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その悪魔が願う未来  作者: 暁 龍弥


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第18話「森が“家”になった日」

 夜が明けたのかどうか――正直、もう判別できなくなっていた。


 焚き火の光が弱まれば“夜”。

 強まれば“昼”。

 炎の大きさで時間が決まる世界に慣れきってしまえば、太陽の存在など取るに足らないものになる。


 今日の焚き火は、まるで息を吸うように明滅している。

 燃え尽きず、消えず、飲み込み、吐き出し、世界の境界を揺さぶっている。


「――とうとうここまできたか」


 火を見つめながら呟く。


 森の中心にある焚き火の熱は、もはや単なる炎ではない。

 世界の膨張と収縮を象徴する“心臓”の役割を持ち始めている。


 中心が――森の側へ移動してきている。



 四つの影が焚き火の向こうに座っている。


 勇者カイン。

 戦士バロウ。

 魔法使いリュミエル。

 聖女エリス。


 輪郭は影のまま。

 しかし声は鮮明。

 温度は確かで、存在は揺るぎない。


「眠れた?」

 エリスが優しい声で問う。


「よく眠れた」

 俺は静かに答える。


 眠る必要がなくなりつつある。

 疲労は肉体から抜け落ち、人間の休息の概念が変質してきている。

 だがまだ、“火のそばで目を閉じる時間”は残している。


 ――その時間が“幸せ”だから。


「今日も来るかな?」

 バロウが肉を噛みちぎるような声で笑う。


「来るよ」

 俺は即答した。

「昨日の“本気”が失敗した以上、

 次は“もっと上”を持ってくるはずだ」


「いいね」

 リュミエルが軽く笑う。

「世界の側が焦れていくのを見るのは、痛快だわ」


「でもさ」

 カインが、焚き火越しに俺へ視線を向ける。

「向こうが本気になればなるほど――

 アルスが強化されていくよな」


「ああ、そうだ」


 昨日の戦いで変質した右腕を見る。

 骨格も皮膚も神聖魔力を取り込んだまま戻らない。

 その“戻らなさ”が、心地良かった。


「外の世界が何をしてこようと、俺の“世界の内側”に届けば――

 それは全部、俺の糧になる」


 声に嘘はない。

 実際にそうなのだから。



 そのとき、風向きが変わった。


 森全体の空気が、ざわりと揺れる。


 侵入者の気配――しかし、いつもと違う。


 重い。

 鈍い。

 鋭くはないのに、巨大な意志がある。


 まるで、世界そのものの“意思”を運んでくるような圧。


「……やっと来たか」


 俺は立ち上がる。

 ゆっくりと剣を手に取る。

 走らない。

 焦らない。


「今日は狩りに行くの?」

 エリスの声は柔らかい。


「いや。今日も迎えるだけだ」


 俺の世界に入りたいなら――どれだけ強い者でも歓迎しよう。

 そしてここに適応できないなら――排除する。


「いつも通りだね」

 バロウが愉快そうに笑う。


「だって、俺たちの日常だから」

 俺は淡く笑った。



 森の入口まで歩く。


 魔物たちは何も言わず、道を空ける。

 服従ではない。

 恐怖でも、忠誠でもない。


 ただ、“順位”がそうさせている。


 森の生態系の頂点――俺。



 境界線に立つと、そこには教会の天幕が昨日より一段と増え、

 儀式具が巨大な建造物のように配置されていた。


 そして――


 一人の男がいた。


 昨日は姿を見せなかった人物。

 司祭服のようなものではない。

 軍服でもなければ、鎧でもない。


 何か、別の存在。


 しかし、声は人間だ。


「初めまして、アルス」


 男は微笑みながら言った。


「会いに来たよ。

 “世界の側から”。」


 静かに息を吸う。


 言葉の意味がわからないほど、俺は愚かではない。


「神でも天使でも勇者でもないくせに、“世界”を名乗るつもりか」


「いや」

