星が見えた夜
2月28日
学校に着いたころ、空は巻き取られる絵巻のように、ゆっくりと閉じていくようだった。重たく垂れこめた曇り空。
目を細めてしばらく見上げてみたけれど、星はひとつも見えなかった。
道すがら、見知らぬ人たちが絶え間なく私の横を通り過ぎていく。
目に見えない流れに押されるように、私は一歩ずつ寮へ向かった。
部屋にはベッドが四つ、きれいに並んでいる。広さはちょうどいい。でも、いちばん奥の一台だけが静かに残っていた。
荷物を下ろし、服を丁寧に畳んでクローゼットにしまっていく。
ただ一着だけ――あのワンピースだけは、そっとハンガーにかけた。
バルコニーに出て、家に電話をかける。
「もしもし。」
「兄さま、寮に着いたよ。」
「着いたか。よかった。まだ食べてないだろ? その時間だと食堂は閉まってるかもな。何か買って、ちゃんとお腹に入れろよ。」
「うん、兄さま。」
通話を切ったあと、しばらく携帯を握ったままでいた。
これ以上声を聞いていたら、きっと胸の奥がほどけてしまいそうだった。
「え、今“兄さま”って言った?」
振り向くと、背の高い女の子が立っている。
「家に電話してたの? “兄さま”って呼ぶ人、ちょっと珍しいよね。」彼女はにこっと笑った。
「うん……小さいころから、ずっとそう呼んでるから。」少しだけ後ろに下がりながら答える。
彼女は気にする様子もなく、手を差し出し
た。
「私、小野。」差し出された手を数秒見つめてから、そっと握る。
その手は、思っていたよりあたたかかった。
小さな声で、自分の名前を伝える。
やがて他のルームメイトも戻ってきて、挨拶を交わした。ベッドを整え終えると、小野がくるっと振り向く。
「ちょっと外、歩いてみない? 雨上がりの空気って気持ちいいよ。」
「うん、ありがとう。」
雨に濡れた道はまだ湿っていて、水たまりを踏む音が静かに響く。
小野が私の手を引き、キャンパスのあちこちを案内してくれた。
途中でコンビニに寄り、おにぎりを二つ買う。
「ありがとう、小野。明日からの授業、きっと一人じゃ迷ってた。」
ベンチに並んで座り、一つを差し出す。
「じゃあ遠慮なく!」
大げさに口を開けたのに、実際はちょこんと小さくかじる。
思わず笑うと、彼女もつられて笑った。少し湿ったベンチの上で、肩を並べる。
温めたばかりのおにぎりのぬくもりが、指先からゆっくり胸の奥へ広がっていった。
夜、そっとバルコニーに出て、黒く沈んだ空を見上げる。
今夜は、いくつかの星が瞬いていた。
墨色の空の奥で、小さく、確かに光っている。
月も、きっとどこかで待っている…




