離婚を言い渡された私に結婚を申し込んできたのは、若ハゲの公爵令息だった
「おいオリビア。俺はお前と離婚する」
朝食の席で夫は私にそう言った。茶色いふさふさの髪で太い眉毛のりりしい夫。
私は最近夫が浮気しているのを知っていたから、それほどショックを受けなかった。来るべき時が来ただけなのだ。きっと、私よりももっと若くてかわいい浮気相手と結婚するのだろう。
「わかりました。けど離婚の理由を教えてください」
「俺の目は節穴じゃないぞ。俺はお前の秘密を知っているのだ」と夫は言って大きな目でぎょろりと私をにらんだ。
「私の秘密?」
「とぼけても無駄だ。お前は俺を毒殺しようとしていただろう。俺の財産目当てでな」
「それは誤解です。私はあなたを毒殺しようとなんてしてません」
「しらばっくれても無駄だ。ここ2・3か月、俺は体調が悪くて何か変だと思っていたのだ。ずっと微熱があるし体がだるい。そんなおり、お前が俺の料理になにか薬を混入しているのを目撃した。俺はすぐにピーンときたぜ、お前が俺を毒殺しようとしているってことにな」
「それは誤解です」
「じゃあ俺の料理に混ぜていた物はなんだ?」
「そ、そそそそ、それは……隠し味です」
「お前は嘘が下手だな。目が泳ぎまくってるじゃないか」
夫は私の言い分に耳を貸さず。すぐに離縁してしまった。
彼は私と離婚したがっていたのだ。毒殺云々というのは彼にとって離婚のいい口実になった。妻に毒殺されかけたから離婚したのだと言えば、彼の評判は下がらない。
逆に私の評判は地に落ちた。世の中のたいていの人たちはうわさをそのまま信じてしまう。それが真実かどうかなんて確かめようとすらしないのだ。
実家に帰った私は静かな生活を送った。バツイチで25歳、おまけに前の夫を毒殺しようとしたという噂が立っている私はもう結婚はできないだろう。
そう思っていたのだが、意外にもこんな私に結婚の申し込みが来たのだ。
「相手は公爵家のご子息よ」と母が言った。
「え? 公爵家のご子息が私に結婚を申し込んできたの? それって何か裏があるんじゃない? すごく性格の悪いDV男とか、60歳ぐらいのおじいさんとか」
「いいえ、相手は29歳でお前の4歳年上。性格は真面目で温厚。おまけに頭がよくて仕事もできるわ」
「そんな人がなぜ私なんかを選んだの?」
「ハゲてるのよ」と母は言った。
「ハゲ?」
「そう、29歳の若さにもかかわらず、髪が少ないの。若ハゲってやつね。だから今まで結婚ができなかったみたい。どうする? 断る?」
「会ってみる。会って、話をしてから決める」
私に結婚を申し込んできた公爵家の御曹司マイケルは、背が高くてなかなかのイケメンでスタイルもよく、性格もよかった。仕事ができ、読書家で、幅広い知識を持った知的な人物だった。
ただ一点、唯一の欠点は若いのに禿げているということだけだ。
「実は昔から君のことを見ていたんだ」とマイケルは言った。
「え? 私のことを知ってたの?」
「君が結婚する前、夜会で何度か見かけた。とても素敵な女性だと思ったよ。話しかけようとしたけど、僕は勇気がなくて話しかけることができなかった。次にあったら話しかけよう、次にあったら話しかけようと思っているうちに君は結婚してしまった。僕は目の前が真っ暗になったみたいに絶望したよ。意気地なしの自分を呪った」
彼のその話を聞いて思い当たることがあった。確かに私が結婚相手を探して足しげく夜会に参加していたころ、長身でイケメンで、女子たちのあこがれの的の男性がいた。当時はまだ髪がふさふさ状態であったマイケルである。
たくさんの女性がマイケルを落とそうとして彼に群がっていた。私は積極的に男性に声をかけるような性格ではなかったから、遠くからそんな彼を見ていることしかできなかったのだ。
