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その悪魔が願う未来  作者: 暁 龍弥


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第53話「選ばなかった道の気配」

朝は、はっきりと“朝”だった。


 街のように、決まった明るさで始まるわけじゃない。

 光は徐々に広がり、影は形を変え、空気は冷たさを残したまま温度を上げていく。


 その曖昧さが、リルナには少しだけ怖くて、

 同時に、どうしようもなく心地よかった。



 川の水をすくい、顔を洗う。


 冷たい。

 だが、その冷たさは拒絶ではない。


 目が覚める。

 意識がはっきりする。


 それだけでいい。



 リルナは、昨日の分岐点を思い出していた。


 右を選んだ。

 川沿いの道を選んだ。


 間違っていたかもしれない。

 でも、後悔はない。


 ――だが。


「アルス」


「なんだ」


「左の道って、どうなってたんだろう」


 選ばなかった道。


 それは、旅において必ず生まれる“もう一つの世界”だ。



 俺は少しだけ考えてから答える。


「気になるか」


「うん」


 迷いではない。

 想像だ。


 それは、いい兆候だ。



「戻るか?」


 俺は聞く。


 リルナは驚いた顔をした。


「え?」


「選び直すこともできる」

 俺は言う。

「選択は、一度きりじゃない」


 その言葉は、街ではあり得ない概念だった。


 一度決まった最適解は、

 修正されることはあっても、

 個人の意思で覆されることはない。


 だが、旅では違う。


 引き返すことも、選択のひとつだ。



 リルナは、しばらく考えた。


 川の流れを見る。

 朝の光を見る。

 昨日出会った男の背中を思い出す。


 そして――首を振った。


「ううん。

 戻らない」


「理由は?」


「……気になるけど、

 それでも今は、こっちに行きたい」


 はっきりした答え。


 “気になる”を理由に戻るのではなく、

 “進みたい”を優先した。


 それは、選択の質が一段上がった証だ。



 俺は頷く。


「それでいい」


 選ばなかった道は、消えない。

 ただ、今は触れないだけだ。



 歩き出す。


 川の音が少しずつ遠くなる。


 地形が変わり、

 木が増え、

 草がまばらになる。


 そして――


 奇妙な気配が現れた。



 足元の土が、均されている。


 だが、街のような人工的な均一ではない。


 “誰かが意図的に整えた痕跡”。


 小規模。

 限定的。

 だが確実に存在する。



 灯が揺れる。


 影が地面をなぞり、

 見えない境界を探る。


 この場所は、ただの自然じゃない。


 人が関わっている。



 やがて、小さな集落が見えた。


 十軒にも満たない家。

 柵はあるが、完全には閉じていない。

 煙が上がっている。


 人の生活だ。


 だが――


 均一ではない。



 リルナが息を呑む。


「……ここ、街と違う」


「ああ」


 俺は答える。


「ここは“選んだ場所”だ」


 街は、与えられた場所。

 ここは、選ばれた場所。


 その違いが、空気に出ている。



 近づくと、人影が見えた。


 老人。

 女。

 子ども。


 顔は違う。

 歩き方も違う。

 表情も違う。


 ばらばらだ。


 それが、この世界では異常なほど自然に見える。



 ひとりの女がこちらに気づいた。


 警戒する。

 目を細める。

 声をかけるか迷う。


 その“迷い”が、はっきりと見える。


 街では存在しなかったものだ。



「誰だい?」


 女が言う。


 声には、感情がある。


 疑い。

 不安。

 そして少しの好奇心。



「旅人だ」


 俺は答える。


 女は、すぐには信用しない。


 だが、拒絶もしない。


「……ここは通り道じゃないよ」


「知ってる」


 俺は言う。


「だから来た」


 女の眉がわずかに動く。


 “意味のある訪問”ではない。

 それが逆に、彼女の判断を揺らす。



 リルナが、そっと前に出る。


「……あの、ここって……

 どうやってできたの?」


 女は、リルナを見る。


 その視線には、街のような無機質さはない。


 人を見る目だ。



「逃げてきたのさ」


 女は言った。


「街から。

 王都から。

 いろんなところから」


 その言葉に、リルナの目が大きくなる。



「ここにいる連中は、

 みんな“選んだ”んだよ」


 女は続ける。


「安全じゃない。

 食い物も安定しない。

 病気もある」


 それでも――


「それでも、ここにいる」



 リルナは、胸を押さえた。


 自分だけじゃなかった。


 同じ選択をした者が、

 すでにいた。



 俺は、集落を見渡す。


 完全ではない。

 強くもない。

 壊れやすい。


 だが――


 本物だ。



 灯が、静かに揺れる。


 この場所は、森でも街でもない。


 第三の在り方。


 秩序でも、放任でもない。


 選択の積み重ねで成り立つ場所。



 リルナが小さく言った。


「……ここ、好きかも」


 俺は答えない。


 代わりに、問い返す。


「どうする」


 リルナは、集落を見る。

 人を見る。

 煙を見る。


 そして――


「少し、見たい」


 その言葉は、逃げでも停滞でもない。


 選択の継続だ。



 俺は頷く。


「いい」


 旅は、進むだけじゃない。


 止まることも、

 見ることも、

 関わることも含まれる。



 集落の中に足を踏み入れる。


 人々の視線が集まる。


 警戒。

 興味。

 不安。


 すべてが混ざっている。


 それでいい。


 それが、生きているということだ。



 空は、完全な青にはならない。


 雲が流れ、

 光が揺れ、

 風が変わる。


 この世界は、まだ定まっていない。


 だが――


 定まらないことこそが、

 生きている証明だ。

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