1-3-2・オカモトはミート・ザ・デーモンズ〈後編〉
執筆者No.004
鬼にはゴムが有効である。このことにいち早く目をつけ、世界へ進出したのが日本最大のゴム製品メーカー、岡本株式会社である。
人間は、命の危険を感じた時、自分の身を守るために全てを捧げる生き物である。岡本社が製品化した対鬼用ゴムゴムボールは世界中で飛ぶように売れ、岡本社はあっという間にアップル・アマゾン・マクドナルドなどと並ぶ世界の超大企業へと成長した。岡本株式会社代表取締役社長であるオカモトミノスケは、「鬼への対抗手段である木のコンドという名前を聞いたとき、なぜか私の時代がきたと思いました」と語っている。
このゴムゴムボールによって、一般の人々でも鬼と出くわした際に自分で自分の身を守ることができるようになり、国連の軍隊はゴムの防壁を張り、ゴムの装備で警備にあたった。その後、ヨーロッパ・アジアにも進出したが、各地域で同様の措置が取られ、鬼の被害はほとんどなくなった。
そうしてここ数ヶ月では、なぜか鬼が減少しているという。ゴムには鬼を寄せつけない性質はあるが、鬼を殺すことはできない。鬼が減少している原因は現在調査中であるが、人々は鬼の恐怖から解放され、復興へと動き始めていた。
ところが、戻ってきた平和に対する安堵のため息の中に、一人の男の舌打ちが聞こえた。その主はミノスケである。ゴムゴムボールを始めとした対鬼用グッズで力を伸ばした岡本だが、鬼の被害がなくなればそれらは売れなくなり、一気に経営不振となるだろう。実際に、すでに売上はどんどん下がり、このままでは今年中にも赤字になるだろう、というところであった。アフリカや中東などの地域で避妊具の普及を進めたり、ゴムゴムボーリングをオリンピック種目に推薦したりするなど、本来の産業を世界で行っているものの、それだけでは対鬼用グッズで空いた穴を埋めるにはとても及ばず、世界中へ展開してしまった以上、引くに引けない状況となってしまっていた。
その上さらに追い打ちをかけるかのように、ミノスケが仕事で家族と共に出かけた東京で病に倒れたという。詳細を知っているのは実之助の一人息子だけであるが、彼が詳しいことを一切話さないために、病名や入院先の病院など何も分からないままであった。分かっていることは、半年は入院をしなければならないことと、妻のオカモトマユコ(旧姓トヨタ)も共に入院中であるということだけである。
長野県の飯田へ移したばかりの岡本本社は突如舵を取る者がいなくなったためにパニック状態となり、その混乱は世界にも影響を及ぼしていた。世間では、「岡本社もこれで終わりか」「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」とささやかれる始末であった。
*
そして今、ミノスケの実の一人息子(人呼んでオカイツ……?)は夜の公園で二匹の鬼と対面していた。日本、ましてや海に面していないこの長野県飯田市には、決しているはずのない鬼である。
もう秋も半ばを迎え、この時間帯ともなれば気温は摂氏15度を下回っていた。丘の上の公園から開けた夜空の星々は、〇・〇一ミリメートルのゴムのような薄い靄にその輝きのほとんどを奪われていた。辺りには、秋の虫の声に混ざって少し場違いな小鳥のさえずりが響いていた。
オカモトは身震いした。マッスルのコートしか身につけていないオカモトだが、肌寒さ以上に体の中から冷えていく感覚を味わっていた。
オカモトの隣で、鬼を見つめたまま固まっているアナヤは、昔、父・イカリから聞いた自分の名前の由来と、目の前の鬼とを心の中で照らし合わせ、あからさまに表情を引き攣らせていた。
〈男なら、なんで女を抱いてやんなかったんだろうな〉
その言葉を父から何度聞いたことだろう──ここへ来る途中に、アナヤの大好きな尾崎豊の「卒業」で声を枯らしていなければ、“あの言葉”を大声で発していたに違いない。
小鳥のさえずりをJアラートと勘違いしているのだろうか。暗闇の中、ダンゴムシのポーズのまま2人をきっと睨んでいる鬼。人を見つければすぐにでも襲いかかると聞いていたが、睨むばかりで一向に動く気配がない。オカモトは深く息を吸い、心の中で激しく踊っているむき出しのマイク・タイソンを落ち着かせた。そして、静かに、アナヤに語りかけた。
「アナヤ、どう見る」アナヤの神がかった洞察力を信じて疑わない声だった。それに対し、アナヤはだんだんと大きくなっていた小鳥のさえずりに負けない程度に小さな声で答えた。「あれは、一見ダンゴムシプレイに見えるがそうじゃない。おそらく弱っている。ケガをして動けないからああして一番安全なダンゴムシのポーズをとっているんだ。……だけどなんだろう、それだけじゃないような……」若干の引っ掛かりを残しながらも、アナヤはこの暗闇で、“自分の名前の目の敵”である鬼に対しても、その洞察力をしっかりと発揮していたのだ。
それを聞いたオカモトには、ある漠然とした考えが浮かんだ。勉強と、フジさんを始めとする女を愛し、日々女の事と愛とは何かくらいしか考えていない普通の男子高校生であるオカモトだが、これでも世界を股に掛ける超大企業岡本の御曹司である。毎晩のように、昨夜のような夢を見て、親の束縛から解放されればすぐにエロ本を読み、アダルティーなビデオを見まくり、街に出向いて、いけないお店で“夜”を満喫するような男であるから、やはり子供にとって親や周りの環境というのは大きいのかもしれない。何はともあれ、今となっては、両親のいない間、岡本社の指揮を執らなければならない──という立場に置かれているオカモトが考えることといえばただ一つ。
目の前にいる鬼を利用して、対鬼用グッズ産業を復活させ、岡本社の経営を立て直せないかという事だ。
もちろん具体的にどうすればいいかまるで見当もつかないし、そもそも鬼を利用するということは、人々の元に訪れた平和に再び日々を入れようという、非人道的な行為に他ならない。オカモトの心は大きく揺れていた。
一方、そんな岡本の思索は気にも留めず、じっと鬼を見て考え込んでいたアナヤは、なにかに気づいたように「あっ」と声を上げた。
「どうしたんだいアナヤ」「オカモト、分かったよ。あの鬼はケガをして苦しんでいるだけではない。この公園に響き渡っている小鳥のさえずりにも苦しんでいるんだ!」それを聞いて耳をすませたオカモトの頭に、ある光景が鮮明に蘇ってきた。──振り返った時になびいた黒い髪、僕が勉強をやるようになったあの夜の日、そして何度も何度も脳に鳴り響いた《ありがとうございます》──。
「これは小鳥のさえずりなんかじゃない!フジさん──フジさんの声だ!!」オカモトは思わず叫んでいた。
「おいおい。いくらフジさんが好きだからってそれはキモ」「キモいわ」
アナヤのセリフは小鳥のさえずり──否、フジさんの声に奪われた。見ると、公園に立っている「野党第一党 アナヤ党 代表 ティンパニ王子 TEL……」と書かれた看板の上に、フジさんが立っていた。
「フ……フジさん、なんでここに」オカモトの問いを無視して、フジさんは鬼を睨んだ。
次回は2月1日木曜日午後七時掲載予定だに。