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その悪魔が願う未来  作者: 暁 龍弥


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第40話「語られない報告と、次の行き先」

 森は、最初の一歩を踏み入れる前から俺を歓迎していた。


 空気の濃度が変わった。

 土の湿度が変わった。

 音の響き方が変わった。


 森の世界は、外の世界よりも“生きている”。


 踏み込み一歩目には、わずかな抵抗があった。

 それは拒絶ではなく、“確認のための衝撃”のようなものだ。


 次の一歩目は、柔らかく受け止められた。


 まるで、


「確かにお前だ。帰っていい」

 と言われたような感覚。


 糸が太くなる。

 背中の奥、魂の奥に絡んでいた森との繋がりが、より強固に、より深く、よりやわらかくなっていく。


 帰ってきた。

 ただいま、と心が言っていた。



 大樹が見える。

 狼がそこにいた。


 俺が境界に戻るのを踏みとどまるように待っていた狼は、姿勢を崩した。

 座り込み、長い息を吐き、尻尾で地面を一度叩く。


 「帰ってきたか」


 言葉はなかったが、その感触はまっすぐ伝わった。


 俺は短く頷いた。

 狼はそれ以上を求めない。

 問いかけない。

 安堵もしない。


 ただ事実として受け止め、それだけで役目は終わる。


 だからこそ、安心できる。



 焚き火が見える。

 仲間たちがいる。


 火はまだ丸く燃えている。

 あの火は、俺が境界を跨いだ瞬間から「帰るまで形を崩さない」ように燃え続けていたのだろう。


 まるで、


「帰ってくるのを前提として燃やす」

 という意志の火。


 俺は焚き火の輪に戻った。


 誰も立ち上がらない。

 誰も肩を叩かない。

 ただ、それぞれの姿勢のまま迎える。


 それが一番心地いい迎え方だった。



 リュミエルが、こちらをちらっと見ただけで言う。


「おかえり。

 どうだった?」


 優しい声。

 しかし中身は違う。


 “何を見た?”ではなく、

 “見たものすべてを話す必要がある?”でもなく、


 **「語りたいなら聞くよ」**というニュアンス。


 だから俺は答えた。


「語らなくていい」


 リュミエルは、それだけで満足したように微笑む。



 バロウは、微動だにせず体勢を維持したまま。


「そりゃそうだ。

 言葉にしてしまうと、お前が“外の世界の意味”を引き受けちまうからな」


 淡々とした声。

 感情ではなく理解から出た言葉。


「外は“意味を押し付けてくる”世界だろう」

 カインが静かに言う。


「語った瞬間、その意味が“森の意味”に干渉する」


「だから黙って帰ってきた」

 俺は頷く。


「うん、それが一番正しい」

 エリスは火を見つめたまま言った。


「だって、あなたが帰ってきたって事実さえ分かれば十分だから」


 その通りだった。


 報告は必要ない。

 結果だけでいい。


 外の世界は外の世界。

 森は森。

 混ぜ合わせる必要は、ない。



 灯が俺の隣へ座った。


 影の輪郭は、外へ出る前よりもわずかに濃くなっている。

 そしてほんの少しだけ、人に近い。


 目の位置に光が集まり、頬の線が形成され、

 肩の角度が“感情”を帯びる。


 灯は何も言わない。

 けれど、灯の変化そのものが語っている。


 外の世界は灯に影響を与えた。

 そして灯の変化は俺に影響を与えている。


 森はそれを許している。


 乾いた外から生きた森への血流のような変化。


 それは危険ではない。

 豊穣だ。



 焚き火の音が少しだけ大きくなった。


 語らない報告。

 それで十分だった。


 そして――会話が生まれる必要もなく、

 ただ雰囲気だけで次の話題へ移る。


 森の夜は、完璧に自然に流れる。



「次は、どこを見るつもり?」


 エリスが静かに尋ねた。

 急かさず、押しつけず、ただ“考えを促す”声。


 俺は火を見つめながらゆっくり答える。


「街は、終わりを選んだ場所だった。

 “死なないために死んだ”世界の姿だった」


 その表現には、誰も違和感も驚きも示さない。


「だから次は――」

 言葉が自然に続く。


「“死ぬために生き残ろうとした場所”を見に行きたい」


 今回とは逆の世界。


 終わりから逃れるために、最後まで生きようとした場所。

 意味を持とうとし続けた痕跡。

 野心・願い・絶望・執念・救い・拒絶――なんでもいい。


 最後の線を引くことを拒んだ集団の跡。



 リュミエルが小さく笑う。


「そういう場所、絶対に残ってるよ。

 だって“最後の線を引くことすら選べなかった弱さ”も、世界の形だから」


 バロウが焚き火を突く。


「街と正反対の場所だろうな。

 綺麗でも静かでもなく、“汚く生きることにしがみついた死骸”」


 カインは淡々と補足する。


「そこでは意味が暴れ続けているかもしれない。

 否定も肯定もなく、ただ衝動だけが残っている」


「そういう場所を嫌いそうに見えて、案外好きでしょ?」

 エリスが笑う。


「……まあ、嫌いじゃない」


 そう答えた俺自身に、少しだけ驚いた。



 灯がわずかに揺れる。


 影の動きは“方向を知っている”と告げている。


 灯は外の世界を一度見ている。

 終わりを選んだ世界を見た。

 だから今度は――終わりを選べなかった世界の方角を知っている。


「案内してくれるか?」


 灯は、焚き火の炎のように柔らかい揺れで応えた。



 狼が、森の奥からこちらへ歩いてきた。


 境界ではなく、焚き火のそばまで。

 それは滅多にない。


 狼は俺の正面に座った。

 瞳は金色に光り、森そのものの意思を映していた。


 狼は吠えない。

 唸らない。

 ただ、視線だけで告げる。


 帰れる。

 次も帰って来い。

 森はそれを前提として存在する。


 俺は短く頷く。

 狼はそれで満足した。



 焚き火の炎が、また一段階だけ高さを増した。


 夜が深まり、

 外の世界への関心が森へ溶け、

 “帰還の夜”がひとつ完結する。


 語らない報告の夜。


 それぞれが、俺の帰りを当然のこととして受け止め、

 俺も森へ戻ることを当然のこととして感じている。


 この循環が、

 森編を終えるための基礎を固めていく。



 火の光は未来へ伸びる。


 次に向かうべき場所は決まった。


「死ぬことを恐れ、生き残ろうとして、

それでも滅びた場所」


 そこに、2000年分の“執念”が残っている。


 終わりを受け入れられなかった世界の形。


 それを見て、俺はさらに森へ深く帰ってくる。


 森の未来を、より濃く、より鮮明に、より確かにするために。



 その悪魔が願う未来は、

 焚き火の熱を胸に宿したまま、

 次の段階へ向かう準備を始めていた。

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