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その悪魔が願う未来  作者: 暁 龍弥


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第49話「発熱する世界、最初の夜」

 夜は、均一ではなかった。


 それだけで、リルナは息を呑んだ。


 街の夜は、明るさも暗さも管理されている。

 人の活動が最適化される照度。

 恐怖も、期待も生まれない闇。


 だが今、ここにある夜は違う。


 星はまばらで、雲が流れ、

 風は強くなったり弱くなったりする。


 虫の音は不規則で、

 どこかで獣が吠え、

 遠くで木が軋む。


 夜が、夜として生きている。



 草地の奥、小さな岩陰に身を潜める。


 焚き火は使わない。

 街からは離れたが、完全に安全とは言えない。


 リルナは膝を抱え、まだ震えていた。


 恐怖ではない。

 感情が、ようやく自由になった反動だ。


 俺は外套を外し、彼女の肩に掛ける。


 布の重さに、リルナは少し落ち着いた。


「……アルス」


 小さな声。


「後悔、してない?」


「何をだ」


「街を出たこと。

 あたしを連れてきたこと」


 その問いは、恐る恐る差し出されたものだった。


 自分が“重荷”になっていないかを確かめるための問い。


 俺は即答する。


「してない」


 短く、確実に。


「お前は壊されるところだった。

 それを止めただけだ」


 リルナは唇を噛みしめ、

 しばらく黙ってから言った。


「……あたしね、

 ずっと思ってたの。

 この街は、やさしいけど、息ができないって」


 言葉を選びながら、

 ようやく外に出す。


「泣いちゃだめ。

 怒っちゃだめ。

 怖がっちゃだめ。

 夢を見ちゃだめ」


 ひとつひとつが、

 小さな檻だった。


「みんな、悪い人じゃないの。

 でも……あたしだけ、違う空気を吸ってるみたいで」


 リルナは空を見上げた。


 雲が流れ、星が瞬く。


「今は……苦しいけど、

 ちゃんと息ができてる」


 それで十分だ。



 灯は少し離れた場所に立っている。


 警戒でも見張りでもない。

 ただ、世界との“距離”を測っている。


 街から漏れ出した秩序の余波。

 追跡の可能性。

 そして、この世界がどれだけ“揺れ”を許すか。


 灯の影が、地面に薄く広がる。


 異常は、まだ来ない。



 俺は言った。


「これから先、楽じゃない」


 リルナは頷いた。


「うん」


「追われることもある。

 怖い目にも遭う。

 正解が分からないことばかりだ」


「……それでもいい」


 即答だった。


 街で矯正される前より、

 ずっと強い声。


「分からないなら、

 一緒に探せばいいでしょ?」


 その言葉に、胸の奥で森の火が静かに揺れた。


 探す。

 迷う。

 悩む。


 この世界が病として排除した行為。


 それを、リルナは当然のように肯定している。



 遠くで、街の方向から微かな音がした。


 鐘ではない。

 合図でもない。


 再構築の音だ。


 秩序が、自分の破れを修復している。


 配置を変え、

 規定を更新し、

 “次は逃がさない”ための世界を作り始めている。


 だが、それは同時に――

 この世界が変化を始めた証でもある。


 完璧な均一は、

 一度破れれば二度と戻らない。


 旅という病は、

 もうこの世界に刻まれた。



 リルナが言った。


「ねえ、アルス。

 これから、どこに行くの?」


 問いは不安ではない。

 期待だ。


 俺は地平線を見る。


 街とは反対方向。

 灯が、ほんのわずかに影を伸ばした方角。


「この世界を、歩く」


「それだけ?」


「それだけで十分だ」


 旅の目的を定義しない。

 定義した瞬間、また檻になる。


 今は――

 歩くことそのものが意味だ。



 リルナは小さく笑った。


「変なの」


「よく言われる」


「でも……嫌いじゃない」


 それは、この世界で最も危険な言葉だった。


 誰かを“好き”と言うこと。

 均一を壊す感情。


 だが、ここにはもう秩序の壁はない。



 夜が更ける。


 冷えた空気が肌を刺す。


 リルナは外套に包まれ、

 いつの間にか眠りに落ちていた。


 顔は安らかだが、

 夢はきっと穏やかではない。


 それでも、夢を見ることを許された眠り。


 俺は立ち上がり、周囲を見渡す。


 追手はない。

 今夜は、まだ。


 だが、必ず来る。


 秩序は、逃走者を許さない。


 そして――

 俺たちは、次第に“象徴”になる。


 均一から逃げた者。

 旅を選んだ者。


 その存在自体が、

 この世界への問いになる。



 灯が近づいてくる。


 影が俺の足元で揺れ、

 言葉にならない意思を伝える。


 ――この世界は、長くなる。


 俺は小さく息を吐く。


「望むところだ」


 森を出た意味が、

 ここでようやく輪郭を持ち始めた。


 新しい中世。

 再定義された世界。


 そこに生きる人間たちと、

 均一に抗う少女。


 そして、

 その悪魔が願う未来は――


 破壊ではなく、

 感染として広がっていく。


 静かに。

 確実に。

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