<橋の上に佇むもの-2>
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「それで、気がついたら、僕はこの橋のたもとの石段に腰掛けていたんだ。もう息苦しくはなかったよ。」
「そうか…」
ミヤサワ君は目を伏せて、小さく頷いた。
「そのあと、僕はお家に帰ろうと何度も橋を渡ったんだけど、橋の真ん中で動けなくなっちゃった。ほら、あの橋の真ん中の少し出っ張ったとこの近くで動けなくなるんだ。」
「ああ、あそこはこの橋の『三の間』とか『高舞台』と呼ばれる所だな。橋姫様という神様がいるんだ。『悪いもの』をとおせんぼしているんだな。」
「神様? 悪いもの? …僕、悪い者じゃ無いよ。 お家に帰りたいだけなんだ。」
ススム君は口を尖らせて抗議した。
「う〜ん…。そうだね。でも、神様は霊になってしまった君を通すわけにはいかなかったんだろうね。」
「神様って、…結構ひどいことをするね。」
「まあ、それが橋姫様のお仕事だからなあ。橋のこちら側は繁華街だから、悪い思いが生まれてたまって、溢れやすいんだよ。」
この橋につながる小径の突き当たりにはお寺がある。繁華街というよりも遊郭の立ち並んでいた歓楽街だったこの一帯へ、数百年の間に売られて来た娘達、病で命を落とした女達の無縁墓の供養塔がある。そこには苦界から抜け出せなかった者達の暗い思いが淀んでいる。
「お母さんとミーちゃんは大丈夫だったんだろうか?」
「ミーちゃんって?」
「僕の妹だよ。」
「ああ、…君のお母さんも美重子ちゃんもあの火事と騒動には巻き込まれずに、生き延びたよ。お父さんももちろん無事だったよ。」
「じゃあ、なんでお母さんはこの橋のこちら側へ僕を探しに来てくれなかったの? 僕は、毎日毎日、この橋を通る人たちを見ていたんだ。だけど、僕の知っている人は誰もこっちへ来なかったよ?」
「… 君のお母さんは、向こう岸のあの大火の犠牲者の供養塔には何度も来ていたよ。でも、この橋を渡らなかったんだ。君が亡くなったこの石段へは辛くてこの橋を渡れなかったんだよ。」
「そっか。 ここで待っていたらお母さんが迎えに来てくれるに違いない、て、そう思ってたんだけどなあ。」
ススム君は顔を伏せて…涙をすすり上げているようだった。
オレンジ色だった夕焼けが青に沈み、こちら岸の繁華街のギラギラとしたネオンがちらつく頃、川向こうの町の家々の柔らかな灯もちらほらと灯もされ、そのあたたかな光が川面に反射する。
ススム君はこの何十年もの間、この川面に移る柔らかな光をこちら側の岸から見ていたんだな。何を思って見ていたんだろう、とミヤサワ君は悲しく思った。
「いろんな人を見たよ。けばけばしいお化粧をしたおばさんやむっつりと俯き加減で歩くおじさん。若い男の人や、お姉さん。でも、子供はいなかったなぁ。」
「…そうか。」
「中には貼付けたようにニコニコしている人もいたけど、でも、なんかみんな無表情で怖かった。 でもね。誰も僕には気づかなかったみたい。誰も僕のことを見てくれなかった。」
ミヤサワ君は悲しげに、申し訳なさそうに、呟くように語りかけた。
「君を迎えにくるのが遅れて、ゴメンな。」
「おじさんは僕を迎えに来たの。でも僕、お母さんを待っていなくちゃ。」
「お母さんは君がこれから行く『狭間の世界』で君のことを待っているよ。」
「本当!? おじさんは僕をお母さんのところへ連れて行ってくれる人なの?」
「ああ、それが僕の仕事だからね。 さあ行こうか。」
「ちょっとだけ待って。僕、この景色をもう少しだけ見ていたい。」
その後、ススム君は川面に映る町の柔らかな光を何も言わずに見ていた。
《サヨナラ》
ススム君はその景色に小さな声で別れを告げた。
今から45年ほど前に、父の友人の芸術家の方の、『人間を知りたければ…』というアドバイスに従い、ボロボロの格好をして、四条大橋のたもとに座り込み、人間観察したことがあります。
『人は見かけによらない』を実感しました。




