4.魔女の目撃談(Nov. 25, 2024, at 3:26 p.m.)
誰かのものが欲しくなるというよりは好きになる人が誰かのものだっただけなのだが、私の恋愛はいつも誰かを不幸にする。田所さんと出会ったのがもう少し早ければ世界は許してくれたのに。連絡は続いているけれど、田所さんが少しずつよそよそしくなっている。今日なんて無断欠勤している。心配ですとチャットを送っても既読すらつかない。これは試練。神様は越えられない試練は与えないと言うし、真実の愛なら困難は越えられる。困難を越えなければ真のプリンセスにはなれない。そんな綺麗な言葉を並べても、私が不倫相手であることは変わらない。不倫しているプリンセスはいても、不倫を国民に認められるなんてことはほぼない。家庭にヒビが入ったのなら、奥さんがさっさと旦那を切り捨ててくれればいいのにと思っている。けれど、いつも私が無かったことにされる。田所さんがくれた温もりも甘い言葉も形には残らない。所詮は恋愛ごっこだ。下の名前で呼ばせてもらえないのが証拠。それでも、ちょっとだけ期待していてまだ甘えたメッセージを送っている。元カレも田所さんも、私を前にしてよく奥さんの愚痴を言うのに、どうして私を選んでくれないのだろう。最後に選んでもらえたなら、魔女でもハッピーエンドになれると思う。
現場から本社に戻る前、寂れた商店街の喫茶店で一杯だけコーヒーを飲む。田所さんの教えてくれた秘密の休憩スポットだが、今日は一人でいる。私が現場とトラブったときも、ここで親身に話を聞いてもらった。一緒に謝ってくれたし、ずっと励ましてもくれた。先輩として後輩の私を守ってくれただけ。それなのに、どうしようもなく好きになった。また指輪を付けている人を好きになってしまった。私なら、もっと幸せにできると思った。だが、一線を越えたら、田所さんが私だけのものになるなんて魔法はなかった。奇跡のような逆転劇は怒らない。魔女なので、毒薬ばかり作っている。私の周りのお花畑は枯れていく。どんなに水を与えても私には毒が染みついている。
コーヒーを飲み干しても、カップを置かずに向かいのミセス向けのブティックを見ていた。ショーウィンドウに貼りついた閉店セールの紙がすでに色褪せている。一体いつ閉じるのかを見守っているのだと田所さんが冗談を言っていた店だ。今日も人はいない。しかし、馬がいた。馬? ちゃんと見ると、馬でもなかった。馬の胴体に、半裸の男がくっついている。
「ケンタウロス?」
白馬のケンタウロスが店主の年配の女性と親しげに話している。大きな男性の体に女性ものの服は小さいだろうに、店主は何着か上着を出してきて、ケンタウロスに渡している。ブラックを飲んでいるのに、私は夢でも見ているのだろうか。
ブティックの正面からはくすんだ紺や紫色、控えめな小花柄の服ばかり陳列されていたが奥には華々しいよそ行きの服があるらしい。豪勢なフリルの袖のブラウス、金の刺繍の眩しいジャケット、スパンコールの重たそうなロングコート……ステージ衣装のようだが、ケンタウロスはどれも着こなして見せた。伸縮性のある素材でできているのだろう。肩は窮屈で袖は足りていないし、ボタンも開けっ放しだがなぜだか様になる。店主も上機嫌で服を選んでいる。いつの間にか、他のおばさまたちも集まりだして、拍手を送っている。ケンタウロスのために上の服は生まれたのではないかという歓声が上がり始めた頃には、寡黙な喫茶店のマスターすらも扉を開けて正面のブティックを見ていた。私も我慢できず、コーヒー代を払ってケンタウロスの野次馬になりに行った。
あの小さな店にこれほど服があろうとは。おばさまたちも自分の身に着けていたアクセサリーを渡し、ケンタウロスに身に付けさせている。ごろっとした宝石がケンタウロスを彩る。スポットライトもなく、ケンタウロスの周りだけ輝いてしまうのはどういう理屈なのだろうか。目にも鮮やかなファッションショーののち、ケンタウロスはナポレオンが着ていそうな赤いジャケットを選んだ。不可能はない。着られない服などないのだという自信に満ちている。会計のため、店主はケンタウロスの赤いジャケットを手に店へと一旦戻っていく。
