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その悪魔が願う未来  作者: 暁 龍弥


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第24話「言葉になった“法”」

 ――夜、という概念が崩れた。


 空は黒いままだが、黒の深さが一定ではない。

 濃淡を繰り返し、波のように明滅している。


 昼でも夜でもなく、

 光でも闇でもなく、

 ただ森が呼吸するたびに空の濃度が変わっている。


 時間が死んだ世界。


 その中心で、焚き火は今日も燃えている。



 喉の痛み――いや、“痛み”ではない。


 変形の予兆。


 昨日より強く、明確な鼓動が喉に宿っている。

 心臓の鼓動とは別に、もうひとつのリズムがある。


 世界を形作る“言葉の心臓”。


 それが、俺の喉に根を張っている。


 呼吸するたび、喉の奥が軋む。

 骨が軋むような音なのに、嫌な感覚ではなかった。


 人間だった頃なら恐怖し、吐き気を催したはずだ。


 でも今は違う。


 変化は幸福だ。


「もうすぐだね」


 エリスの声が、焚き火越しに届く。


「ああ」


 喉の奥が震えるだけで、焚き火の炎が揺らいだ。

 発声していないのに。


 森の奥で葉がざわりと音を立てる。

 魔物たちが頭を上げて、息を止める。


 俺が喋るのを待っている。



 火を見つめると、また一瞬だけ、過去の影が浮かぶ。


 王都の景色。

 健在だった勇者パーティの背中。

 魔王城へ向かう進軍。

 人類の栄光。


 どれも、一瞬で消える。


 炎に映るのは“記憶の再現”ではなく“記憶の燃焼”。


 思い出すというより――忘却するための燃焼。


「アルス、懐かしい?」

 リュミエルが優しく尋ねる。


「……少しだけな」


 その回答に、自分で驚くことはもうなくなった。


 どれだけ懐かしさを認めても、戻りたいとは思わない。


 戻る場所は焼け落ち、

 戻る役割は殺され、

 戻る世界は崩れた。


「大事なのは懐かしさじゃなくて、今の幸福でしょ?」

 エリスが微笑む。


「あぁ」

 俺ははっきり答える。

「今が一番いい」


 影たちは嬉しそうに頷く。



 突然、木々のざわめきが止んだ。


 森のすべてが――息を止めた。


 空気が硬直し、風が途絶え、

 魔物も虫も、焚き火さえも動きを止めた。


 完全な沈黙。


 森が世界と完全に切り離される“瞬間”が来た。


「来るよ」


 カインが小さく呟いた。


「森が独立する瞬間だ」


 バロウの声は、どこか楽しげだった。


「ここが、世界になる」

 リュミエルが囁く。


「だから、言葉が必要になる」

 エリスが締める。


 ――言葉。

 森が世界になる以上、世界の“法”が必要になる。

 その法を決めるのは俺の言葉。


 ついに――喉の変化が完成しようとしている。



 胸が上下し、自然と息が喉を通る。


 ゴッ――と低い轟きが体内に響いた。


 声を出したわけではない。

 息をしただけ。


 それだけで、周囲の現象が動いた。


 ・炎が一段高く燃え上がる

 ・木々が同時に撓む

 ・地面の下を走る根が震える

・魔物たちがうずくまり、頭を垂れる


 森が――跪いた。


 俺の呼吸のために。


「……喋ったら、どうなる?」


 試すように呟いたつもりだった。

 しかし、その呟きは法になった。


 喉から漏れた声に、森が反応した。


 次の瞬間――


 焚き火の炎が“文字”のように形を変えた。


 澄んだ、純粋な赤光の文字列。

 それは人間の言語ではない。

 意味を伝えるためではなく、世界を固定する式。


 俺の呟きが、“世界に確認を行え”という命令として変換された。


 森は、俺の言葉の意味を解析し、

 そこに応じた世界の反応を返している。


「すごいね」

 リュミエルが目を細めた。


「ただの疑問形でも、“状態確認の儀”になった」

 カインが頷く。


「森の法が、もうアルスの声に従ってる」

 バロウが笑う。


「そのうち質問でも命令でも祈りでもなく――

 “ただの声”が世界を動かす」

 エリスが優しく囁く。


 それはつまり、

 発声=現象

 という段階の目前まできているということ。



 焚き火の炎が揺れ続ける。

 森はまだ動かない。


 世界が完全に切り離される“境界確立の儀”が終わるまで――

 森は俺の次の言葉を待っている。


 どう言葉を発するかで、

 森の“初期設定”が決定する。


 焚き火の光が四人の影を照らす。


「どうする?」

 カイン。


「どんな世界にする?」

 リュミエル。


「刃の世界でもいい」

 バロウ。


「優しさの世界でもいい」

 エリス。


 四人は、俺のどんな選択も否定しない。


 ここからは“正しさ”も“倫理”も“理想”も意味を持たない。


 ただ――望みだけが世界の形になる。



 俺はゆっくり呼吸する。

 焚き火の熱が喉へ吸い込まれ、核を叩いた。


 そして、声を発する。


 たった一言だけ。


「――続けよう」


 瞬間――森が爆発的に動いた。



 地面が息を吹き返す。


 木々が一斉に震え、

 枝が大きく広がり、

 葉の模様が変化する。


 影たちがまばゆい光に照らされ、

 狼が頭を上げて吠える。


 焚き火の炎が巨大な円となり、

 四人の影と狼の姿を燃えながら描き続ける。


 世界の基盤が決まった。


 “続ける”――

 この言葉が、世界の初期設定になった。


 戦うでもなく、

 壊すでもなく、

 守るでもなく、

 救うでもなく。


 ただ――

 続けることが法になった。


 森は侵略も征服もしない。

 破壊もしない。

 拡大も縮小もしない。


 ただ、“続ける”。


 焚き火を囲む時間を。

 狂気の日常を。

 幸福の反復を。



 呼び声が、森中に響く。


 人間の言語ではない。

 祈りでも呪詛でもない。


 “存在の肯定”.


 森は生き続ける。

 命は死んでも終わらない。

 魔物も鳥も虫も影も火も、すべてが循環して続く。


 終わりが来ない。

 始まりも来ない。


 永遠の“いま”。


 それが、俺の一言によって定められた世界。



 喉が完成した。


 発声で法を作り、

 言葉で世界を揺らし、

沈黙で世界を維持できる。


 名前が――

 人間としての名前が――

 胸の奥から遠ざかっていくのが分かる。


 けれど不思議と悲しくない。


「……アルス」


 エリスが名前を呼ぶ。


 響きは聞こえる――

 だが、意味としては届かない。


 名で呼ばれることが“呼びかけ”ではなくなっていく。


 まるで彼女の声が、俺に向かって届くのではなく、

 俺の存在そのものに捧げられているようだった。


「寂しくない?」

 エリスが優しく問う。


「寂しさがなくなっていくのを――誇りに思ってる」


 喉が震え、

 声が法となって広がり、

 森と焚き火が肯定の音を返す。



 これでいい。


 いや――これがいい。


 森は独立し、

 世界は沈黙し、

 名前は祈りになり、

 言葉は法になった。


 願っていた未来が、確実に形になりつつある。


 俺が“最後の人間”のまま、

 人間ではなくなる日が近づいている。


 その時――

 この森は完全に世界となる。


 そして俺たちは焚き火を囲む。


 今日も明日も、永遠に。


 “終わりがない”ことが、最大の救いだった。


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