「君がほかの男と結婚してしまったのがショックすぎて僕は食べ物がのどを通らないぐらい落ち込んだんだ。その後、ほかの女性と結婚する気にもなれず、この年になるまで独身だったというわけさ」
「そうだったのね。全然知らなかった」
「今回君が離婚したというのを聞いて、これは神が与えてくれたチャンスだと思った。ここで行動に移れなかったら僕は一生後悔すると思った。それで勇気を出して君に結婚の申し込みをしたんだ。今の僕は頭が禿げて実年齢よりずっと老けて見られる。こんなみっともない姿では君に断られても仕方がないけど、僕が君を愛する気持ちは誰よりも強い。僕と結婚してくれオリビア」
「いいわよ」
「そうだよな、こんな見た目の僕とは結婚したく……え? 今なんて言ったの?」
「いいって言ったの。OK」
「本気かいオリビア?」
「もちろん。けど、前の夫との離婚で、私が夫を殺そうとしたっていう噂が広まったでしょ? 私と結婚したらあなた、私に殺されるかもしれないわよ。それでもいいの?」
「君に殺されるなら本望さ」と彼は笑った。
秋の空のようなさわやかな笑顔だった。
数か月後、私はマイケルと結婚した。結婚するまでも、結婚した後でも彼は変わらず優しかった。彼と話をしていると話題が尽きなくて、何時間でもずっと話し続けることができた。私は幸せだった。前の結婚では一度も感じることができなかった感覚だ。
私と離婚してくれた前の夫に感謝の念すら感じるぐらいだった。
マイケルと結婚して2・3か月がたったころ、マイケルの頭に髪が生えだした。以前はむき出しの頭皮だった部分から短い毛が生えてきたのである。
「き、奇跡だ! こんなことが起こるなんて! おお神よ!」とマイケルは泣きながら歓喜した。
「よかったね」と私は微笑んだ。
さらに半年ほど経過すると、マイケルの髪はふさふさになった。見た目が年相応になり、唯一の欠点が克服されたことでパーフェクトなイケメンになった。
見た目がよくなったことで言い寄ってくる女はいたが、彼はそんな女たちに見向きもしないで私だけを深く愛してくれた。
「不思議だなあ。君と結婚してから僕の人生はオセロをひっくり返したみたいに逆転したよ。髪は生え、仕事も順調だし、何より君と一緒にいれてとても幸せだ」と彼は言った。
「実はあなたに隠してたことがあるの」と私は言った。
「なんだい?」
「あなたの髪が生えたのは神の奇跡なんかじゃなくて、私があなたの食事に毛生え薬を混ぜていたからなの」
「ええ! そうだったの? そういえば君が僕の食事にだけなにか薬みたいなものを混入しているのを何度か見かけたけど、あれがそうかい?」
「そうよ。私のおばあさまは魔法使いで、孫の私にだけこっそり毛生え薬の作り方を教えてくれたの。それをあなたの食事に混ぜて食べさせていたってわけ」
「そういうことが。僕はてっきり君に毒殺されるのかと思っていたよ。一時期、微熱とか体のだるさとかを感じることがあったからね」
「微熱や体のだるさは毛生え薬の副作用ね。あなたは私に毒殺されるかもしれないと思いながらも私の料理を残さず食べていたの?」
「そうだよ、だって言ったじゃないか。君に殺されるなら本望だって」と彼は屈託なく笑った。
前の夫の食事に私が混ぜていたのも実は毛生え薬だったのだ。前の夫も髪が薄くなりかけていたから、こっそり食事に混ぜて食べさせていたのである。そのおかげで彼はふさふさの髪をキープできていたのだ。プライドの高い彼に毛生え薬を飲ませていたなんてことがばれたらきっと激怒されるだろう。だから何も言えなかったのだ。
1年ぶりぐらいに街で偶然前の夫を見かけたのだが、彼の頭は見事に禿げあがっていた。あれじゃあもう若い女の子からは見向きもされないだろう。