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第4話 たましい

 「魂の望……」


 なぜかこの夜はそんな言葉を書きはじめていた。


 「……受け入れます」 


 星の王子さまの描かれた黒いノートには、私は学びと気付きを書く習慣があった。


 「たましいの声を聞き……」


 いわゆるスピリチュアルで得たと思っていた知識だった。


 「……美しく豊かで幸せに包まれる……」


 なぜかスルスル心から出ると同時にペンを持つ手が動いた。


 「……光を。ありがとう」


 それは、8月19日の夜のことだった。




 8月20日。


 この日は整骨院を予約していた。


 整骨院では担当してくれている院長と音楽の話題になった。意外と音楽の趣味が同じだと知って盛り上がったところで、院長は急に真顔になって「重ねた愛が灰になるまで」と早口で一言発した。


 「あ、あのマニアックだけどベストにも入ってるハードな曲ですか?」


 私は思いがけない曲名を聞いて声を弾ませた。


 「あぁ……、そう」


 院長の反応はイマイチで、おかしな間がある。


 微妙な違和感を感じながらも私は張り切って続けた。


 「私あの曲すごい好きだったんですよー。あのはじまり! 最後の発展! しびれません?」


 なんだかその後も会話がスムーズにかみ合わないまま、その日の診察は終わった。



 整骨院の帰りには実家に寄った。


 「重ねた愛が灰になるまで」かー、懐かしいな。そう思いながら、私は実家にあるその曲が入っていたベストアルバムを棚から出そうと腰をかがめた。


 すると途中で思わず呼吸と手が止まる。時が止まったように見入った。


 そして、我に返った。


 「あ。このバンドも好きだったなぁ」


 取り出そうとしたCDの左隣にはオクトシアブルの「ダイヤ」が入っていたデビューアルバムがあった。


 その夜は実家でお酒を飲んで、ほろ酔いで家に帰って、早速テレビの下にあるブルーレイプレイヤーに膝をついてCDを入れた。


 何曲めが「ダイヤ」であるかは、身体に染みつくかのように覚えていて、手慣れた手つきで何年ぶりかのその曲をかけようと数字を合わせた。


 CDが回転する音がする。うつ伏せにラグの上に寝転び、肘をついて頬を掌にのせて、音が始まるのを待つ。


 透明感のあるイントロが優しく始まって、やがて声が届きギターでメロディが奏でられると唄がはじまって目の前が優しく溶けていった。


 聴き入りながら、ふぅっと力が抜けて、私はいつの間にか眠っていた……


 


 8月21日。


 仕事は、もう辞めようって思った。ずっと執着していたのに、ふとそう思える心の変化があった。次の繁忙期まではがんばることにして、その後は辞めさせてもらおう、と思った。


 実は私は社会人として初めて勤めた会社を約2年で退職していた。その時の経験で、やっぱり社会は誰かがいなくても回るから、自分は自分のことと自分の大切な人のことを大事にしなくちゃいけないと、身に染みて思っていたため、決意はできた。待遇の良さを捨てるのはもったいなかったけれど、取り返しのつかないことになる前に去ろうと決意した。


 チャンスがあれば上司に話そうと決めていたら、そのチャンスはすぐにきて、私はこっそりと話すことができた。


 体調のことを簡単に伝えて、仕事を続けられないかもしれない、と正直ないまの気持ちを打ち明けた。


 上司とは言っても、もともと前の職場で友人関係になった気の合う同い年の子がちょうど私のことを担当してくれていて、名前はユウコ。美人で気が利いてね、憧れでもあった。ふたりのときは友達のように話していた。


 仕事を辞めたいと思っていることを伝えようとすると、ユウコは一瞬構えて、困ったような顔をしながら見つめてきた。


 どうやら、予感はしていたらしい。


 「そうなんだー。つらかったね。できたら続けて欲しいけど。どうしても無理ならまた言ってよ。障害になっていることあるなら、出来ることなら協力するし」


 「ありがとう。出来たら今年の繁忙期すぎたら辞めたいと思ってる」


 「えー、困るー! でもやっぱり身体がいちばん大事だよね」


 「うん。ごめんね」


 「まぁ、今度飲みに行こ!」


 彼女の魅力のひとつは男前な包容力で、このときも顔色を変えずに優しく思いやってくれたし、その後も変わらずに接してくれるなか、時折フォローしてくれていたのを感じて、働きやすくて助かった。



 8月のうだるような暑さの夜、私たちは居酒屋にいた。賑やかな店内はひとりひとりの個を掻き消すのに十分な音で、私はご機嫌に3杯目のビールに口を付けた。


 「ストレスったってそんなにないはずなんだけどなー」


 ビール片手に私は話す。ユウコは仕事が早い。その日のうちに私のことを飲みに誘ってきた。ユウコは枝豆のさやを皿にうつしながら、目を伏せがちにしたままで言う。


 「ほんとー?」


 ユウコはこちらへの関心をあまり露骨に表してこないところが心地よい。


 「まぁそりゃちょっとはあるよ?」


 「だよねー。がんばりすぎなんだよー」


 「かなぁ」


 とくに建設的な話はしないまま、私たちは短い単語ふたつみっつくらいを連ねた、あまり意味のない言葉をかわしあいながら、一緒に時を過ごしていた。


 「あ、お姉さーん! 焼酎お湯割り!」


 「わたし日本酒! 冷やでー」


 私は友達は多いほうではなかった。知り合い程度に仲良くできる人は少ないわけではなかったけれど、たぶんいつも本音を言わない「よくわからない子」っていうのがみんなにとっての私の像だったのではないかと思う。ユウコは、そんな私にぐいぐい踏み込むこともなくって、とても居心地がよかった。


 気付けば終電の時間が近づいていたから、私たちは会計を済ませて外へと出た。私は、まだまだ飲みたい気分であったから、もうこんな時間であるということが不服で帰りたくなくて、ユウコに甘えていた。


 「もうー、だいじょうぶ?」

 「ゆうこさーん、まだまだいけるー。もう一軒いこっ」

 「もうー。心配だからウチ泊まっていきな」

 「ありがとー」


 私は彼女の家に行き、のむのむと騒いだ後は、すぐに眠ったようだった。お決まりのソファーで夜を明かしていることに気付いたのは夜中。少し頭が痛くて、飲みすぎたなぁと反省しながら横たわる。寝るときには冷房は付けない派のユウコの家で眠るのは暑くて、いつもクーラーは付けっぱなしの私にはそのことだけは少し辛かったけれど、扇風機の風を感じながらいつもと違う景色で眠るのは、いい気分転換になった。



 いつも酔いつぶれた私を受け止めてくれるユウコにには感謝だ。




 8月23日、話し合いの場が設けられ、翌年の春辺りを目処に私は正式に仕事を辞めることになった。


 




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