「これなら王子様っぽいです」
ケンタウロスは西洋の顔つきをしているが日本語も堪能なようだ。不可能がなさすぎる。おばさまたちも「皇帝ってかんじねぇ」とべた褒めしている。
「エンペラーですか……」
「偉い人にはちがいないわ」
「ひざまずきたいものねえ」
一人が手を合わせると、他のおばさま方まで有り難そうに手を合わせはじめる。宗派から違うだろうに、ケンタウロスはおばさまたちの声に耳を傾け頷いていた。完全に心を掴んでいる様子はアイドルか、教祖なのかわからなくなってくる。店主が戻ると、ケンタウロスは改めてジャケットを羽織った。手にカードを返されているので、ケンタウロスもクレジットカードを持っていることになる。
「それじゃあ、お腹が寒いでしょう」
それまで半裸、正確には全裸だったのに、店主は店にある上等そうなショールをおまけに渡していた。ミセスなら引きずりそうな長さのショールもケンタウロスにはばっちりだ。ここまで見てしまってなんだが、私は何を見ているのだろう。ふと我に返り、会社に戻ろうというところでくしゅんとくしゃみが出た。季節は11月の後半。寒さは冬の空気を帯びている。社名の入った灰色の作業着の前のファスナーを上まで閉じると、上からふわりとストールを掛けられた。目の前には先ほどのケンタウロスがいる。
「お風邪を引いては大変です」
ストールはふかふかで暖かい。生地によるものではなく、ケンタウロスの熱で暖めて渡してくれたのがわかる。人肌ならぬ馬肌の温もりとでも呼ぶべきか。ただ、その温もりと気遣いに柄にもなくきゅんとした。見上げると、ケンタウロスは穏やかな笑みを浮かべている。悔しいことに、王子様を目指すにふさわしい品格が窺える。
「ありがとう、ございます……?」
「おや、お嬢さん、なにかお困りですか?」
首を傾げると、ケンタウロスはじっと見つめてくる。
「なんだか悲しそうに見えまして」
「悲しくなんかないけど」
私の周りのほうが悲惨だ。私が原因なのだから、悲しみを感じているのもおかしい。
「じゃあ、苦しい?」
「もしかして、私がみじめだって言いたいわけ?」
これは侮辱か。きゅんとして損をした。顔に騙されるところだった。
「いえ、そんな苦しそうなあなたがどうして一人なのかと不思議なんですよ」
「一人じゃない」
田所さんは私が呼べば、きっと来てくれる。まだ終わりじゃない。だって、田所さんは優しい。だから、そこに隙ができて、私みたいな女に捕まるのだ。
「隙を狙わないで、たまには正面突破してみてはいかがでしょう」
完全に心を読んできたケンタウロスを睨みつける。会ったばかりの幻獣になにがわかるというのだ。
「そうよ、勝手口から入っちゃだめ」
「泥棒だと思うわよね」
「奇襲は最初しか効果がないものねぇ」
おばさまたちは事情もわからないのに会話に入ってこようとする。
「ええ、正面から狙って落とした相手ならみんなが喜んでくれますよ」
「みんながいて、どうだっていうの? 私は大事な人だけいればいい」
「あなたが隠れていたら、みんなはあなたの幸せに気付きません。祝福したい誰かは必ずどこかにいるというのに」
祝福など、私からは一番遠い言葉だ。おめでとうと言われる愛を私は知らない。
「それに人は多いほうがいいです。代わりにお花に水をあげてくれるかもしれません」
どこまで見えているのか。これだけ見透かされていると言葉も出ない。
「おっと、話しすぎました」
私を言いくるめて満足したのか、ケンタウロスは地面を蹴って遠くへ消えた。この時間はなんだったのか。白昼夢を疑っていると、散り散りになったおばさまの一人が私にコスモスの種をくれた。小さな袋ごと鞄に仕舞って、私も歩き出す。すると、店主が私の肩を掴んで申し訳なさそうにレジを指差した。
「それ、売り物なのよ」
馬鹿にしやがってと去っていった駄馬に悪態をついて、仕方なくストールをカードで買って会社に戻った。不思議なことに、今は所在不明の田所さんより花が育つかのほうが気になっている。




