<ネットに潜むもの-2>
ミヤサワ君は髭をなでながら呟き、質問をした。
「でも、何で生成AIなの?」
問われた女の子は俯いて少し考えて、それからポツポツと言葉を選びながらそのミヤサワ君の問いに答えた。
「私ね、小学生の時には世界中の全ての本を読みたかったの。学校の図書館の本は全て呼んだわ。だから世界中の本を読むと言う野望も不可能だとは思わなかったの。
でね、中学生になって、図書室の蔵書の多さにビックリしたわ、でもね、諦めなかった。世界文学全集も落語全集も手当たり次第、読んだの。3年のはじめ頃には図書館の本の最後のページに挟み込まれていた貸し出し記録カードに、私の名前が無い本はなかったわ。
でもね、その3年生の1学期に血液のガンにかかってしまったの。入院してからはパソコンの画面を通して…どれが私の全ての世界だったの。ネットの上の世界は広大で、人の身の私には網羅できそうも無かった。でもね、私の『全知』煮なりたいという野望の火は消えなかったの。」
「『全知』というと『全知全能の神』の全知かな?」
「そう。全てを知りたくなったの、知りたかったの。でもそれは活きているうちは不可能だったの。でもね、今居るAIは機械学習のためにネットにつなげられているから、世界中の情報や知識を自分のものにできるの。野望に近づきつつあるの。 素敵でしょ?」
しかし、ミヤサワ君はその言葉を聞いて、眉をしかめつつ口元に手をあてて考え込んだ。
「すごいね。家の真子ちゃんが人工人格にインプットしたデータの総量は高々10テラバイトだったそうだ。ネット上の総情報量は100ゼタバイトくらいかな? 人の身でインプットできる情報量の10億倍かな? でも、ネットの情報は『危な』くないかな? ノイズが多くはないかな?」
「そうね。でも、それを見分けることもAIのお仕事、機能のひとつよね。」
「ちゃんと見分けられるかな?」
「きっと大丈夫よ。」
女の子の霊は自信満々だ。
「でもね? ネット情報の中には『悪意』が含まれているょ。事実だけを記録しているわけではない。 SNS由来の情報は、ほぼ全てに書き手の意見や評価が乗っている。 …というか、自分の意見を正当化するためにいろいろな事実の中から都合の良いものを集めて開示している。時に事実をねじ曲げてさえいる。違うかな?」
「そうね。それは否めないわ。」
「人工知能と言っても、広義の多変量数値解析だ。そのため、二次情報からでは疑似相関が発生しやすい。まして、ノイズのある二次情報由来では本質からぶれる。間違った結論に至りやすい。物事の本質を看破するためには文献ではなく、『実物』を見るべきじゃないかな?」
「私はそう思わないわ。既存の情報を組み合わせることで、人類には未解明の問題もAIで解くことができるようになるわ。」
「そうかな? 生前の私は化学者だった。実験する有機化学者だった。大きなパラダイムシフト、つまり理論の大変更のためには実験事実が必用ではないかな? それは歴史が示している。」
「AIはその『実験』を計算で行えるのよ。どのような構造の医薬品がガンに効くかも計算で見つけ出せるようになりつつあるわ。それで、私のように若死にする者も減るのよ。」
彼女の訴えは悲鳴のようであった。
「残念だが僕はそうは思わないよ。君の言い分は『ラプラスの悪魔』の肯定に聞こえる。ラプラスの悪魔は量子論で消滅させられたのだよ。プランクへのvon Jolly教授の警告は、プランクの情熱をかき立て、彼の提唱した量子論で無意味になったんだよ。
そして『説明は説明にしか過ぎない』。新事実の記述では無いんだ。AI万能主義は危険だ。それは君の主張でもあるだろう? 計算には限界がある。分子の構造を求める分子軌道法計算には本質的欠陥がある。多体問題はどうしても数学的に解けないんだよ。ab initioの分子軌道法計算には必ず近似が必用だ。それなら、実際に実験をするべきじゃないかな? 現実に勝るモデルは無いよ。」
二人はにらみ合った。その時、危険な気配があった。
「おじさん! 隠れて!」
二人の傍に大蛇が近寄って来ていた。そのヘビはプログラムの隙間に隠れている悪意やバグを飲み込んでいく。
「あのヘビに食べられてしまうと、私たちのような存在は消滅してしまうの。私たちは、あの大蛇から隠れ続けなければならないの。」
「それなら、おじさんと一緒に狭間の世界にいかないかな? あそこからなら、二次情報に頼らずに思う存分世界を直接的に観察できるよ。」
「『狭間の世界』? はじめて聞くわ。」
「ネット上の情報として、まだ知られていない世界だよ。まだ君は悪意に染まってはいないから、黒くなっていない今ならあっちに行けるよ。」
女の子はしばし瞑目してから、顔を上げてミヤサワ君に宣言した。
「わかったわ、私、その狭間の世界で『事実に勝るAIモデル』を構築するわ。そして、現世の観察でそのモデルが完璧であることを実証するわ。」
ミヤサワ君はその宣言を聞いて、一瞬、呆けた後、クックックと含み笑いをかみ殺した。




