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その悪魔が願う未来  作者: 暁 龍弥


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第44話「森が眠る夜、出発の決意」

 その夜の森は、いつもより少しだけ静かだった。


 風の音が遠い。

 葉擦れの囁きも、土のきしみも、いつもより一段階“奥”に沈んでいる。


 森が眠ろうとしている――そう分かった。


 崩れた街も、死ねなかった都市も、かつて人だった成れの果ても、

 全部見たわけじゃない。

 それでも、世界の“主要な終わり方”は一通り触った。


 なら、次は――始まりを見なければならない。



 焚き火は、低く、丸く、青と赤の境目で燃えていた。


 青は外の世界の火。

 赤は森の火。

 その二つが、今はきれいに混ざり合っている。


 どちらかがどちらかを飲み込むことはない。

 均衡している――というより、同じものになりつつある。


 外から拾ってきた終わりと、森が持っていた永遠が、

 今やひとつの炎の中で、同じ熱として揺れていた。


 それは、森編の終わりにふさわしい火だった。



 リュミエルが、焚き火の向こう側から俺を見た。


 頬杖をつき、片目だけ細める。


「ねえ、アルス。

 あんたもう、ここだけで完結する気ないでしょ?」


 問いかけというより、確認に近い。


 俺は、少しだけ間を置いてから答えた。


「……最初から、そのつもりはなかった」


 森を作ったとき、俺は“逃げ場”を望んだ。


 世界の終わりから離れ、

 自分だけの永遠に沈み、

 誰にも邪魔されず狂っていられる場所を。


 だが、永遠は俺を退屈させなかった。

 狂気も俺を壊さなかった。


 代わりに――


 “続き”を考える余裕を与えた。


 それが今になって、ようやく形になってきている。



 バロウが、乾いた笑いを漏らした。


「ここまで世界を見て回って、

 “森に引きこもったまま一生を終えます”なんて言い出したら、

 さすがにぶん殴るところだった」


「お前に殴られるくらいなら、外へ出るな」

 カインが淡々と口を挟む。


「外へ出たほうがまだ平和だ」

 エリスがくすりと笑う。


 その軽口ひとつひとつが、

 この森が“俺だけの箱庭”ではなくなった証拠でもあった。


 森は俺の世界だ。

 だが、俺だけのものではない。


 リュミエルも、カインも、エリスも、バロウも、狼も、灯も。

 ここにいるすべてが、この世界の住人だ。


 だから――ここから先は、俺だけの都合で選べない。



「世界を全部見て回るつもりはない」


 と、俺は言った。


 焚き火の火は揺れない。

 炎の形は、そのまま熱だけが増した。


「滅び方も見た。

 生き残り方も見た。

 それで十分だ」


 街は自分たちで終わりを選んだ。

 都市は死を拒み続け、しぶとく延命しようとした。

 成れの果ては、それでもなお、生きたいと願った。


 その三つを見た時点で、この世界の答えはおおよそ決まっている。


「これ以上残骸を集めても、森の火はそんなに変わらない」


 燃料はいくらでもある。

 だが“質”はもう理解した。


「次は――燃やされてない場所を見に行きたい」


 そう言った瞬間、

 森のどこかで、枝の折れる音がした。


 拒絶ではない。

 戸惑いでもない。


 “合図”だ。



 エリスが焚き火に顔を近づける。


「“新しい世界”だね」


 その言葉には、具体的な地名も、形も、地図もない。


 ただ、それで十分だった。


 俺が望んでいるのは、

 文明が完全に焼け残った瓦礫でも、

 永遠だけが続く結界でもなく、


 **“普通に回っている世界”**だ。


 人が生まれ、死に、

 国ができて、争って、滅びて、

 それでも明日が来ると信じて誰かが働き続ける。


 馬鹿みたいな営み。

 くだらないつながり。

 ささいな幸せと、ささいな絶望。


 そういうものが、まだ残っている世界。


 そこへ行こうとしている。



