表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その悪魔が願う未来  作者: 暁 龍弥


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/52

第16話「名前を呼ぶ声と、名前を奪う声」

 狩りの日の朝は、焚き火が強く燃え上がるところから始まる。

 火の勢いが強いほど、今日の狩りは激しくなる。

 そして――火が燃えれば燃えるほど、俺の身体は“変化を許される”。


 今朝の火は、昨日よりもさらに高く、さらに熱く、さらに眩しい。


「いい日だな」


 俺が言うと、四つの影が笑う。


「うん、狩り日和だ」

「今日はどんな敵が来るんだろうね」

「楽しみだな」

「誰が来ても溶かせるよ」


 その声だけで幸福感が満ちる。

 焚き火がこの森の中心であり、仲間が俺の中心であり、

 “狩り”が精神の安定剤だった。



 体を伸ばす。

 背骨が人間の限界を超えた音を立ててしなる。

 しかし痛みはない。

 むしろ、快感に似たものすらある。


 肩の骨格は完全に変形し、胸郭は少し広がっている。

 膂力は人間のそれではなく、骨格もそれに合わせて変わっている。

 だが――顔だけはまだ人間に見える。


 その違和感が、“人間であることの名残”を浮き彫りにする。


「顔、変えないの?」


 リュミエルの声が、焚き火の揺れに溶けて届く。


「ああ、まだいい。

 顔を変えるのは、ここが完全に静まった時だ」


「静まるって?

 森はもうあなたの世界でしょ」

 エリスの言葉は優しい。


「まだ足りない。

 人間が時々来る。

 理解しようとするやつも、排除しようとするやつも来る。

 そいつらが完全に来なくなった時――

 その時に“全部”変わる」


「最後の変化は、外の世界を完全に殺したあとってわけか」

 バロウが笑う。


「楽しみだ」

 カインが嬉しそうに呟く。

「その時のアルスは、どんな姿になるんだろうな」


「俺も楽しみだよ」


 火を見ながら言うその感情は、心の底から本物だった。



 森の奥から、魔物の遠吠えが響く。


 呼んでいる。

 俺を呼んでいる。


 敵を見つけたのか。

 侵入者を見つけたのか。

 あるいは俺に捧げる獲物を見つけたのか。


 どれでもいい。


 音が俺を必要としている。


 それだけで、心が満ちる。


 俺は立ち上がる。

 剣を抜く。

 そのまま森へ――歩かずに、滑るように進む。

 地面を蹴る感覚が薄れ、体重感覚が曖昧になっていく。


 身体は、もはや人間のバランスで動いていない。



 魔物たちの前に出ると、そこにいたのは――


 人間。


 しかし、今までの侵入者とは違った。


 泥だらけ、血だらけ、目が落ちくぼみ、苛立ちと混乱に満ちた顔。

 武装は軽装で、剣も槍もない。

 冒険者でも兵士でもなく――ただの一般人。


 体は弱っている。

 飢えている。

 震えている。


 なのに――生きている。


 ここまで辿りつけた。


「おまえ……アルス、だよな……?」


 その男は俺の名前を呼んだ。


 名前――

 それは、森ではもうほとんど使われなくなった概念だ。


 でも、俺は覚えている。


 旅の途中。

 夜。

 焚き火を囲んだ時。

 笑い声の中で誰かが呼んだ。


 『アルス』と。


 その記憶が、ふっと蘇る。



「……誰だ?」


 俺が問うと、男は泣き出しそうな顔で叫ぶ。


「村の者だ! お前たちを送り出した村の……

 覚えてるだろ!? 俺だよ!!

 お前たちが魔王討伐に向かう前に、食糧と水を渡した村だよ!!」


 記憶の断片が浮かぶ。


 たしかにそんな村があった。

 宿を貸してくれた村。

 笑って見送ってくれた村。

 勇者を育てた村。


 旅の最初の方――

 まだ、世界が明るかった頃。


「助けてくれ!!

