うららかな午後の一時
ウグイスが伸びやかに歌う昼下がり。僕は軒先で寝転がっていた。
春眠暁を覚えず。
まさにその通りだった。もう昼だから的確ではないけれど、本当にいい陽気なのだ。穏やかに風はそよぎ、花々が薫る。何処までも伸びやかな一日が広がっていた。春爛漫ここに極まれりとは、まさにこの事ではないだろうか。なんだかとても幸せな気持ちになってくる。
ああ、気持がいい……寝てしまいたい……寝てしまおうかな……いいよね……うん、寝てしまおう。
ぬくやかな気候にだらけきった体は、いとも簡単に睡眠を享受した。瞼はとろんと重くなり、視界は徐々にその範囲を狭めていく。こんなのはダメだなあと思った。だらけきって、骨抜きにされてしまったような気分だ。不意の攻撃なんて、今の時代そうあるものじゃないけれど、だからといってこうもだらけきっていいということにはならないよなあと思った。
けれど、まあ、仕方がないことなのかもしれない。なんたって、こればかりは本能の欲求だから。
眠気に勝てず、僕は目を閉じた。じっとそれまで奥底で我慢していた睡魔が、にわかに大口を開けて僕を飲み込もうとした。けれども。次の瞬間、背後で生じた盛大な音に僕はびくりと身体を飛び上がらせてしまった。
「ちょっと、ミーたん。ダメでしょ、雛あられをたおしたらメッ!」
振り向いたその部屋には、保育園に通う妹と小さな黒猫が向かい合っていた。そしてすぐ側には、せっかく飾ってあったのが台無しになってしまった雛あられ。ぽろぽろと絨毯の上に広がる雛あられは、どういうわけか僕に金平糖のことを思い起こさせた。甘い甘い金平糖がたくさん絨毯に散らばっている。と、何故かハンカチが落ちているのに気が付いた。
「もぉー。あたしがかたづけなきゃいけないのよ!」
ご立腹らしい妹は、黒猫に対して姉の様に接していた。腰に手を当てて、頬を大きく膨らませ、ぷりぷりと効果音がつくように怒っている。対して対面に座り込んだ黒猫は、頭をがっくりと項垂れてどうやらおとなしく叱られているようである。少々うんざりしているようにも見えなくもないのだけれど、実際のところはよく分からない。まあ、十中八九うんざりしているのだろうけれど。
どこで覚えたのか、まるで小姑のような小言を並べた妹は、もう、とぞんざいにため息をつくとやがて片付けに入った。そんな妹を見て、黒猫はここぞとばかりに僕の方へ退避してい来る。表情は思ったとおり、心底やつれているようだった。
『……全く。堪らないよ。目隠ししたのは誰だって話だ』
低く、神秘的な声が脳内に直接響いてくる。何を隠そう、黒猫もとい、死神ミネルハルバイトの声だ。ちなみに女性である。黒猫は小さくため息をつくと、僕の側によってきて腰を下ろした。そんな姿を僕はにやにやしながら見守る。僕は僕自身が結構嫌な奴だと自覚しているのだ。
『はは〜ん。じゃあ、ミーたんは目隠しされて、イジメられてたのね。通りで雛あられにぶつかっちゃったわけだ。かわいいねえ。死神さんでもそういうおっちょこちょいなところあるんだねえ。ん、待てよ。でも、ミーたんなら目隠しされたところで、そんなに障害にはならなかったんじゃないの?』
口には出さず、考えただけの言葉の羅列。けれど、ミーたんからの返事はちゃんと返ってくる。
『当たり前だ。馬鹿にするのも大概にしろ。私を誰だと思っているんだ。あの調度はちゃんと認識出来ていたさ。……けれど、例えばあそこで私がぶつからなかったならば、沙希のしたかった事は叶わなかったのであろう?』
言って、ミーちゃんはうんざりと部屋の方を覗いた。釣られて視線を同じくした僕が見たのは、満面の笑みを浮かべて、せっせと片づけをしている妹の姿だった。
僕は驚いた。あの厚顔無恥で超自分至上主義者だったミーたんが、こんな思い遣りを持っているとは、恥ずかしながら今の今まで知らなかったのである。呆けた顔をしてしまった僕を見て、ミーたんは恥ずかしそうに顔を背ける。
『……私も、この家で好くしてもらっている。その、だから、時には恩返しをしなければいけないのかなと、ちょっとだけ思ったのだ……』
優しい言葉だった。初めて聞く事が出来た。僕は今日という幸せな一日が訪れたことに最大の感謝を抱き、そしてそっと微笑みを浮かべてみた。
「おいでミーたん。一緒に昼寝をしよう」
うららかな春の陽射しが僕らを包む午後の一時。




