第3話「誰もいないはずの王都で、声がした」
死が支配する王都の中心で、俺は歪んだ魔法陣を見下ろしていた。
磔にされた無数の住民が残した血の跡。その中心に刻まれた円形の魔法陣は、ただの儀式では断じてない。
問題は――使われた魔力が“人間由来”であることだ。
魔力感知を強く発動させた瞬間、俺の背筋が粟立った。
大量の魔力がここに流れ込んでいた痕跡がある。
勇者カインの、戦士バロウの、魔法使いリュミエルの、そして聖女エリスの魔力――
四人が生涯で積み上げてきた莫大な魔力量が、この魔法陣に“吸い取られた形跡”があった。
「勇者パーティの……魔力を使った、のか?」
魔王に殺された瞬間に流出した魔力を、ここで何に使った?
復活の儀式か?
封印解除か?
生贄による召喚儀か?
答えは、わからない。
だが一つだけ確かなのは――魔王が俺を生かし、王都は儀式で滅ぼされた。
その二つが偶然であるはずがない。
深く考えようとしたときだった。
――ガンッッ……!
乾いた金属音が、遠くで響いた。
建物が崩れる音ではない。
短く、鈍く、壁を叩くような音。
生存者か?
罠か?
敵か?
だが、俺の身体はその正体を確かめようと勝手に動き出していた。
心臓が騒ぎ、理性より本能が優位になる。
「……どこだ」
気づけば、腰の短剣に手が伸びていた。
俺は暗殺者。索敵と探索のプロだ。
歩みを進めるにつれ、音は地下方向から聞こえてくると確信した。
王城近くの聖堂――正確にはその地下に、隠し通路がある。
人なら誰も知らない道。
だが、俺は任務で一度潜入したことがある。
聖堂跡の地下へ降りる階段は、瓦礫の下に埋まっていた。
それを素手で掘り返し、指先の爪が剥がれて血が滲んでも止まらなかった。
なぜだろう。
人が生きているかもしれない、という淡い願いではない。
「死んでいたら殺す」「生きていたら問い詰める」
俺の中で生存確認は希望ではなく、復讐の義務にすり替わっていた。
階段を降りるたび、空気が湿って重くなる。
血と土とカビの臭いが混じり、人間を拒絶するような空気だった。
そして――扉の前で音が止んだ。
――ガン……ッ
今度は確実に人が叩いている音だ。
だが一定のリズムではない。
助けを求める音でもない。
まるで何かを“引っ掻く”ような音。
扉を蹴り破る。
軋む悲鳴をあげながら扉が粉砕された。
◆
その部屋は牢屋だった。
石造りの壁、剥き出しの鉄格子。
その中に――人がいた。
「やっと、来たぁ……」
声は人のものだが、人の声ではなかった。
髪は抜け落ち、皮膚はひび割れ、両腕の関節はあり得ない角度に曲がっている。
全身に刻印が焼き付けられ、魔力が渦巻き、所々が爛れて黒く膨張していた。
だが――顔を見た瞬間、心臓が止まるほどの衝撃が走った。
「……エリス……?」
聖女エリス。
俺たちの仲間。
玉座で真っ先に握り潰されたはずの彼女。
本来なら死体のはずの彼女が、化け物のように変形しながら微笑んでいる。
「アルス……生きてたのね……生きてて、よかった……」
その笑顔は、聖女だったころと同じ形。
でも、目だけが違った。
焦点が合っていないのに、的確に俺を見つめている。
涙が流れているのに、頬の筋肉は死体のように固まっている。
「逃げて……殺して……助けて……うれしい……苦しい……にげないで……」
発する言葉が全部矛盾している。
理性と本能と魂が、それぞれ別の方向へ引き裂かれている。
魔王の呪いだ。
俺の“不滅”とは違う、もっと残酷な呪い。
「アルス……ねぇ……やっと会えた……ねぇ……ねぇ……」
エリスが鉄格子に顔を押し付けた瞬間、皮膚が焼けただれ、血が噴き出しても笑っていた。
人としての形を失いながらも、俺の名を呼んでいる。
助けられる?
無理だ。
救える?
無理だ。
殺せる?
――それすら怪しい。
でも俺は気づいてしまった。
魔王は俺を“生かして”
エリスを“生かしたまま壊し”
王都を“儀式で殺した”
これは破壊ではない。
狙いがある。
意図がある。
俺の背骨がぞくりと震えた。
「アルス……ねぇ、わたし、ずっと……ここで……待ってたの……」
その瞬間――
エリスの両目から、黒い涙がこぼれ始めた。
魔力が部屋全体を揺らすほど膨れ上がり、理性を失った叫びが喉から絞り出される。
「アルアアアアアアアアアスッッ!!!!」
獣じみた叫びと共に、エリスの身体が膨張し、筋繊維が裂け、骨が隆起する。
俺は反射的に短剣を構えた。
――次の瞬間、気づいてしまった。
俺は仲間を助けたいんじゃない。
蘇ってほしいとも思っていない。
壊された仲間が目の前にいる現実が――俺を狂わせる快楽になっている。
心臓が、人間ではない脈の打ち方をしていた。
「……いいよ。殺してやる」
それは慈悲ではなく、願いでもなく――
復讐でも救済でもない、快楽だった。