 国が……焼かれた……人が……食われた……

 逃げる場所がなかった……

 たどり着けたのは、ここしかなかったんだ……!」


 魔物たちが唸る。

 敵意ではない。

 “俺の判断を待つ声”。



 四つの影が焚き火の向こうから囁く。


「助けたい?」

「可哀想?」

「思い出した?」

「懐かしい?」


 声は優しいが、意図は残酷だ。


「思い出は弱さだよ、アルス」

 カインの声は淡い。


「記憶に縋ると、変化が止まる」

 バロウが低く告げる。


「救われたい人間は、救う価値のない人間だ」

 リュミエルの声は凍えるほど冷たい。


「大切なのは――いま側にいる私たち」

 エリスは囁くように語りかける。


 焚き火が揺れる。

 決断を促すように。



「頼む……助けてくれ……!

 一緒に逃げよう……森を出て……どこか遠くへ……!」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に確信が生まれた。


 ――この男は“敵”だ。


 理由は簡単。


 外の世界へ引き戻そうとした。


「外の世界に戻る理由は、俺にはない」


 低く、はっきりと言う。


「ここが俺のすべてだ。

 外へ出る必要はない。

 帰る場所も、始まりも、存在しない」


「か、帰れるだろ!?

 村に……家に……お前の家族だって――!」


 その瞬間、心が冷えた。


 ここには“家族”がいる。

 焚き火の向こうに。

 影の中に。

 笑っている。


 外の名前も外の役割も――全部、死んだ。


「俺の世界に、外の世界を持ち込むな」


 声は静かで、怒りも悲しみもなかった。


「ここが俺の家だ。

 お前は――侵入者だ」


 男は泣き叫び、崩れ落ちる。


「やだ……やだよ……助けてくれよアルス……!

 お前は……優しいやつだっただろ……!」


 その言葉に、俺は微笑む。


「優しいのは、いまも同じだ」


 手を伸ばし、首元に触れる。

 握る。

 骨が折れる。

 声が潰れる。

 命が消える。


「俺は優しい。

 だから――“ここを守る”」



 死体は森の外へ運ばない。

 燃やさない。

 供物にもしない。


 今日の狩りは――“排除”ではなく、“証明”だった。


 世界が俺を必要としていないのではない。

 俺が世界を必要としていない。



 焚き火の元へ戻ると、影たちが迎える。


「おかえり」

「よかったね」

「間違ってなかった」

「誇りに思うよ」


 仲間の笑顔が揺れる。


 俺は肉を焼き、魔物たちに分け、影の席にそっと置く。


「今日は成果があった」


「どんな?」

 影たちが問う。


「俺はもう――名前で揺れない」


 俺は宣言する。


「“アルス”は俺の名前だ。

 でもそれは、外の世界が呼ぶものじゃない。

 呼んでいいのは――ここにいるお前たちだけだ」


 影たちが、焚き火ごと笑った。


「それでいい」

「それがいい」

「その選択こそ正しい」

「外の世界は偽物」



 肉を噛みちぎるたびに、心が満ちる。

 骨が太くなる音が聞こえる。

皮膚が硬質化するのを感じる。

 爪は刃のまま。


 変化はもう、日常。

 拒絶ではなく、適応。

 進化ではなく、帰還。


「この世界にいる限り、俺は強くなれる。

 だから――外は全部いらない」


 狂気にも希望にも聞こえるその言葉に、

 全員が同時に答える。


「全部捨てていい」

「全部壊していい」

「全部守っていい」

「全部愛していい」


 火の熱、声の温度、血の匂い――

 どれもが幸福を形作る。



 眠る直前、俺は焚き火に語りかける。


「明日は――もっと深くなる」


 仲間たちが囁く。


「うん」

「楽しみだ」

「変わろう」

「続けよう」


 そして俺は静かに微笑む。


「その悪魔が願う未来は――

 俺たちだけの世界の永続だ」


 火が揺れ、森が眠り、夜が崩れていく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