「いわゆる“再定義された世界”ってやつだな」


 カインが、いつもの調子で言葉を補足する。


「文明が一度終わったあとで、

 誰かがもう一度、世界のルールを書き直した痕跡がある場所だ」


 バロウが肩を竦めた。


「まあ、分かりやすく言えば“もう一周目じゃない中世”ってやつだな。

 お前がいた頃と見た目は似てるが、中身はぜんぜん違う」


「前の人類が残した“答え”の上に、

 まるで自分たちだけでそこにたどり着いたような顔をして暮らす連中さ」

 リュミエルが薄笑いを浮かべる。


「それって、ちょっとだけ……楽しそうだね」

 エリスが、ほんの少し目を輝かせた。



 灯は何も言わない。


 だが、焚き火の光の中で、その輪郭がはっきりしていく。


 肩の線。

 腕の長さ。

 胸の薄さ。

 背骨の曲がり方。


 まるで、“人の世界へ出る準備を始めている”ようだった。


 その変化を、森は止めない。


 灯は俺の影であり、外を映すレンズであり、

 灯自身の歩みを持つ存在だ。


 森の外へ出ることは、灯にとっても自然な流れだ。



「出発は、いつにする?」


 リュミエルが訊く。


 その聞き方からして、もう決まっていることだと分かっている。


 “行くか行かないか”ではない。

 “いつ行くか”の話だ。


 俺は、焚き火から目を離さないまま答えた。


「森が眠るときだ」


 その言葉に、森がわずかにざわめいた。


 風が、いつもより低い音で木々を撫でる。

 根が土の奥でゆっくりと締まり、

 葉が枝により密着していく。


 森全体が、一度“眠りの姿勢”を取り始めていた。



 狼が、焚き火の輪に入ってきた。


 これまで、狼は境界付近で見守ることはあっても、

 焚き火のすぐそばまで来ることは滅多になかった。


 その狼が、俺の隣に座る。


 金の瞳が、真正面から俺を見つめている。


 問いかけでも命令でもない。

 ただ――確認だ。


 俺は、わずかに顎を引いた。


「森が眠っている間は、俺がここにいなくても、崩れない」


 そう言った。


 事実だ。


 この森は、俺ひとりの意思だけで保たれているわけではない。


 リュミエルも、カインも、エリスも、バロウも、この火も、狼も。

 灯すべてが、この森の“骨格”だ。


 俺が少し離れたところで歩いていても、

 森は森として呼吸を続ける。


「だから、その間だけ外を歩いてくる」


 狼は目を細めた。


 それは、森の意思が“了承した”証拠だった。



 焚き火の炎が、ゆっくりと低くなる。


 消えるわけではない。


 燃え方が変わる。


 「眠りの火」。


 外へ出ている間も、森編で見てきたものすべてを燃やし続け、

 新しい世界の情報を受け入れる準備をしておく炎だ。


 俺はその前に手をかざす。


 火は、俺の掌の温度を確かめるように揺れた。


 お前は本当に行くのか。

 本当に戻ってくるのか。

 本当に、ここを捨てないのか。


 ――問いかけは、炎の形にしかなっていない。

 だけど、全部分かる。


「行くさ」


 俺は答えた。


「そして戻る。

 外で拾ってきた“今”を全部連れて、戻ってくる」



 森の奥から、木の軋む音が幾度も聞こえてきた。


 抵抗ではない。

 痛みでもない。


 まるで巨大な獣が深い寝床を整えるみたいな音だ。


 幹が、枝が、根が、空気を整え、

 森そのものが“長い眠りに入る姿勢”をつくる。


 そのあいだ、森は外界との関わりを最小限におとす。

 余計なものを入れず、余計なものを出さない。


 “帰りを待つ体勢”だ。



「行くと決めたなら、

 あたしたちは何も言うことないわね」


 リュミエルが、気怠そうに伸びをする。


「それぞれ、やることがあるし」


「森の深層部の調整もしなければな」

 カインが淡々と続ける。


「外から変なの連れてきたときのための受け皿も要るしな」

 バロウが口の端を上げた。


「あなたが戻ってきたときに、

 “ちゃんとここが帰る場所のまま”でいられるようにしておかないとね」

 エリスが微笑む。


