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革命軍に所属していて大怪我をしたことは何度もあったけど、時が逆行している間の痛みは串刺にされたような激痛だった。
時の逆行――禁書目録に書かれた魔法の負荷は凄まじく、逆行が止まってからしばらくの間動けなかった。
力を込め様と歯を食いしばると、カチンと虚しい音が鳴った。
歯の隙間から粘液が落ち、舌が溶け落ちたような喪失感があった。
「生きている……成功だ」
汗が全身から流れて、ベッドは雨後の草原のようだった。
心が落ち着いてから周囲を眺めた。
ここは実家だ。
懐かしい実家だ。
春の陽光、穏やかな風が俺の鼻を擽った。
懐かしさに包まれる前に、俺の身体は動いた。
俺はベッドから降りて、部屋の片隅で壁に寄りかかり耳を澄ました。
何度も命を狙われて、得た教訓だった。
偽りの正義に包まれた戦いの中、『影』を暴こうと何度も殺意を向けられた。
射干玉の闇を照らす光は俺には強すぎた。
だが俺は『影』……闇に消え、朧にしか存在しない。
星霜の輝きすら届かない闇は俺の味方だ。
俺は安全を確認して、禁制魔法の疲れに負けて眠ってしまった。
両眼が勝手に開き、生物の存在を感知した。
部屋の前に気配――俺は寝惚けている拳をほぐした。
敵ならば一瞬で葬る。
俺は気配を殺ぎ、殺意を皮膚の中に押し込めた。
扉が開いて、眼にも止まらぬ速さで何かが跳んだ。
途端に緊張が解けた。
ここは昔の実家だ。
実家ならば妹がいる。
「おっ、にいちゃーん。起きてー」
妹のコーデリアが俺を踏みつけて起こそうとしていた。相変わらず暴力性の強い妹だ。
そんな腹立たしい行動も懐かしいものだ。
後々分かることだが、コーデリアは天使の末裔であり、俺とは血が繋がっておらず、何も知らずに兄妹として育った。育ての親である親父が、男以上に強いコーデリアをけしかけて、俺を鍛えようとしていたらしい。
結果、暴力妹が爆誕した。
コーデリアは年月が経つにつれて人間離れした身体能力を得るが、最後の戦いまで生き残ることは出来なかった。
コーデリアは俺が革命軍に参加してすぐに、俺を追いかけるように参戦した。
「おにいちゃんだけだと心配だからね」
俺が妹を戦争に巻き込んだ。
俺が妹を殺したのだろう。
戦争と革命に生きる男たちの中でも、天使の血を継ぐ者の力は強大で、瞬く間に『天使』として名を馳せることになる。
子供時代と違い、俺もそれなりのモノになっていた。
革命軍の中『天使』と『影』の相反する兄妹は有名になり、魔王軍から恐れられる存在となった。
二人の別れは突然だった。
俺が『影』として鳥王と暗闘を繰り広げていた時に、鳥王が目を付けたのがコーデリアだった。
鳥王の配下たちは騙し打ちをして、コーデリアを捕らえて鳥王の空飛ぶ要塞へと幽閉した。
空飛ぶ要塞――革命軍が何年かけても落とせなかった鉄壁の要塞だ。
それを破壊したのがコーデリアだった。
コーデリアは幽閉された牢から看守を騙して脱獄して、空飛ぶ要塞から逃げようとせず、要塞の核を目指した。
壁を削り、空洞を這い、空に浮かぶ魔法を込めた核へと近づいた。
爪で掘り進めた道を、血だらけになりながら進んだ。
それだけしか分からない、それだけしか最後の足掻きが分からない。
コーデリアは要塞の核を壊して、要塞は力なく滑空しながら落ちた。
魔法の核から離れて、今度は脱出を考えたようだ。
だが、飛び降りる前に鳥王と遭遇してしまった。
それは激闘だったそうだ。
それまで魔王軍の幹部連中とまともに戦って勝てるものがいただろうか?
『天使』は鳥王を倒し、翼が無いので墜落死した。
そして現在、コーデリアはベッドに手応えが無いのに首を傾げていた。
昔の俺なら易々と攻撃を受けていただろうが――俺は音無しで近づいて肩を叩いた。
妹はくるりと反転して蹴りを放ったが、掌で叩き落として、腹をつかんでベッドに投げた。
尻を掌で叩いて、背中に跨った。
「甘いな」
「ま、負けた……」
「足音が大き過ぎる。太ったか」
プニプニとした脇腹を捻ってやった。
「ひぎゃー! 変態!」
「誰が変態だ!」
スパンと、頭を叩いた。
妹が唖然としていたが、俺は久し振りに会って目が潤んでいた。
心を落ち着けようと、髪をぽんぽんと撫でていると、唖然とした顔が驚愕の表情へと変わった。
「良かったな」
「馬鹿にしてんの!」
コーデリアは負けたため怒っていた。
「馬鹿にしてないさ」
俺はコーデリアを抱き締めると、コーデリアは悲鳴をあげた。
「お父さん! おにいちゃんがおかしくなった」
俺は寝室から引き摺られて、台所で朝食を作っている親父に会った。
「おいおい、お前は記憶があるのか? あいつがおかしいのは昔からだ」
「親父に言われたくないね」
俺がこれまた久し振りに会った親父を見て涙が出そうになった。
「だって、私の事を抱き締めたんだよ」
「なにー? てめえは妹に欲情したのか! 俺は、お前を、そんな、変態に、育てた覚えは無いぞ」
親父が箒を得意の棒術で繰り出してきたが、俺は易々と五度避けた。
初冬の霜ができる様な冷たい空気が流れた。
以前の俺なら、これまたぶん殴られるだけだったが、魔王軍との歴戦を経た俺にとっては児戯に等しかった。
「……お父さんの攻撃を避けるなんて」
「……お前、本当にどうしたんだ?」
「日頃の鍛錬のお陰だよ」
俺は曖昧な笑みを浮かべた。
その日から訓練は始まった。
戦闘技術、『影』の能力、それらは衰えていなかったが、肉体の力だけは衰えていた。
コーデリア――『天使』と力比べしてみたが勝てなかった。
このままでは力押しで来る相手と戦うこともできない。
だから、毎日走って、革命軍に教えて貰った鍛え方をした。
日に日に体力、筋力ともに充実していき、何とか以前の力を取り戻そうとした。
そんな時、前の人生で会わなかった人を見た。
『道下』――男の姿をした道下が街角で芸を見せていた。
玉を五つにしたお手玉をして、観客から拍手を貰っていた。
貴族に拾われる前は、日銭を何とか稼いでいたのだろう。
彼を見ていると、最後に女性の姿をしていたことが思い出された。
何とも言えない気分だが、悪い感じはしなかった。
道下は夢魔だが、魔王の支配下には入っていなかった。
芸人として流浪してきたので、支配下に入っていなかったのかも知れない。
敵と味方に別れるのに、俺たち自身の意志がどれだけ介入したのだろうか。
数世代前のツケが、俺たちの人生を狂わした。