第2章 お静伝説物語 2-1 お静
天正3年[1575年]、柴田勝家の嗣子である柴田勝豊は、坂井平野の東側に連なる山の麓に築かれた豊原寺城で、絵図面を挟んで老臣と向き合っていた。
絵図面は、この城から半里[2キロメートル]ほど西にある丸岡の丘に築いている城の縄張りであった。勝家から新しい城の普請奉行を命じられた勝豊は、老臣と築城の進捗状況を老臣と話し合っていたのである。
「空堀、土塁の普請は順調に進んでおりますが、天守台の石垣が何度積んでも崩れ、進んでおりませぬ」
工事の遅れを報告する老臣は、古くから柴田家に仕える家臣で、二十歳にもなっていない城主の勝豊を補佐する役目を負っていた。
二人が顔を突き合わせて思案しているところに、丸岡の築城現場で差配役をしている家臣が飛び込んできた。
「若殿、大変です。石垣がまた崩れ、怪我人が出ています」
「またか!」
勝豊と老臣が同時に声を上げた。
「丸岡での築城は、信長公のご下命であるから、できぬでは済まぬ。何とかならぬのか」
勝豊は苛立ちながら言った。
「……」
差配役が答えられずにいると、老臣が割って入った。
「最早これは、打ち取った一向門徒の亡霊の仕業と考えるしかありますまい。手立てを講じなければ、何度石を積んでも同じことになりまする。」
「手立て申すが、何をすればよいのだ。策はあるのか」
と、勝豊は老臣に聞いた。
「古来より困難な普請のときには、人柱を立て、その霊力で災いを防いでおりまする。此度の普請でも、人柱を立てるしなかないと存じまする」
勝豊は、それで上手くいくのかと疑ったが、他に策が無い以上、老臣の助言に従うしかないと思い直し、差配役に命じる。
「聞いていたであろう。人柱を立てるゆえ、人柱に立つ者を探してまいれ。ただし、無理強いはいかん。村人を無理やり人柱にすると、一揆が起こるかもしれぬからな」
死ぬことを承諾する者など、そうそういるはずもない。差配役は、困ったことになったと思いながら立ち去った。
それからしばらくして、勝豊が丸岡の築城現場を視察していると、差配役が勝豊の前に進み出てきた。
「若殿、人柱に立ってもよいという女がおりました」
「本当か!」
勝豊は思わず大声を出した。探せと命じたものの、自ら犠牲になる者など見つからないのではないかと思い始めていた勝豊にとって、それは予期しない報告だった。
喜ぶ勝豊を前にして、差配役は続ける。
「ただし、若殿に直接お願いしたいことがあるそうです。それが叶えられるのであれば、人柱に立ってもよいとのことです」
「何の願いかわからぬが、話は聞こう」
「実は、直ぐ近くに控えさせております。ここ連れ出してもよろしゅうございますか?」
頷く勝豊を見た差配役は、女と二人の男児を連れて来きて跪かせた。
女はやせ細った体の上にボロボロの着物をまとい、肌に艶無く、髪は伸び放題で乱れていた。まだ20代にもかかわらず、酷く老けて見える。
二人の子供も同じ様なもので、擦り切れた着物を着て、顔は垢で薄汚れていた。
一見して、この親子が生活に困窮している様子が見て取れた。
「この者が人柱に立ってもよいと申し出た、お静という女です」
差配役がそう言うと、勝豊は跪いた親子を見据えて言った。
「人柱に立つというのは誠か? 願いがあるそうだが、聞くゆえ、言ってみよ」
お静は、深い皺が刻まれている顔を上げて言う。
「夫と死に分かれ、見ての通り、食うや食わずの暮らしをしています。片眼は病で見えなくなり、いつまで生きていられるのかもわかりません。私はもういいのです。ですが、この子らには……。この子らには、こんな暮らしをさせたくないのです。どちらか一人で構いませんので、どうか侍にお取立てください。この願いが聞き入れられるならば、この身を捧げます」
「その方の覚悟のほど、よくわかった。ところで、その子らは幾つであるか?」
「七つと八つにございます」
「家臣にするには幼すぎるゆえ、十五になったら、どちらか一人を取り立てるということで、どうであろう。それなら叶えてつかわす」
お静は直ぐに子供を引き取って欲しかった。けれど、侍にさせる道がそれしかないのであれば、仕方がないと思い直し、答えた。
「それで結構でございます。必ず、必ず、若様の家臣にお取立てください」
「約束は違えぬ。その証として我がヒョウタンをつかわす。十五になったら、ヒョウタンを持って訪ねて参れ」
勝豊はそう誓うと、腰に下げていたヒョウタンの水筒をお静の前に投げた。そして、脇に控えていた差配役に聞いた。
「人柱を立てる準備は、できておるのか」
「明日には行えます」
「では、明日行うこととする。その親子にはできる限りのことをしてやれ」
勝豊はそう言い残すと、築城現場を後にした。
翌日、お静と二人の子供が天守台の下に連れ出された。
お静は真新しい白い着物を着せられ、髪も綺麗に整えられていた。二人の子供も新しい着物を着せられ、小奇麗にされていた。
「母ちゃんはいなくなるけど、兄弟助け合ってしっかり生きるんだよ」
と、お静は言って、二人の子供を抱きしめた。
「母ちゃん、死んじゃ嫌だ」
昨日は事情を呑み込めていなかった子供たちが、泣きながらお静に抱き付く。
親子はしばらく抱き合っていたが、差配役に促され、お静は立ちあがった。
「十五になったら、若様が侍にしてくれるからね。ヒョウタンを持って若様を訪ねるんだよ。これだけは決して忘れるんじゃないよ」
お静にしがみ付く子供が人足たちによって引きはがされ、お静は天守台を登って行く。
「母ちゃん、行っちゃ嫌だ」
「侍にならなくてもいいから、母ちゃん戻って来て」
子供たちの声が、お静の歩みを遅くする。
お静は天守台の上まで登ると、振り返って人足に抑え付けられている二人の子を片目に焼き付けるように見つめた。
「阿弥陀様の下で、母ちゃんは見てるからね。二人とも幸せになるんだよ」
と、お静は言い残して、天守台に掘られた穴の横に置かれた棺桶へ向かう。
お静は棺桶の中に入れられ、蓋が閉められた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、……」
お静が唱える念仏が響く中、棺桶が穴に据えられ、土が被せられてゆく。棺桶から聞こえる念仏は、段々小さくなり、土の中に消えた。
翌年、城は無事に完成した。勝豊は豊原寺城を出て、丸岡城と名付けられたこの城の城主になった。