第2章 お静伝説物語 2-2 兄弟
天正10年[1582年]6月、織田信長が明智光秀の謀反によって本能寺で討たれた。
この時、柴田勝家らは上杉軍との戦の最中で、本能寺の変を知ったのは数日後のことだった。柴田勢は本拠地に戻ったものの、信長の弔い合戦に出遅れ、明智軍と刃を交えないまま、戦は終わった。弔い合戦の手柄は、羽柴秀吉が取ったのである。
筆頭家臣の勝家は、今後の織田家の体制を決めるために織田家重臣を召集した。本能寺の変から25日後、勝家の他、秀吉、丹羽長秀、池田恒興の4人が尾張の清洲城に集まる。この4人の合議によって、織田家の家督相続と領地の再配分が決められたのである。
清洲城から戻った勝家は、居城の北ノ庄城に勝豊を呼び出した。
勝豊は直ちに北ノ庄城へ向かい、城の一室で待っていたが、勝家はなかなか現れない。
勝豊は、何を言われるのかと不安な気持ちで待っていた。
勝豊は、元々荒々しい養父の勝家が苦手であったため、心を通じ合う関係でなかった上に、最近は勝家から冷遇されていた。そのことが、勝豊をそんな気持ちにさせていたのである。
ところが、勝豊の気持ちとは裏腹に、上機嫌の勝家が現れた。そして、開口一番、「お市様を正室に迎えることになった」と、言った。
「お市様は未亡人といえども、信長公の妹君。とても、釣り合いません。それに妻と離縁となれば、義父の稲葉貞通殿に話をしなければ……」
勝家は、勝豊の言葉を遮った。
「何を言っておる。お前の妻にするのではないわ!」
「では、誰に? まさか勝政?」
勝政とは勝山城主であった柴田勝政のことで、勝豊と同じく勝家の養子だった。勝政と勝豊は従兄弟同士だったが、そりが合わず、非常に仲が悪かった。
「儂じゃ。お市様は儂の正室になるのじゃ」
勝家の発言に、勝豊は、勝家の機嫌が良い理由を理解するのと同時に驚いた。還暦を迎えた勝家が、二回り以上年下で主筋の絶世の美人を妻にするというのだから、勝豊が驚くのも無理もないことだった。
「今日、お呼びになったのは、お市様との婚礼を取り仕切れとのことでしょうか?」
「それは他の者に命じる。お前を呼んだのは、他のことでだ」
緊張と不安が入り混じる勝豊に、勝家は話を続ける。
「お前に長浜城を任せようと思ってな、それで呼んだのだ」
「長浜城は、秀吉の居城ではありませんか」
「実はな、先日の清州の会議で、儂は越前一国の安堵に加え、秀吉の長浜城と北近江3郡を取ったのだ」
勝家は秀吉から分捕ってやったかのように話し、続けた。
「丸岡城から長浜城へ移ることになるが、城は大きくなるし、領地も増える。良い話であろう」
「長浜は北国街道の要衝の地、そこを任せていただけるのは、ありがたきことにございます」
「そうか、承知するか。秀吉は早々に城を引き渡すと申しておる、急いで準備せよ」
勝豊は深々と頭を下げて礼を言うと、北ノ庄城を後にした。
丸岡城へ帰城の途中、勝豊は馬上で考えていた。
(確かに長浜城へ移れば、領地も大幅に増え、城も立派になる。城下も栄えているので、運上金も期待できる。だが、北ノ庄からは遠くなる……。果たして、これで良かったのか……)
勝豊は、要衝の地を任されたのは勝家の信頼の証と思う一方で、家督相続から外されてしまうのではないかと、心配もしていた。
勝家には、5人の養子と1人の養女、庶子であるものの2人の実子がいた。
その中でも、勝豊は勝家の最初の子だった。40歳近くになっても子供のいなかった勝家は、吉田家に嫁いだ姉に請い、姉の子である勝豊を養子にしたのだった。
