施錠してあるものだっけ?」


 予想に反して、ドアノブは難なく回転し、わずかなきしみ音を立てて開かれる。『淫魔』が屋上に出ると、夜の気配を含んだ冷涼な風が吹き抜ける。


「──ッ!」


『淫魔』は、息を呑む。屋上のフェンス前に、男子生徒と思しき制服姿の少年が、こちらに背を向けて立っている。


 ゆっくりと、できるだけ自然体な足取りで、『淫魔』は少年へと近づいていく。相手は、すぐに気配に気がついて、こちらへと振り返る。


 少年と『淫魔』の視線が、重なる。『淫魔』の脳裏に、目前の男子学生の表層意識がスキャンされる。


 なにを考えているのか、やや不明瞭なところは、ある。しかし、異常な妄執や狂気のようなものは、ない。


 商店街の連中に比べれば、ひどくまっとうな人間の精神だ。


(『淫魔』ともあろうものが、人恋しさ、なんておぼえるとはね……)


 安堵の念を覚えた『淫魔』は、人知れず胸をなでおろす。そんな様子の女子生徒を、男子学生は怪訝そうな表情で見つめ、首をかしげる。


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