三分間でできること
会社からの帰り道、僕は、猫を拾った。
社会人になってひとり暮らしを始めた。
数年経ち、会社にも慣れてきたころ、ふと道端でみつけたのはどこにでもいるような雑種だった。
寂しさを紛らわすために飼おうと思い、ダンボールの箱に入れられた猫を拾い上げる。
うす汚れたグレーの毛並み。栄養が足りてないのか、すこしやせ気味だった。これといった特徴はなかった。
だけど、その猫はほかの猫と違うことができた。
「よろしくニャ、ご主人様」
人間の言葉を喋る猫だったのだ。
「なあご主人様、なんで人間は〝三分〟が好きなんだ?」
「え? ……さあ、なんでだろうね」
ある日僕がカップラーメンを作っていると、猫が言った。
「カップめん、わざわざ三分かけて作る必要があるのか? 一分でも作れるって、聞いたことあるぞ」
「ちょうどいいからじゃない? いろんな目安になるんだよ、三分って」
「そういうものか?」
「そういうものだよ」
僕が言うと、猫は納得がいかないように唸った。
「でも二分って大きな違いだと思わないか?」
「そう?」
「そうだぜ。ご主人様は、二分あればなにができる?」
二分あればできること。
僕は腕を組んで悩んだ。
「取引先の相手に美味しいお茶が淹れられるかな」
「それは大事なことか?」
「大事だよ。すごく大事だ。社会人としての礼儀だよ」
僕が自信を持って言うと、猫はうなずいた。
「おっけい。ほかには?」
「髪をセットできる。寝癖を直せるね」
「それは大事なことか?」
「大事だよ。身だしなみはマナーだからね」
僕が胸を張って言うと、猫はうなずいた。
「なるほど。ほかには?」
「猫缶をお皿に盛ることができるよ」
「それは大事なことか?」
「猫、きみにとってはどうだい?」
「そうだな、すごく大事なことだ」
僕たちは笑い合った。
別の日、猫が言った。
「なんでゴミを分別するんだ?」
僕は猫の背中を撫でながら答えた。
「分別しないと、地球が汚れるからだよ」
「汚れるなら捨てなければいいのに」
「そういうわけにはいかないよ。ゴミは捨てないと、住んでるところが汚くなっちゃう」
当たり前のことを言ったつもりだったけど、猫はまた「ううん」と唸った。
「じゃあ、捨てるものはゴミってことか?」
「そうだね。ゴミじゃなければ捨てないから」
「そうか。そうだったのか」
猫は驚いたような顔をした。
「じゃあオレはゴミだ」
「え」
「だってオレは、捨て猫だから」
僕はとっさに答えた。
「そんなことはないよ。いまの猫は、僕の飼い猫だから」
猫と暮らすようになってしばらくしたある日。
僕は会社でひどい失敗をしてしまった。
大事な取引先との商談が中止になり、部長から大目玉をくらった。
ヤケ酒を飲んで家に帰ると、出迎えた猫が顔をしかめた。
「おいご主人様、ちょっと飲みすぎじゃないか?」
「いいんだよ、今日は」
イライラしていた僕は、猫を無視してソファに倒れ込んだ。
「おいご主人様、ネクタイくらいとったらどうだ?」
「うるさい」
猫は僕の顔を見て、ため息をついた。
「ご主人様、寝るならベッドにいったらどうだ?」
「うるさいっての」
僕は耳をふさいで寝た。
次の日は雨だった。
二日酔いでガンガンする頭を押さえて起きる。
水を飲んで、冷蔵庫を開ける。
……なにもない。
冷蔵庫の中身は空だった。
戸棚には猫缶とカップめんだけ。
僕はカップめんを手にとって、お湯をわかした。
猫が眠そうな顔をしてこっちにきた。
「ご主人様、お腹がすいたぞ」
「はい、猫缶」
頭が痛い僕は、めんどくさくて猫缶をそのまま猫に放り投げた。
ごとりと落ちる猫缶を眺めて、猫は首をひねった。
「オレは缶を開けられないぞ、ご主人様」
「あーもうわかったよ」
僕は息をつきながら猫缶を開ける。
「ご主人様、皿は?」
「そのまま食えよ」
「缶の端で舌を切ったらどうするんだ」
「あーもううるさいなあ」
僕はイライラして、皿に猫缶の中身をぶちまけた。
「さっさと食べればいいだろ!」
「うむ。いただきます」
猫はむしゃむしゃと猫缶を食べた。
ヤカンがピーーーと音を立てる。
お湯をカップめんに注ぐ。
すると猫がふと僕を見上げた。
じっと見つめてくる。
「……なんだよ」
「またカップめんか」
「そうだよ。それがなに?」
「なぜ三分なんだろうな?」
またそれか。
「二分あれば猫缶を開けられる。寝癖だって直せるんだ」
ああうるさい。
「取引先の相手にお茶だって出せる」
もうやめろ。
「それなのに、なんでわざわざ三分も――」
「うるさいんだよおまえ!」
僕は叫んでいた。
「もういいよ! どうでもいいことばっかり喋って、おまえは猫なんだから黙っていればいいんだよ!」
「でもご主人様、オレは喋る猫だから」
「ならいいよ! うるさい猫はもうたくさんだ! 僕はふつうの猫を拾いたかったんだ!」
僕は猫の身体をダンボールに放り込んで、そのまま家を出た。
走って走って、猫を拾った場所まで運んでいく。
ダンボールをそこに投げ捨てた。
喋る猫なんて拾うんじゃなかった!
「ご主人様、もしかして、オレを捨てるのか?」
「そうだよ! もう喋る猫はたくさんだ!」
「そうか……」
猫はそれ以上なにも言わなかった。
僕はそのまま家に戻った。部屋にもどると、ちょうど三分が経っていた。
三分。
『なんで三分なんだろうな?』
そんなもの決まってる。
喋る猫を、捨てるためだ……。
『そうか、オレはゴミなのか』
ふと思い出したのは、猫の言葉。
拾ったときのこと。
猫が喋って驚いたこと。
笑い合ったこと。
そしてキッチンの床には、置かれた皿と、猫缶があって。
「……なんだよ、もう」
僕の目から、なぜか涙があふれてきて。
「短いんだよ、三分なんて」
僕はすぐに家から飛び出した。
どうやら僕には、三分間じゃあ猫は捨てられそうにない。