第4話「逃げたい夏、逃げない夏」 ──後編──
翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日が、やけにまぶしかった。
起き抜けの身体はだるかったけど、不思議と昨日までの重さはなかった。
手にうっすらと残る筋肉痛が、ちゃんと練習した証みたいで、少しだけ誇らしかった。
モルック部の合宿を明日に控えたその日。
学校は半日授業で、放課後には荷物の確認と事前ミーティングがあった。
「合宿、楽しみ?」と聞かれれば、正直まだ不安のほうが大きかった。
けど、もう「行きたくない」とは思っていなかった。
部室では、いつものメンバーが集まっていた。
タオルや着替え、保冷剤、モルック棒のメンテ用具まで、忘れ物がないか全員でチェックする。
「凛太郎、これ持ってく?」
若林先輩がひとつ余った氷嚢を手渡してくる。
「ありがとうございます。……あ、あの」
声がうまく出なかったけれど、俺は勇気を出して言った。
「……俺、たぶん、夏の最初らへん……本気で、辞めたかったです」
部室が一瞬、しん……と静まり返った。
「でも、やめないでよかったです。昨日、やっとちょっとだけ当たって。
暑くて、つらくて、意味わかんないって思ったけど、当たったとき、嬉しくて。
……それが理由でいいなら、もうちょっと続けようって思いました」
誰も何も言わない時間が、数秒。
それを破ったのは、城戸先輩だった。
「おー、いいじゃんいいじゃん! 初心者らしくて!」
そう言って、俺の背中をばしんと叩いた。
「当たって嬉しいってのが最初のモルックの正解だよ。
欲が出るのはそれから! な、今井?」
「……ああ、そうだな」
今井先輩も、ほんの少しだけ笑っていた。
「ていうか凛太郎、素直に“辞めたかった”って言えるのお前だけだよ、うちの部で」
佐野先輩のその言葉に、全員がなぜかうなずいていた。
(この人たちも、たぶん――苦しい時期を越えてきたんだ)
それが分かっただけでも、自分の足元が少し強くなった気がした。
合宿の荷物の最後に、ノートをリュックの底に入れた。
いつも練習記録をつけている、あのノート。
書きかけのページに、今日の自分の言葉をそっと書き足した。
「辞めなかったら、少しだけ強くなれた気がした」
それが、俺の“逃げなかった夏”の記録だった。
(第4話 完)