<死神? -後編>
その夜、僕は喘息の発作に見舞われた。血中酸素濃度計がけたたましいアラート音を出している。80%を切ったようだ。低酸素血症だな。鼻に酸素チューブが装填される。遠くでお医者さんの看護婦さんへの指示が聞こえる。
「ヤバい、親御さんにも連絡しろ。」
「ハヤト君!ハヤト君!」
看護婦さんの必死の呼びかけも聞こえる。その喧噪の中で、僕は意識を失った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
気がつくと僕は湖畔の広いお花畑の中にいた。病室ではない。
《ああ、僕は死んだんだな》
と思った。
目の前に緑のとんがり帽子のおじさんと、白い髭のおじいさんがいて、心配そうに僕のことを見ている。
「どうかね?気分は?」
とおじいさんに訊ねられた。
「最悪です。まだ息苦しさを感じます。」
「ふ〜む。まだ魂は切れていないようじゃな。」
「そうですね。 ねえ、君、そこから下界、現世は見えるかな?」
おじさんに訊ねられたが、何を言っているか意味が分からない。
「なんですか?それは?」
「うん。まだ死んでいないようですね。」
「すみません。ここはどこですか? あなた方は誰ですか?」
僕はお二人に尋ねた。
「ここは現世と死後の世界の『狭間の世界』じゃよ。トゥオネラの湖のほとりじゃよ。 そして儂はクーボという。この緑のとんがり帽子のおじさんはミヤサワ君じゃ。」
「あら。僕は死んじゃったんですか。」
まだ親孝行もできていないのに、
《先立つ不孝をお許しください。》
「いや。まだ君は死んではいないようじゃ。『生きたい』と強く願えば現世に戻れるじゃろぅ。 でも、まだ苦しい日々が続くじゃろぅ。 どうする?」
自分の命の選択を唐突に問われた。何日か前の僕なら死を選んでいたかもしれない。でも、生き残れる可能性があるなら、生き返りたい。『また明日な』と隣室の友人と約束したんだ、約束を破りたくない。
「生き返りたいです。」
「そうか。 ミヤサワ君、この子を送ってもらえるか。」
「承知しました。 じゃあ、君、一緒に現世に戻ろう。案内するよ。」
ミヤサワ君につれられて、僕はあの病室に戻った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
僕は死ななかった。医者も両親も諦めかけていたそうだ。でも僕は死ななかった。母親には凄く泣かれた。心配かけてゴメンなさい。
危惧された低酸素血症の後遺症も無く、意識もしっかり取り戻せた。少しアホの子になった気がするが、もともとこんなものだったような気もする。
しかし、一つだけ、以前と異なることあある。目和さました時、病室の隅に立つ心配そうな顔のミヤサワ君を見かけたのだ。
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
1週間後、鼻から酸素吸入を受け、ベッドに寝ている僕は、ベッドサイドから僕の顔を覗き込んでいるミヤサワ君と目が合った。
「ミヤサワさんですね。お久しぶりです。」
ミヤサワ君は目をお大きく開き驚いた表情をした。
「私のことがわかるのかな?視えるのかな?」
「はい。トゥオネラのほとりのお花畑でお会いしたミヤサワさんですよね。憶えていますし。その緑のとんがり帽子もお顔も見えます。」
「そうか。まあ、狭間の世界に行った後遺症だな。じゃあ、この病室の隅で震えている薄緑色でプルプル震えているあの子も見えるかな?」
僕は首を回し紆余子を見た。確かに薄緑色のスライムの様なものが震えている。
「はい。見えます。」
「あれはトゥオネラ二位来そびれた子だよ。僕がこれから彼を連れて行く。でも、僕のことを他の人に話しちゃダメだよ。 低酸素状態で脳味噌が壊れたと誤解されてしまうよ。」
「そうですね。あの世とか、死神とか、そんな話しをすると、気が狂ったと思われてしまいますね。」
「おい、おい。死神って、僕のことかな?」
「えっ。ミヤサワさんって死神じゃないんですか?」
「僕は大鎌を持っていないし、生きている人の命を奪ったりはしないよ。亡くなった人の魂が迷わずに狭間の世界に行けるように案内するだけだよ。善良な存在だよ。」
ミヤサワ君は苦笑しながらそう言った。
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
ミヤサワ君が病室の隅で震えている薄緑色の霊魂?をどこかに連れて行ってから、僕の喘息は薄紙をはがすように良くなっていった。この病状の改善には、お医者様も首をかしげていた。結局のところ、アレルゲンは特定されなかった。
2週間後の検査結果が良好なら退院できるそうだ。その後は寛解と判定されるまで、1ヶ月に1回の通院になる。めでたしめでたし。でも、隣室の彼のことが気がかりだ。自分一人だけ退院するのがなにか申し訳ない。
♫ ♫ ♫ ♫ ♫
退院前のいろいろな検査が終わった夕暮れ時、僕は疲れているのに、ベッドにはいる気がせず、病室の前の廊下の長椅子に腰掛け、缶ジュースをちびちび飲んでいた。
隣室の彼の部屋から何かうめき声がする。間違いない。彼が苦しんでいる。僕はナースステーションへ駆け込んだ。
「隣の部屋からうめき声が聞こえます。苦しそうです。」
直ぐにナースが2名、彼の部屋に駆け込み、その後お医者様が飛んできた。さらにもうひとりお医者様が飛んで来て、隣の病室は騒然としている。
僕はイヤな考えにとらわれ、心臓がバクバクしている。でも、隣室に入り込むことは許されない。自室に戻り、まんじりともせずベッドの上で膝を抱えて丸まっていた。それでも、昼間の検査で疲れていたのだろう。まぶたが少しずつ落ちてうつらうつらしてきた。
日付が変わるころ、隣の病室から悲痛な叫び声が聞こえた。彼のお母さんだろう。僕は覚醒すると、自分の部屋から廊下へ飛び出した。
そこにはミヤサワ君と彼が居た。彼は困ったような悲しいような、そんな目で僕を見た。
「...や、やあ。元気?」
と声を掛けた。めちゃめちゃ間抜けなことを言っている。そう言う自覚はある。
「ああ。もう苦しくも、頭も痛くもないよ。目もよく見えている。夕焼けは美しかった。世界は美しいな。」
と彼は苦笑した。ミヤサワ君も苦笑している。
「お、お母さんとは、もう良いのかい?」
「うん。いつまでもここにいると、悪いものになってしまいそうだ。狭間の世界へ行くよ。」
「狭間の世界のことを知っているの?」
「ミヤサワ君に教えてもらった。ハヤトが狭間の世界に行ったことがあることも、僕やミヤサワさんを見ることができることもね。おかげでお別れを言えるのはラッキーだったかな?」
「さあ、そろそろ行こう。」
ミヤサワ君が彼を促した。
「またね。」
彼が言った。
「またな。…また会おう。」
僕が答えた。
「あまり急いで狭間の世界に来てくれるなよ。ゆっくり現世を楽しんでから来いよ。僕の分まで人生を楽しんでから来いよ。」
彼はそう言って、ミヤサワ君とともに光になって消えていった。




