【喝破】
「あー……ごめんなさい、なのだわ。私、別に、敵対の意志はなくて……」
ひきつった笑みを浮かべながら、『淫魔』は手のひらを住民のほうへと向ける。
商店街の路地にいた住人が、ぞろぞろと『淫魔』のもとへと集まってくる。皆、一様に虚ろな視線を宙に漂わせ、ゾンビのごとき緩慢な足取りだった。
気が付けば、円を描くように人垣が出来上がり、『淫魔』は完全に包囲される。
「とっさのことで、驚いちゃったというか……できれば、私、あなたたちとお友達になりたい、というか……なんて、キレイ事ならべても、もう意味なさそうだわ」
作り笑いから一転、『淫魔』は周囲の住人たちをにらみ返す。狂気をたたえた虚ろな瞳は、しかし、明確な敵意の光を宿している。
「おまえは誰だ」
住人の一人が口を開き、抑揚のない声を発する。連鎖するように、他の人々も機械的に言葉を口にしていく。
「我々はかえる」「おまえは我々ではない」「おまえはいらない」
無感情ゆえに、逆に怨嗟に満ちた波長の音声が『淫魔』の脳髄を揺さぶる。
「うゥ──ッ」
めまいと頭痛を覚え、『淫魔』はとっさに両耳をふさぐ。それでも、住人たちの呪詛の唱和は止まず、『淫魔』の脳内へと直接に響きわたる。
ゴシックロリータドレスの表面に、ノイズが走る。
『淫魔』は、怨嗟の不協和音が、自身の精神体を侵食し、分解、排除しようとしていることに気がつく。まるで、生物体の免疫反応のように。
「あぁ、そうだったわね。私としたことが……内的世界で、物理法則にすがること事態が、ナンセンスだわ……ッ!」
耳に当てていた手のひらを離し、『淫魔』は人垣の正面に立つ老人をにらむ。視線を介して、攻撃性の思念波を遠慮なく叩きつける。
「──ひギャッ」
老人は、無感情な叫び声をあげる。その身体は、風船のように膨張し、弾け飛び、やがて塵のように消滅する。
「あらあら、ずいぶんとあっけないのだわ。自慢できるのは、数だけかしら?」
挑発するような素振りを周囲に見せつけながら、『淫魔』は思案する。
独立した人格を持つ精神体としては、あまりにもろい。攻撃したさいの手応えすら、ほとんどなかった。
存在しているようで存在していないような矛盾した感覚に、『淫魔』は動揺する。
同時に『淫魔』は、排除対象から予期せぬ反撃を受けた住人たちもまた、たじろいでいる様子に気がつく。
「我々を傷つけた」「やはりおまえは我々ではない」「我々をかえせ」
群体のようにうごめく人垣は、あとずさり、包囲の円を乱しながら、いっそう激しく間断なく、非難の声と呪詛のうめきを投げつけてくる。
平衡感覚が狂うほどに精神を揺さぶられながら、『淫魔』は自分自身の頭を、ぶんぶん、と左右に振って、己を叱咤する。
「精神世界で、この私から優位をとれるとは思わないことだわッ!」
開き直るかのように、『淫魔』は叫んだ。
「さあ、次はどんな小細工を見せてくれるのかしら?」
煽るような視線で一瞥しながら、『淫魔』は両手を広げて、群衆に語りかける。
虚ろの住人たちは、互いに目配せを交わすと、とたんに統率を取り戻す。ふたたび、人垣が隙間のない円形を描く。
身構える『淫魔』に対して、円陣の直径が狭まる。無数の人々が、異物を組み伏せようと、一斉に群がってくる。
「かえせええぇぇぇ──」
華奢な『淫魔』の肢体が、無数の手に絡めとられて、アスファルトで舗装された地面に組み敷かれる。
十数人分の体重で抑えこまれた『淫魔』は、群衆に対して、にやり、と笑う。
「どんな手を隠しているのかと思ったら、ずいぶんと安直な選択だわ」