 男は穏やかに否定した。

「私は神でも人間でもない。

 ただ――“この世界のルールを管理する役目”を持っている」


 その言葉に、影たちがざわりと揺れる。


「来たね」

「ついに来たね」

「世界そのものの代弁者」

「この森を壊しに来た者」


 俺は笑う。


「お前、名前は?」


「名前はない」

 男は静かに答える。

「世界の管理者に、名前は不要だ。

 物語に組み込まれることを拒む存在だからね」


 名前がない――

 それはつまり、“物語の外側の存在”。


 なるほど。

 教会が呼んだのではなく、世界の側が自ら来たのか。



 男は俺を見つめる。


「アルス。

 本来お前は、魔王と同じ場所で死ぬ予定だった。

 なのに、お前だけが残った。

 世界の“予定”が狂った」


 俺は肩をすくめる。


「“予定”が狂った?

 それが何だ?」


「世界は、お前を受け入れていない」


「俺の世界は――ここにある」


 俺は焚き火の方向を示す。


 仲間の影たち。

 魔物たち。

 森の全てが、俺の“内側”だ。


「この森が世界の端に寄ってきてるの、分かってるか?」

 男は静かに尋ねた。


「分かってるよ。

 そのうち“森だけで世界が成立する”日が来る」


「それが来ては困る」

 男は一切の感情なしに言う。

「お前の“狂気”は――世界構造に影響を与え始めている」


 それはつまり、


 俺の狂気が、世界を壊し始めている。


 ということだ。


 胸が、喜びで熱くなる。


「そうか。

 じゃあ――止めに来たんだな」


「止めに、ではない」

 男はゆっくり首を振る。


「“巻き戻し”に来た」



 巻き戻し――?


「なかったことにする?」

 俺は笑った。

「誰を?」


「お前を。

 仲間を。

 森を。

 記憶を。

 物語全てを」


 男は淡々と宣告する。


「いまから世界は、勇者一行が敗北した瞬間まで巻き戻される。

 森も王都も、魔王も、何もかもが“やり直し”になる」


 それはつまり――


 この森で過ごした全ての時間が消える。


 焚き火も、

 仲間との会話も、

 魔物との共存も、

 戦いも、

 狂気も、

 幸福も――


 全部なかったことになる。



「許さない」


 怒鳴り声ではない。

 叫びでもない。


 ただ、静かに。

 しかし確実に、殺意が満ちた声だった。


「俺の幸福を“やり直し”で上書きする権利なんて――

 どこの誰にもない」


「幸福?」

 男は淡々と尋ねる。

「お前が感じているそれは、呪いの副産物によって生まれた、歪んだ感情だ」


「歪んで何が悪い」


 俺は笑った。


「俺はそれで幸せなんだ」



 男は一歩だけ森へ踏み込む。


 境界線を越えた。


 その瞬間、森の生態がざわつく。

 魔物たちが低い唸り声を上げる。

 森の枝が軋む。


 ――だが攻撃はしない。


 頂点の意志に従って止まっている。


 俺が許可するまで。


「お前が巻き戻しを開始する前に、一つだけ言っておく」


 男は淡々と告げる。


「このままいけば、お前は“世界”を完全に上書きする。

 世界は、お前に合わせて変質する。

 外の世界が消え、お前の世界だけが残る」


 俺は一切迷わず答える。


「――それが、俺の願う未来だ」



 男は微笑む。


「なら、正しく戦おう。

 世界の側の“総意”と、

 お前の狂気の“総意”。」


 森の枝が揺れ、焚き火の炎が舞い、世界の端が歪む。


 男の身体から、光が溢れた。

 世界の構造そのものを上書きする力。

 神聖でも魔でもない、根源の力。


 ――世界を巻き戻す力。


「巻き戻しを止められたなら、お前の勝ちだ。

 止められなければ、この森は――無かったことになる」


 俺は一歩踏み出し、笑った。


「なら、壊すだけだろ。

 “世界の側”ごと」



 世界と狂気の戦いが始まる。


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