第56話 何も考えずに暴れてると思っただろ? …………正解だ!
風のように人波をくぐり抜けて駆けるユーリが、一瞬で前を走っていたリンファへと追いついた。だが追いついただけでそれを止める事無く、ただ黙って並走するだけだ。
そんなユーリの様子に少しだけ驚いた表情を見せたリンファは、止められるとでも思っていたのだろう。その辺りリンファという女性は未だユーリに対する理解が浅い。大手を振って暴れる事の出来る舞台を、ユーリ・ナルカミという男が黙って見ている訳など無いのだ。
駆けながら口の端を上げるユーリを、
「ナルカミ。最初は事情を聞かせてくれ」
リンファが横目で見るが、「相手次第だな」とユーリはその獰猛な笑顔を引っ込めぬまま僅かに足を速めた。
少し先行するユーリに慌てたようにリンファも足を速め――衛士隊本部を出てから然程時間を掛けずにクーロン地区の入口まで辿り着いた。
昼でも薄暗いのがクーロン地区入口前の広場だ。夜の帳が降り始めた今、街灯の明かりがあるとは言え、その昏さは昼の比ではない。まさに深淵の入口、奈落の一丁目と言った雰囲気だ。
「ハァ…ハァ……お前は…下がってろ」
肩で息をするリンファに、「ヘロヘロじゃねぇか」とユーリが溜息を漏らせば
「お前が…馬鹿みたいに、飛ばすからだろ」
と息が整ってきたリンファが「フー」と深呼吸で完全にそれを整え直した。
リンファの目がスッと細められ、視線の先には――
「お前ら……自分たちが何したか分かってんのか?」
――十は居るだろう男達の姿。それを睨みつけるリンファの瞳に宿るのは、紛れもない怒りの炎だ。
「分かってるよ」
ニヤニヤと笑う一人の男が口を開き、「そもそも先に手を出したのは衛士の方だぜ?」と続ける。
その言葉を皮切りに
「そうだ、そうだ」
「アイツらが先に小突いて来たんだ」
「俺たちは何もしてないのに」
男の周りから上がるのは、衛士達を非難する声だ。
彼らの言を信じると、どうやら武器を見つけた衛士が先に手を出したらしい。その言葉を聞きながら、「ふーん。そりゃやり返したくなるわな」とユーリが溜息をついた。
「そっちの兄さんは話がわかるじゃねーか」
男がユーリに視線を向ければ、「ナルカミ、お前……」とリンファが何とも言えないような表情でユーリを見た。非難するような視線だが、完全には責めきれないような複雑な表情にユーリは「人の事言えねぇからな」と肩を竦めるだけだ――
実際ユーリ自身も連行途中に頭に来て、二個分隊を叩きのめしてるのだ――とは言え、そこはユーリ。
「殴られたから殴り返す。元気でいいじゃねぇか……」
笑顔で男たちに話しかけるユーリは、彼らに理解があるように見える。だが、それは見えるだけで――
「元気で良いのは置いといて、今はもちろん俺たちに大人しく付いてくるんだよな?」
挑発するようなユーリの顔に、真ん中にいる男が「はあ? 馬鹿か。誰が行くか」と眉を盛大に寄せた。
「そうか……そうか」
顔に手を当て「クククッ」と笑うユーリに男たちは勿論リンファも奇異の視線を向けている。
奇異の視線を受けてなお、笑うユーリが自身のデバイスを操作すれば――
『……大人しく付いてくるんだよな?』
『はあ? 馬鹿か。誰が行くか』
――流れるのは先程のやりとりだ。
「うんうん。良く録れてるな」
頷いたユーリが男を真っ直ぐに見据えた。
「元気がいいのは良いんだが……同行を拒否したんなら実力行使に出られても文句は言えねぇよな?」
ユーリが彼らに理解など示すはずがない。仮に理解を示す事があれば、小突かれた事への反撃という一点だけだ。漸くその事に彼らが気がついたのだが、時すでに遅し――
「全員公務執行妨害で――強制連行だ」
獰猛に笑ったユーリの左足が地面を蹴る。
陥没する地面。
舞い上がる砂塵。
呆ける男の前に一瞬で現れたユーリが、「頭が高い」とその髪の毛を引っ掴んで地面に思い切り叩きつけた。
地面に走るクモの巣状のヒビ割れ。
赤黒くそまるヒビ割れに、漸く周囲の男たちが「て、テメー」と怒声を上げた。
ユーリへと伸びる手。
それを躱したユーリが、男の開いた股ぐらの間へスライディング。
後ろへ抜けながらユーリはうつ伏せの格好に――
男の両足を両手で掴んで持ち上げれば、
両足を取られた男が慌てて両手をついた。
手押し車の格好になった男の顔面をユーリが蹴り上げる。
鼻血を吹き出して転がる男が数人を巻き込んでいく。