次の瞬間、拘束されたはずの『淫魔』の身体が、人々の下からかき消えていた。虚ろの住人たちは、慌てた様子で周囲をうかがう。
「この私が、幻覚のひとつも操れないと思ったのかしら? それも、内的世界のなかで」
人垣の外側から、『淫魔』の声が響く、群衆は、一斉に声の主の方角を振り向く。余裕めいた表情で腕組みする『淫魔』が、人々を睥睨する。
「……かえせ」
背後のコンビニから飛び出してきた店員が、『淫魔』を羽交い締めにする。
「かえせかえせかえせ」
群衆のなかから、肉屋の店主が飛び出す。その手には、大振りな包丁が握られ、『淫魔』のみぞおちに刃を突き立てんと突っこんでくる。
「グリン──」
フリル付きのスカートの影から、黒蛇のようなものが伸びる。『淫魔』の尻尾だ。腰部に生えた第五の四肢は、鞭のように一閃する。
黒い尾は、包丁を握った肉屋の右手首にからみつく。巻きつく黒蛇は、『淫魔』を迂回するように、突進のベクトルをずらす。
「ゲびぇ──」
『淫魔』の耳元に、無機質な悲鳴が響く。肉屋の包丁は、コンビニ店員の脇腹に深々と突き刺さっていた。
羽交い締めがほどけ、コンビニ店員は孔のあいた風船のようにしぼみ、塵と化す。
「さぁて、と。邪魔者は、さくさくと排除していくのだわ」
動揺する肉屋の利き腕を、尻尾のみでひねりあげる『淫魔』は、バス通りの方角から迫る新たな敵意を感知する。
警察官が、商店街へと駆けてくる。警官は、一切の躊躇なく腰のリボルバー拳銃を引き抜くと、『淫魔』に向かって、銃口を向ける。
「非武装の相手に、無警告で銃を突きつけるのは感心しないのだわ」
機械のような迷いなき動作で、警察官の指がトリガーを連続して引き、ゴシックロリータの女に全弾を発砲する。
「ギャぬ──ッ」
黄昏の路地裏に、無感情な断末魔が反響する。『淫魔』は、捕らえた肉屋の店主を、自身の前に盾のように掲げていた。
でっぷりとふくらんだ店主の腹に、五つの穴が空き、その身体から空気が抜けるようにしおれていき、やがて塵となって消滅する。
「警察官って、予備の銃弾を持ち歩いているものだったかしら。それとも、次は警棒でも使うつもりか……むっ」
警察官の背後の大通りに向けて、『淫魔』は目を細める。轟音を立てながら走ってきた大型トラックが、直角にターンして、路地の商店街へと突っこんでくる。
「あなたたち……同胞意識があるんだか、ないんだか、理解不能だわ」
クラクションを鳴らし続ける大型トラックは、路地には大きすぎる車体を、左右の家屋と接触させ、破壊しながら猛進する。
一方通行の標識と特売セールの看板をなぎ倒し、人垣を形成していた群衆をはね飛ばしながら、大型トラックは『淫魔』へと迫る。
「──ふんッ!」
背中の双翼を大きく広げ、『淫魔』は垂直に急上昇する。目標を見失ったダンプカーは、そのまま突き当たりのビルへと正面衝突する。
大型トラックの燃料に引火し、爆発する。五階建ての中規模なビルは、大仰な悲鳴をあげながら、崩壊していく。
ふたたび地上へと降下した『淫魔』が、がれきのうえに立つと、周囲には動く人の気配はなくなっていた。
「やはり、おまえは我々ではない──」
どこからともなく、声が響く。誰かが話しているのではなく、まるで空間そのものが鳴動して、言語を紡いでいるようだ。
「我々はかえる」「だが、おまえを排除できない」「ならば──」
頭上で、ぴしっ、という甲高い音が鳴るのを、『淫魔』は聞く。
「──おまえが、我々に、なれ」
とっさに『淫魔』は、黄昏に染まる天を仰いだ。




