5
窓枠に足を掛け、壁に指を掛け、蹴るように昇った。
影と呼ばれた時は、革命軍の暗部を担っていた。
切り立った崖を何度も昇り、木の上を飛び交い、無理を通して戦い続けた。
堆く積まれた修練のお陰で、無音で屋根まで昇った。
屋根から屋根へ飛び、屋根から壁に移り、天を目指した建物を踏破した。
教会の屋根に上り、勾配を利用して飛んだ。
宙に浮いた瞬間に、鉤付き縄を飛ばして、塔の屋根に引っ掛けた。
力任せで昇り、塔に突き立てられた鼠頭の亜人の死体に辿り着いた。
近くによるだけで吐き気がする悪臭だった。
すぐに魔法を解除してやろう――そう思ったとき、死体の奥で何かがいた。
俺が気づかないとは――驕りではない、相手の強さに驚いたのだ。
俺は剣を抜いて、死体の奥にいる何者かに殺意を向けた。
「何者だ」
闇夜に消える服装は漆黒で、同じ様な臭いがした。
「関係ないだろ」
女の声だ。
「フラニーか」
短刀が煌きながら飛んできた。
瞬時に叩き落すと、殺意が交錯した。
義賊として名高い怪盗で、金持ち相手なら無差別に奪いつくし、貧困層に金をばら撒いた。
「金持ちが嫌いだった訳でも、不当に搾取しているとも思っていなかった」――フラニーは刺激を求めて盗んだだけだった。
一歩間違えば火刑にさらされる……そんなヒリヒリとした感覚、身体の芯から燃え上がる情熱に突き動かされていたそうだ。
「何故、名前を知っている」
「さあ、アナタの名前を知っている俺は誰でしょう?」
フラニーは俺に忍びの技術を叩き込んでくれた師匠の一人だ。
革命軍には早い段階から参加しており、俺が参加したときに血反吐が出るほどに鍛え上げてくれた。
二歳上の姉さん肌で、俺を実の弟のように育ててくれた。
革命軍暗部の二代目頭目として推薦してくれたのも彼女だ。
だが裏切った。
理由は分からないが裏切り、散々育て上げた弟子たちを殺し、魔王が死んだときに後追い自殺をした。
魔王軍に行ってから短い間だったが暗部の質を改善させた。
おかげで鳥王との闘いは熾烈を極めた。
「……さて」
フラニーは布越しで表情を歪めた。
「好奇心で死体を見にきたら、変なことになったものね」
俺の身体は熱くなっていた。
彼女は裏切って、自殺して、俺が報復する機会がなかった。
報復できる――から熱くなった訳ではない。
俺という石ころを、切って、磨いた女と力比べをしたかったのだ。
「左目の下に涙黒子があるのも知っている」
「お前――政府の人間か」
フラニーは布を剥がした。
真っ白な肌と、黄金の髪が乱れ、冷たい表情が現れた。
師匠と弟子だったが、一度抱かれたこともある。
魔王の後追い自殺をしたと聞いたときは、少し嫉妬した。
「そうだと言ったら?」
「……死んで」
屋根を三度蹴るように走り、一気に間合いへと入ってきた。
昔が義賊と聞いたが、それなりに武術も会得していたようだ。
だが革命軍で鍛えられた武術の片鱗はどこにも無かった。
二度短刀を振られたが、手に拳を当てて封じた。
鳩尾に拳を叩き付けて、屋根を転がした。
「少しガッカリだな」
「なに!」
フラニーは顔面を真っ赤にした。
よほど悔しいようで、歯軋りをしている。
「遅い、鈍い、弱い」
フラニーが手を少し動かした。
手から楔と鉄線が発射された。
風の魔法石を鍛えて作った射出装置だ。
壁などに打ち付けることで、迅速な移動を可能にする。
今回は武器として使ってきたようだ。
俺は元ネタを知っているので難なく避けた。
「馬鹿な」
フラニーはその場でへたり込んだ。
俺を育て上げたフラニーの見る影もなかった。
俺が近づくと、怯えた表情を見せた。
「やめろ……」
胸を隠すように腕を構えていた。
「いや、そんなつもりは無かった」
疑うような眼で見上げてきた。
「捕まえるんでしょ」
--俺の思考が間違ってました。
「あー、そっちか。捕まえる気なんてさらさら無い」
「……ありがとう」
「ちょっと腕試しをしてみたかっただけだ」
俺は弱弱しいフラニーを見ていられなかった。
俺だって弱いときはあった。
フラニーにも弱いときがあったのだ。
俺は鼠頭の亜人へ歩いて行った。
「凄い……無音で」
俺の動きを見ているようだ。
鍛えに鍛えた動きは、『影』の能力にも欠かせないものだった。
「すみません」
フラニーが俺の目の前に立ち、いきなり土下座した。
「私を弟子にしてください!」
状況が飲み込めなかった。
かつてこれ程――ポカン――という言葉に似合う状況があっただろうか。
「私、強くなりたいんです。今は力が無いけど、力があればもっと悪い奴らを懲らしめることができるんです」
「いやいや、それは俺じゃなくても」
「いいえ、私には師匠が必要なんです」
訂正してください、私は師匠ではありません。
「私の技術は特殊です。だから修行したくても師匠が見つからないんです」
フラニーは最初苦労したと言っていた。
自分なりに色々考えて、暗部――忍びの技術を一から作り上げた。
「お願いします。謝礼なら、いくらでもありますんで」
それは盗んだ金ですよね。
「すみません。頭が痛くなるんで喋らないで貰っていいですか」
「嫌です」
俺は頭を抱えた。
俺の顔も布で隠しているので、逃げようと思えば逃げることができた。
取り合えず疫病の魔法を解除してから考えよ――俺は鼠頭の亜人の死体に手をかざした。
魔道書の魔方陣を思い出しながら、魔方陣の影を叩き付けた。
転瞬――死体の頭をこちらを向いた。
疫病の魔法がかき消した。
これで終わりのはずだったが、死体は動き出し飛び上がり、尖塔から屋根へと降り立った。
「馬鹿な……」
前回の鼠頭の亜人は肉体が再生したために暴れまわった。
何故死体のまま動くのだろうか……。
「疫病の魔法をかき消すとは……恐ろしい魔法使いだな」
鼠頭の亜人が喋った。
「だが愚かだ。俺の肉体には不死者を封じる魔法もかけられていたのだよ」
骨の拳が屋根に叩きつけられると、屋根は爆発した。
俺は瞬時に屋根から飛び、鉤付き縄を使い垂直に素早く降りた。
俺の左腕にはフラニーが抱きしめられていた。
「凄いです。師匠」
眼を輝かし、褒めてくれた。
俺の師匠だったフラニーだったら、俺の頭を殴っていただろう。