男を蹴り飛ばしたユーリの背後から、両腕を開いた別の男。
腕を交差するようにユーリを捕らえ――たかに思った抱きつきが空振る。
一瞬で宙へ逃れたユーリが空宙で上下を反転。
男の髪の毛を掴んでそこを支点に更に反転。
ユーリの回転に合わせて男の髪が後ろへ引っ張られる。
背を反らせ顎が上がる男。
その背中に突き刺さるユーリの左膝。
脊髄が砕ける鈍い音が薄暗い広場に響き渡った。
「や、ヤロー」
「調子に乗るな!」
男を放り捨てるユーリに、前後から襲いかかる二人の男。
大振りのフックと背中へ向けた前蹴り。
迫るそれらにユーリが跳躍。
空宙で仰向けのまま膝を抱えれば、蹴りとフックがそれぞれ空振った。
その瞬間縮めていた足を伸ばし前方男の顔面にドロップキック。
前の男を吹き飛ばすと同時に、後方男の胸ぐらを両手で掴み、
思い切り引き寄せながら自身は後方に回転。
バランスを崩した男の頭を膝で挟み込んだ。
「ちょ――」
来るであろう痛みに男の口から情けない悲鳴が漏れた。
男の頭を膝で挟んだまま、ユーリが前転。
勢いに負けた男が頭から地面に突っ込んだ。
上下反転から前に転がる男を尻目に、後方回転倒立で立ち上がったユーリがそのまま旋回。迫る別の男二人を蹴り飛ばした。
「クソッタレ!」
倒立するユーリへ振り抜かれる鉄パイプ。物干し竿のように長いそれは、ユーリの足よりもリーチが長い。
ユーリの手を刈り取るそれを、ユーリが飛び上がって躱す。
宙返りとともに着地したユーリへ尚も振り抜かれる鉄パイプ。
一人だけでなく、三人が物干し竿型鉄パイプ両手にユーリへ迫る。
横薙ぎ――ダッキング。
振り降ろし――サイドステップ。
足払い――ジャンプ――
「貰った」
飛び上がったユーリへ突き出される三本の鉄パイプ。
左右と前方から迫るその攻撃を――
「残念」
両手と両足で掴み取ったユーリ。
一本を挟み込んでいた両足。その右足が鉄パイプの下を這うように伸びる。
先端にかけられた左足。
途中を支えるような右足。
ユーリの狙いに男が気づくが時既に遅し。
ユーリが左足で鉄パイプの先端を抑え込む。
右足を支点に跳ね上がる逆の先端
男の手を振り切り、顎をカチ上げた鉄パイプ。
垂直まで跳ね上がったそれを、ユーリの左足が上へと蹴り上げた――鉄パイプが「ヒュン」という風切音だけを残し暗い空へ吸い込まれ消えていく。
風切り音に両サイドの男が一瞬空を見上げた。
一瞬男達の踏ん張りが弱まったのをユーリは見逃さない。
着地と同時に両手の物鉄パイプを思い切り引っ張った。
交差するユーリの両腕。
それに合わせるようにつんのめる左右の男。
間合いを強引に寄せられ蹈鞴を踏んだ二人の男。
その頭をそれぞれ右手と左手に掴めば――
「どっちが硬いでしょう」
――笑うユーリが自身の目の前で叩きつけた。
頭蓋が割れる鈍い音と、くぐもった悲鳴が周囲に響く。
「スキンヘッドの勝ちだな」
左手に持った男。その額が割れてないのを見てユーリが笑い、
「じゃあ二回せ――」
口を開いた瞬間ユーリの目の前に迫る瓦礫を振り上げる男の姿――
再び骨が砕ける鈍い音。
「おいおい酷ぇな。石は反則だろ」
スキンヘッドで瓦礫を受け止めたユーリが溜息をもらして、それを無造作に放る。
「て、テメーが!」
肩を怒らせた男が怒声を発し、近くに積まれていた鉄パイプを引っ掴んだ。
先程より短いそれは丁度片手剣くらいか。
それを両手にユーリへ接近。
バットのように思い切り横に薙ぐ――が、飛び上がったユーリには当たらない。
男の頭上を超える跳躍――の途中で空から落ちてきた長鉄パイプをユーリがキャッチ。
ユーリに後ろを取られた男が慌てて反転。
未だ宙にいるユーリへ今度は鉄パイプを振り上げて再度接近。
男が迫る中、ユーリは着地と同時に反転しつつ短めに持った鉄パイプを横に薙ぐ。
ユーリの横薙ぎが男の振り降ろしを弾き飛ばし――て更に回転。
ユーリの首の後ろを旋回して帰ってきた先端が、ユーリの右腕で更に加速する。
体勢を整える間もなく、男の横っ面に鉄パイプが減り込んだ。
それでもユーリが回す鉄パイプは止まらない。
右腕から左腕。腰や首を介してクルクルと鉄パイプが、向かってくる男達を張り飛ばして行く。
自身も回転し、鉄パイプを更に回転させるユーリを止めようと
別の鉄パイプが突き出された。
完全に死角から突き出されたそれを、ユーリはいなして掬い上げる。
