あなたはあなた
3月1日
今朝、慌てて顔を洗いながら、ふと今日が授業のない日だと思い出した。
あまりにも慌ただしい私の様子に、ルームメイトたちはしばらく笑いっぱなしだった。
ベッドの下でぼんやり立ち尽くしていると、
「今日は日曜日だよ」と笑いながら教えてくれる。
私はベランダのドアの前まで歩き、頭をかきながら、少し照れたように笑った。
小野も私が起きたのを見ると、つられてベッドから起き上がる。
昼の陽射しはやわらかい。
今学期から新しいキャンパスに移り、すべてが一からのスタートだ。
校道をゆっくり歩きながら、スマホに残っている前のルームメイトたちの写真を眺める。
胸の奥が、ほんの少しだけ沈んだ気がした。
「どうしたの?」
隣から小野の声。
彼女はそっと私の腕に自分の腕を絡める。
「何か考えごと? さっきからぼーっとしてるよ。」
「ううん、なんでもないよ。」
画面を閉じ、横を向いたまま答えた。
「じゃあ、ごはん行こ! この食堂にね、すっごくおいしいお店があるんだよ。連れてってあげる!」
目を輝かせる小野に手を引かれ、そのまま食堂へ向かった。
席を取って待っていると、小野が振り返る。
「とんかつ定食にする?」
「うん、いいね。」
ほどなくして、湯気の立つ定食が二つ運ばれてきた。
きつね色の衣から、あたたかい香りがふわっと広がる。
「ありがとう、小野。」
「いいよ~。“小野ちゃん”って呼んでくれてもいいんだからね。」
「うん、小野ちゃん。」
「いただきます。」
二人同時に声をそろえ、箸を取る。
一口かじると、衣がさくっと音を立てた。
中のお肉はやわらかく、肉汁がじゅわっと広がる。
「ほらね? 最高でしょ?」
「うん、ほんとにおいしい。」
食後、並んで校道を歩く。
道の両側に並ぶ桜の木は、まだ蕾のまま。
満開になれば、花びらがひらひら舞い落ちるのだろう。
そのとき、お兄ちゃんが隣にいて、一緒に桜を見られたら——
そう思うだけで、胸の奥がほんのりやわらぐ。
気づけば、あの夜に座ったベンチの前まで来ていた。
私たちは自然と腰を下ろす。
春の日差しに温められたベンチは、この前よりも少しだけぬくもりを帯びている。
並んで座り、遠くの湖にある水車がゆっくり回るのを眺めた。
水面に小さな波紋が広がっていく。
私はそっと小野ちゃんの肩に頭を預け、目を閉じる。
「小野ちゃん……私、他の人と何も変わらないのに、どうしてこんなに優しくしてくれるの?」
少しの沈黙。
やがて、やわらかい声が返ってきた。
「だってね、あなたが昔、私の村にいた小さな女の子に似てるから。」
「いつも一緒に遊んでたの。でも、ある日その子は引っ越しちゃって、それきり会えてないんだ。」
「じゃあ……私は、その子の代わり?」
気づけば、ベンチの端に指先が触れていた。
「違うよ。」
小野ちゃんはすぐに首を振る。
「あなたはあなた。私にとって、かけがえのない友達だよ。
それに、あなた自身がちゃんと可愛いんだから。誰とも同じじゃない。」
私は顔を上げ、彼女の目と視線が合う。
胸の奥が小さく跳ねた気がして、私は湖のほうへ目を向けた。
「……そっか。ありがとう、小野ちゃん。」
夕暮れが空の半分を赤く染めるころ、私たちは校外で水餃子を食べた。
湯気にふうふうと息を吹きかけながら、他愛のない話をする。
夜、お風呂であたたかいお湯に包まれる。
体を流れるぬくもりが、ゆっくりとほどけていく。
シャワーの水を顔に受けながら、昼のとんかつを思い出す。
胸の奥が、またじんわりとほどけた。




