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<人生、山アリTANIナシ>


 夕暮れの大学のピロティ・スペースの机の上に、パソコンを開けて学生さんが鬼の形相で目を血走らせて足し算をしている。

 「125,126,127…ああっ!やっぱり1つ足りない!」

さっきから同じことを2時間も続けている。その形相の不気味さゆえに、周りには人がよって来ない。やがて日が沈み外は暗くなっていく。

 その学生さんは学務課の自分の個人ページにウエブでつないでいたノートパソコンを閉じて、机脳絵に両手を伸ばして突っ伏した。


 そんな彼を見て、《お菊さんかな?》とミヤサワ君は思った。

 「お〜い、どうした? 魂が口から半分出かけているぞ。」

珍しく、まだ生きている学生さんにミヤサワ君は声を掛けていた。学生さんは机に突っ伏したまま、ミヤサワ君の方も見ずに、

 「死にたい…」

と呟いた。


 「逢魔が時にそんなこと呟いていると、悪いモノに連れて行かれてしまうぞ?」

見ると、その学生の足下に、黒っぽい半透明な何かが忍び寄っている。

 ミヤサワ君はその黒いモノを踏みつけて、学生さんに近づくことを阻止する。


 「放っといてください。」

学生さんは吐き捨てるように答える。

 「ボクはもうダメなんだ。」

学生さんはミヤサワ君の方を向こうともせずに、頭を机の上に乗せたまま、ミヤサワ君とは逆の方向に顔を向けて、呟く。


 「どうしたんだい?」

ミヤサワ君が尋ねる。

 「どうもこうも、足りないんですよ。卒業に必用な単位が1単位足りないんですよ。」

 学生は横を向き、頭を動かしもせずに答える。お行儀のわるい失礼な態度だ。けれどミヤサワ君はさらに問う。

 「1単位足りないって…余裕を持った履修登録をしなかったのかな?」

 「だって、今期はじめの時点で卒論以外はあと1単位だったから、絶対に落単の無いといわれる『楽勝』科目を登録したんですよ。試験も上々だったから大丈夫だろうと思って確認していなかったら、…成績評価が『X』(評価不能)だって… 授業への出席が足りないって、2/3のラインに達していないって言われました。14回の講義で9回しか出ていないって…だから単位を出せないって。」


 平成18年の大学設置基準の改定に伴い、単位認定に「講義へ2/3以上出席していること」がその単位の認定の必用用件に加えられた。これは文部科学大臣の記者会見で、大手新聞社の『大学のレジャーランド化について』の質問に対して、大臣が「2/3以上出席していない学生に単位を認めるのは良くない」というコメントを出し、それに会わせて省令が改正されたものだ。

 それに伴い、多くの大学は学則などで2/3出席と言う基準を明文化している。しかし、多くの先生は出席が後1回足りない程度なら、お目こぼしをして来た。彼のように試験の結果が良ければ、この基準を適用せず、独自の判断で単位を認定する年寄りの先生も多かった。


 ほぼ1半年前、この大学の別の学部の学生が『◯◯の単位は楽勝さ、出席していなくても試験で60点とれば、単位が出た』とSNSで呟いた。それを読んだ他大学の学生がこの大学の事務へ『それは本当ですか』と具体的な話しとそのSNSのurlを資料として問い合わせた。大学設置基準違反は大学の認可に関わる大事おおごとだ。大学の首脳部は大慌てした。しかし、文章などで《2/3以上出席していないと『X』になりますよ》とあえて通知すれば、これまで法令違反していたことを半ば認めることになる。 そのため、1年前の春の在校生向けの履修ガイダンスにおいて、口頭で学生さん達に『2/3以上出席していない学生の単位は認められない』と強く強く警告していた。


 「君は、去年3月末の在校生ガイダンスには参加しなかったのかな?」

 「そんなん、参加しませんよ。そのためだけにわざわざ大学へ来るのはタイパが悪いじゃないですか。家でゲームをしてました。」

 ミヤサワ君はやれやれと肩をひそめてから首を横に振った。

 「じゃあ、自業自得だね。」

 「でも、急にルールを変えるのはひどくないですか?」

 「ルールはもう10年以上前から変わっていたよ。ほら、学則にも明示されている。」

 「そんなの、学則なんて誰も読みませんよ。」


 「それじゃあ、なぜ、もうひと講義、余分に履修登録しとかなかったんだい?」

 「それこそ、タイパ、コスパが悪いじゃないですか。」

 「それで、結局、もう1年卒業延期で学費も払わなきゃならなくなる、就職の内定もパァ〜では最高にタイパもコスパも悪いよねえ。」

 「あぁぁぁ〜。それを言わないで下さい。」

彼らの世代はタイパ、コスパにこだわる。タイパやコスパの良し悪しを優先すべき判断基準とし、タイパやコスパの悪いことを心の底から嫌悪する。


 「慰めにはならないけど、僕はあの2/3ルールが大っ嫌いなんだ。」

 「先生が嫌いだっていっても、意味ないですよ。」

 「そうだね。でも、多くの、特にお年寄りの先生はあのルールを馬鹿げていると思っている。だから、何か適当な『理由付け』ができれば、その不合格を覆せるかもしれないよ?」

 「理由付け?」

 「そう、理由付けだ。」

 「例えば?」

 「君が14回の講義で5回休んだ理由は何かな?」

 「4回は遊びに行きました。1回は新型コロナですね。」

 「その新型コロナでの欠席はその先生や学務課に届け出たかい?」

 「いいえ、そんなタイパの悪い面倒くさいことはしていません。」

 「その時の診断書とか、検査結果は残っているかな?」

 「検査結果は探せば家にあるかもしれません。」

ミヤサワ君はあごひげを右手で擦りながら答えた。

 「いいかい。もう間に合わないかもしれないけど。その検査結果を明日朝、学務課に持っていきなさい。学校保健法ではインフルエンザや新型コロナは欠席にしないこと、公欠扱いになっている。判定を覆すことが出来るかもしれないょ。」


 「本当ですか?」

 「幸運を祈る。Good Lick!」


 学生さんがはじめて顔を上げた時、三角帽子をかぶったミヤサワ君はニヤッと笑い、サムアップをして、夕闇のなかに消えた。 

 《あの会話は、夢だったんだろうか?》と学生さんは思った。



 その後、夕方、ピロティ・スペースで成績を確認していると、三角帽子をかぶった水田准教授の幽霊がアドバイスしてくれると噂された。





リシンは昨日で定年退職しました。

今日から無職です。毎日が日曜日だと喜んでいます。

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