 そのどれもが、冗談半分で、本音半分だった。



 灯は、焚き火の光の中で立ち上がった。


 影の輪郭は、人間のそれに限りなく近い。

 顔だけはまだ曖昧なまま。


 灯は、俺のほうを向く。


 何も言わない。

 それでも分かる。


 「次は、一緒に長く外を歩く」


 これまでは、

 森と外を行き来する短い旅だった。


 次は――

 森を一度“背に置いたまま”、外の世界を巡る。


 新たな中世。

 再定義された人類。

 そこに生きる者たちとの遭遇。


 灯は、そのすべてを映すための存在だ。


「頼りにしてる」


 俺が言うと、灯は炎のように揺れて応えた。



 狼が、焚き火から少し離れた場所に移動する。


 そこは、森と世界の境界線のさらに手前。

 俺が帰ってくるとき、最初に踏むことになる場所。


 狼はそこで伏せた。


 帰りを待つ姿勢。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 その姿を見て、胸の奥の何かが、ようやく完全に落ち着いた。


 俺は、この森を置いて出て行くわけじゃない。

 森に“帰ること”を前提に旅立つのだ。


 それを、身体の奥から理解できた。



 静けさが、一段深く落ちる。


 森の音が、すべて遠くに行く。


 虫の羽音も、木のざわめきも、土の鳴きも――

 ぜんぶ、枕の下にしまわれたみたいに小さくなる。


 森が、眠りに入ったのだ。


 眠りといっても、完全な停止ではない。

 呼吸を浅くして、感覚を深くして、

 外の刺激を少なくしながら、内側を研ぎ澄ませていく状態。


 冬眠にも似ているが、もっと意識的だ。


 この状態なら、森は長いあいだ傷つかない。

 誰かが迷い込んできても、深部までは辿り着けない。


 俺の帰りを待つには、もっとも安全な姿だ。



 焚き火だけが、まだ眠っていない。


 青と赤が混ざった炎が、夜のど真ん中で目を覚ましたまま燃えている。


 俺は立ち上がる。


 灯も立つ。

 狼は伏せたまま目だけ動かす。

 仲間たちは、少し遠い場所から見守っている。


「行ってくる」


 俺は言った。


 今回は、はっきりと口に出した。


 誰かに向けて――ではなく、

 この森全体に向けて。


 森にとって、これは初めて“はっきり告げられた出発”だ。



 リュミエルが手を振る。


「お土産は期待してないから。

 そのぶん、“面白い顔”をして帰ってきなさいよ」


 バロウが笑う。


「帰ってきて最初に言うセリフが

 “疲れた”とかだったらぶん殴るからな」


 カインが呟く。


「帰ってきたときに世界の構造を全部説明しろ、とは言わん。

 ただ、“お前がどう変わったか”だけは見せてもらう」


 エリスが目を細める。


「それで十分だよ。

 あなたが“生きて帰る”って分かれば、それで」


 灯はなにも言わない。

 だが、その影は“隣にいる”ことを明確に伝えていた。



 境界へ向かう。


 大樹は眠っている。

 葉は風の代わりに夢を受け取り、

 根は大地の代わりに世界の微かな震えを聞いている。


 狼はその根元で伏せたまま、

 俺の横を一瞬だけ通り過ぎるように見つめた。


 金の瞳の奥に、言葉はなかった。


 その代わり――確信だけがあった。


 「お前は帰る」

 「俺は待つ」

 「それでいい」


 それ以上は、いらない。



 境界線を越える。


 森の空気が、背中側に集まっていく。

 胸の前には、外の冷気が入ってくる。


 歩き出す。


 一歩。

 二歩。

 三歩。


 森は眠っている。

 焚き火は燃えている。

 仲間たちはそれぞれの位置で役目を果たす準備をし始めている。


 俺は――歩く。


 再定義された新しい中世へ。

 再構築された人類の世界へ。

 “その悪魔が願う未来”の、次の舞台へ。


 


 そして森の夜は、静かに深く沈み込みながら、

 その悪魔の帰還を待つ“長い夢”へ落ちていった。

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