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死が二人を別つまで、ずっと一緒に生きていくつもりだった。
俺は救世の聖女との最初の出会いを避けた。
出会いすらなければ、別れすらないのだろう。
その出会いの切欠は教会の尖塔に突き刺さった腐った死体だった。
蝿が集り、卵を植えつけられ、蛆が死肉を食らう。
烏も集り、蛆混じりの死肉を食らうが、腐った泉に沸く虫たちのように死肉は増え続けた。
背中に短刀で刻まれた魔法陣が為す技だった。
その死体は永劫に腐り続けて、魔法の込められた疫病を散布し続ける。
信仰の象徴たる教会より、風下にいる生物を犯し続け、近隣の住民たちは一様に病魔に苛まれた。
元気なのは僅かに魔力を有した者達だけであったが、流通が止まり、不衛生な状態が慢性化した街には、魔法の疫病以外も多くの病気が蔓延していた。
それは街から街へ、街から村へと広がった。
魔力を有する親父も倒れてしまい、近隣の人達で元気なのは俺と妹のコーデリアだけだった。
「馬鹿は風邪をひきませんから」
「まったくだ」
「「あははははっ!」」
空元気を見せながら、俺達は粛々と生活した。
必然的にお隣さんたちの世話もするようになったが、根本的な治療は望めなかった。
そんな時に街の占い師が、救いの導き手を見つけたのだった。
今から思えば、すでに救世の聖女として名高かった彼女に会いに行け――というのは外れることの無い占いではなく直感だったのだろう。
前世でも占い師に出会い、俺は救世の聖女に会いに行った。
救世の聖女を守っている領主の考えが重なり、死体を復活させることになった。
それが間違いだった。
あの死体は遥か昔に死んだ魔族だった。
鼠頭の亜人族で、肉体が再生した途端に疫病を撒き散らすのを止めて、暴力による死を撒き散らした。
まだ子供だった俺達は自らの命を助けることしかできなくて、多くの兵士たちの死により鼠を止めることができた。
あれは復活させるべき存在ではなかった。
だから今回は禁術を使って抹殺することにした。
古代人の魔道書から見つけたのは時の逆行の魔方陣だけではない。
魔法を無力化する魔方陣もあった。
魔方陣――というより、魔法を気脈を乱す絵と言った方が良いのだろうか。
鼠頭の亜人の背中に叩きつけて、根本から疫病を退治することにした。
俺達はチェック柄の襟巻きで口を覆い、疫病に感染しないように予防した。
人通りの少ない街道を、体力を温存しながら歩き、力尽きないように何度も休憩時間を取った。
乾燥した肉を薄く切り、硬くなったパンと一緒に食べた。水と柔らかくしながら少しずつ胃の中に入れた。
分かれ道――俺は死体のある街を目指した。
「救世の聖女に会いに行かなくて良いの?」
もう一つの道の先に救世の聖女がいる街がある――次期魔王で俺の恋人だった女だ。
「大丈夫だ。考えがある」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だ。俺がわざわざ嘘をつく必要があるか」
コーデリアが足を止めた。
「本当におにいちゃん?」
「そうだよ。何だよ」
「何かあったの? 最近様子が変だよ」
「大人になったんだよ」
「変だよ。今の返し方も……」
俺は妹を無視して、歩みを進めた。
街に辿り着き、門を通過するのに手形を見せた。
街の商人が作ってくれた代理の手形だ。
無事に通過すると、教会の尖塔に死体が突き刺さっているのが見えた。
疫病だけではなく、視界も毒してくるようだった。
俺が急いだのには理由があった。
鼠の亜人を殺したのは、多くの兵士のお陰だが、その中で外せない男がいる。
『車椅子の騎士』と呼ばれた初老の男だった。
名前はシミオン。後に革命軍に参加して活躍をしたが、魔王との戦闘で惜しくも命を散らしてしまった。
彼の恐ろしいところは、豪腕と天性の剣術にあった。
鼠の亜人を殺したのが、彼が最初に剣を握った切欠だった。
彼は昔から物臭で、流通が滞った街で塵以下の暮らしをしていた。
時代が風雲急を告げなければ、塵以下の暮らしで終わっていただろう。
彼は底が擦り切れた靴で歩き、魔法の疫病を気にせず、なけなしの金で買える食料を探した。
その時、錆びた金属の欠片で足の裏を切った。
破傷風になり、すぐに足が使い物にならなくなった。
「丁度良いと思ったんだ」
膝から下を切り落として、毛を処理して、調味料で味付けして食ったそうだ。
「美味かったぜ。飼い犬にも食わせたし。あはははっ」
これが革命軍の主力である。
そして歩けなくなり、家で篭っている時に、鼠の亜人と戦闘になったのだ。
そして、戦闘能力が開花した。
人生とは分からないものだ。
俺はコーデリアに宿を探させて、夕方までには戻ると言って、シミオンを探した。
水路の近くの椅子に、シミオンは深く腰をかけていた。
両足はまだあった。
「あー、死にたい」
腹から地震のような音が鳴り響いた。
「腹減った。死にたい」
シミオンの目の前に溝鼠が横切った。
彼の指が椅子を摘まんで、木のささくれを取った。
眼にも止まらぬ速さで木を投げて、鼠は串刺にされた――が、勢いあまって水路に落ちてしまった。
水路は排泄物混じりの臭いが浮かび上がり、とても食えそうに無かった。
だが、彼は真っ裸になり水路に飛び込んだ。
死んだ鼠を大事そうに撫でて、水路の水で綺麗にしていた。
「なあ、シミオンさん」
俺が見下ろしていると、シミオンが見上げた。
俺が出会ったときは豪快な印象があったが、戦闘経験の無いシミオンは物腰が柔らかだった。
「前にあったかな?」
「ええ、前世で」
「ああ?」
俺はシミオンの家まで行って、数日分の食料と剣を置いていった。
シミオンは訝しそうにしていたが、背に腹はかえられないのか黙って好意を受け取ってくれた。
その夜、コーデリアが寝静まってから俺は行動を開始することにした。
前世では手も足も出なかったが、今回は自信があった。
俺は屋根に上がり、教会の尖塔を目指した。