家督を相続させるために、勝豊を柴田家に迎えたにもかかわらず、勝家は後に勝敏と名乗る妹の子であった於国丸を貰い受け、権六と呼んで可愛がった。更には、勝里と勝忠という実子も生まれ、勝家の腹違いの兄の子・勝春も養子にしていた。
それでも、年長者の勝豊は丸岡城主を任され、京都御馬揃えにも勝家と共に上洛した。まだ嗣子として遇されていたのである。
ところが、天正8年[1580年]に始まった、勝家が率いる織田北陸方面軍と加賀一向一揆勢との戦が風向きを変える。
この戦で、佐久間家に嫁いだ勝家の姉の子・佐久間盛政が、勝家の与力として参戦し、信長から加賀一国を与えられるほどの活躍をした。盛政に従って戦った弟の佐久間勝政も戦功を挙げた。この武勇に惚れ込んだ勝家は、勝政を養子にして勝山城主に据えたのだった。
勝家は、鬼玄蕃の異名を持つ盛政を非常に頼りにし、勝政の弟・佐久間勝之も養子に加え、勝豊よりも勝政を重用するようになっていたのである。
佐久間兄弟が柴田家で幅を利かせるようになり、勝豊の家督相続を当然視しない状況が生まれていた。そんなときに、勝豊は北ノ庄から遠く離れるように勧められたのである。
勝政に家督を継がせるために、体よく追い払われたのではないかという疑念が、勝豊の心の中に生まれていた。
勝豊は長浜城主に選ばれた理由を図りかねていたが、勝家の真意は適材適所だった。
北近江は、北に越前の勝家領、東に美濃の織田信孝領、南に近江の三法師領、西に琵琶湖と接していた。周りに、敵対する勢力はいなかった。武力に優れた者を長浜城主にする必要性が、なかったのである。むしろ、力で統治するよりは、交渉事に優れた者の方が商業で栄えていた街には向いていた。それで、勝家は領地を無難に経営する勝豊に白羽の矢を立てたのだった。
勝豊が馬上で思い悩んでいるうちに、勝豊一行は丸岡城の近くまで来ていた。
一行が城門近くに来ると、脇から二人の若者が飛び出してきて一行の前に土下座した。
「若様、お静の息子です。十五になりました。お約束通り、侍にお取り立てください」
勝豊が声の主を見ると、酷くみすぼらしい格好をした若者二人だった。二人とも、体は小さくやせ細り、垢が溜まった肌は黒ずんでいた。離れていても、異臭が鼻につく。
異変に気が付いた従者の侍が飛び掛かり、二人を組み敷く。それでもなお、若者は声を上げ続けた。
「人柱に立った母のお静をお忘れでしょうか」
勝豊は、その言葉で7年前の出来事を思い出した。
(あの時の子か。確かにあの時は家臣に取り立てると言ったが……。まさか乞食のような者が現れるとは思わなかった。このような者を家臣にしたら、佐久間兄弟に笑われるのは必定)
従者の一人が勝豊に聞く。
「若殿、いかがなさいますか」
「そのような者は存ぜぬ」
それを聞いた若者は、ヒョウタンを掲げて訴える。
「これが約束の証のヒョウタンです。お確かめください」
「そんな物、知らぬわ。二度と現れるでない!」
勝豊は怒気を含んだ大声で言い放つと、馬を降りて城門に入った。
若者は従者に抑え付けられながらも、勝豊の後ろ姿に向かって必死に訴え続ける。
「お待ちください。どうか、どうかお約束をお守りください」
勝豊が門の中に消えても、若者の訴える声は何度も響いていた。
執拗に約束の履行を迫る若者の態度に辟易した勝豊は、このまま捨て置いては悪評が立ちかねないと判断し、従者の一人に耳打ちした。
「門の外で騒いでいる二人を始末せよ。ただし、内々にな」
従者は黙ってうなずき、門に向かった。