強制的に上に突き出された鉄パイプ。
それを掴む男の手元をユーリが蹴り上げれば、「コン」という乾いた音とともに、鉄パイプは男の手元を離れて宙へ。
呆ける男へ向けて、ユーリは横向きに鉄パイプをトス。
ふわりと投げられたそれを、呆ける男が両手で掴んだ。否、掴んでしまった。
顔面の前で掴まれた鉄パイプ。
それに向けてユーリのスタンプキック。
蹴りの勢いに負けて、ユーリの足と鉄パイプが男の顔面に減り込んだ。
――カラン、カラン
乾いた音が広場に吸い込まれて消えた頃には、ユーリと青褪めたリンファ以外立っている者はいなかった。
時折響く小さなうめき声に、「セーフ。生きてるな」と笑うユーリだが、青を通り越して白くなったリンファはそれどころではなさそうだ。
「こいつは……軽傷だな」
そう呟いたユーリが、顔に青痣があるだけの男を二度三度踏みつけた。
骨の砕ける音が静かな路地裏に再び響く。
「こいつも――」
もう一人、軽傷者を見つけたユーリが足を上げた瞬間
「やめろ! 何してんだ!」
リンファが後ろからそれを羽交い締めにして止めた。
「邪魔すんな。こういう手合は甘やかすから調子に乗るんだ」
リンファを引き剥がしたユーリが軽傷者の足を踏み抜いた。骨の砕ける音と響く悲鳴に「いい加減にしろ!」リンファがユーリと男たちの間に立ち塞がった。
「どけ。お前、どっちの味方だ?」
「お前の味方だ……だけど、これ以上やるならコイツらの側に立つぞ」
真剣な表情のリンファに「だからお前は馬鹿なんだよ」そう呟いたユーリが片手をゆっくりと閉じながら指をパキパキと鳴らした。
「誰が馬鹿――」
リンファがそう口走った瞬間、通りの向こうからドカドカと複数の足音が聞こえてきた。角を曲がって出てきたのはお揃いの白いアーマーギア。
「皆……」
呟くリンファは安堵の表情を浮かべた。それはユーリの蛮行を止められた安堵だろう。
薄暗い路地裏を照らす魔導灯片手に、複数の衛士がリンファ達に駆け寄り
「お前たちここで……って……なん……だこれ……」
口を開いた瞬間、ユーリ達の目の前に広がる惨状を目にして固まった。
「何って……同行を拒否されて抵抗されたからな」
肩を竦めたユーリが「無力化したまでだ」悪びれる様子もなく続ける。
「む、無力化とはいっても……」
「別に良いだろ? 仲間やられてんだ。それともアンタらもやるか?」
呆ける衛士の肩に手を乗せたユーリがニヤリと笑い、「コイツは未だ手とか折れるぞ」と先程足を踏み抜いた男を視線だけで差した。
「仲間やられて腹たってたんだろ? やっちまえって」
ユーリが倒れ伏す男たちを顎でしゃくるが、衛士は「こ、これ以上は流石に」ボソボソと窄んでいく声を漏らして頭を振るだけだ。
「意外に真面目なんだな。俺をボコボコにした時みたくやりゃあ良いじゃねぇか」
ユーリの発したその言葉で
――あいつら怒り狂って加湿器みたくなってたろ?
リンファの脳裏にはあの日の言葉が反響していた。
「馬鹿って……そう…いう……」
ユーリの真意に気がついたリンファがポツリと呟いた。彼らを適度に無力化して衛士隊本部に連れていけば、怒り狂った隊員たちにそれこそ死んでも構わないと、リンチされてたかもしれない。
流石に参考人を殺すほど衛士達も愚かではないが、集団心理は侮れない。
そこでユーリは敢えて重傷まで痛めつける事で、衛士達の怒りを冷ましたのだ。これ以上は流石に殴れない、そう思える程度に。……とリンファの中ではなっている。
リンファの呆けた視線を受けたユーリが、「お前、変な勘違いしてるだろ」とジト目を向けるが、リンファの耳には届いていないようだ。
そんなリンファの肩を叩き
「お役御免みたいだしな……俺たちは帰るぞ」
と溜息混じりで歩きだしたユーリ。その半歩後ろで「あ、ああ」と呟いてリンファも歩きだした。
とりあえずユーリが繋いでくれた関係者の命だ。大変な事をしでかした彼らに腹立たしい気持ちもあるが、とりあえずは状況を聞いて今後を考えよう。そう思えるくらいにはリンファの怒りも冷めていた。
(ユーリ・ナルカミ……か。アタシもいつかこいつみたいに――)
「隊長、一人だけ軽傷者がいました」
響く報告にユーリの耳がピクリと動き
「よし任せろ! 半殺しにしてやる」
踵を返そうとするユーリに「やっぱ勘違いかも」とリンファが頭を抱えながら、ユーリの首根っこを掴んで角へと消えていった。




