第46話 レベルを上げて物理で殴れ
明け方の薄曇りは嘘のように晴れ渡った青空。
所々歪にはなったが、美しい海岸線。
長い年月がコンクリートの海岸線を砂浜へと変えたそこは、絶好の行楽日和――を吹き飛ばす程の轟音が青空と海岸線に響き渡った。
舞い上がるのは砂塵と――蟹の臓物。
それを魔力ポーション片手に開いた口が塞がらぬまま、目で追うユーリ。
「ぎぃえぇぇぇぇぇ! バラバラになっちゃいました!」
そして絶叫するカノン。
そう――ここにも、脳の力加減を司る部分が欠損した存在が一人。残り少なくなった貴重な素材、そのうちの数体をカノンがバラバラに吹き飛ばしてしまったのだ。
ボトボトと音を立てて落ちてくる蟹の甲羅や臓物達。
掠り傷一つ無く綺麗なままのカノン。……肩を落とし項垂れてはいるが、五体満足なのは間違いない。
爆心地に近いはずのカノン本人より、舞い上がった砂塵や臓物が付着したユーリの方が汚れているというくらいだ。
そこら中に散らばる臓物。
ドス黒く染まった砂浜。
それを見て「は、はは」と乾いた笑いを上げたユーリが
「チームなんて夢のまた夢だわな」
落ちてきた甲羅のカケラを頭に受けながらボヤいた。
どうやらこの前のオークには、上手く手加減出来ていたらしい。今の爆発を見るに、オークの時に加減をミスっていたら、ユーリも巻き込まれていただろう。
巻き込まれた自分を想像して、ユーリがブルっと身震いする。
死にはしないだろうが、間違いなく痛いだろうということは想像に難くない。なんせ物理が殆ど効かない、という触れ込みの巨大蟹をバラバラに吹き飛ばす威力だ。もし力加減をミスっていたら、ユーリは吹き飛ばされ、地面を転がっていたのだけは間違いない。
落ちてきた一際大きな甲羅を避け、ユーリは一気に魔力ポーションを飲み干した。このまま任せていては、今日の依頼は失敗。……とまではいかないだろうが、それでも依頼主からブツブツと小言を貰うくらいにはやらかす事だろう。
ポーションを飲み干し、漸く動けるようになったユーリが立ち上がる。向かう先は勿論――今も項垂れている爆弾娘のもとだ。
辿り着いた先、項垂れるカノンの肩に手を置き「カノン」と優しく呼びかけた。
その声音はまるで項垂れている相棒を元気づけてやろう――
「魔法……難しいよな?」
――とかいう高尚な人間ではない。今もニヤニヤと笑みを浮かべてカノンを覗き込むユーリの顔には「お前も駄目じゃねーか」と書いてあるようだ。
「む、難しくなんてありません! 今のはたまたま失敗しただけです」
プンスコ怒るカノンが肩に置かれたユーリの手を払い除けた。
「ほー。そんなら次は上手く出来るんだよな?」
煽るユーリに、「当たり前でしょう!」とカノンが再び戦斧を振りかぶり、一匹目掛けて駆け出した。
爆風で吹き飛んだ一匹に狙いを定めたカノンが飛び上がる。
空宙にいるカノンに向けて振り上げられた巨大なハサミ。どうやらカノンを握り潰さんとしているようだ。
青空と海岸線をバックにカノンと巨大蟹が向かい合う――
振り下ろされる戦斧。
それを挟み込もうと迎え撃つ巨大なハサミ。
二つが触れ合った瞬間――「パン」――情けない破裂音が海岸に鳴り響いた。
蟹のハサミ、その要の部分に当たった戦斧が起こしたのは、可愛い爆発。戦斧を掴まれたカノンは、空宙で目が点になったまま「はれ?」と固まっている。
「プッ…ハハ…ハッハッハッハ! 何だよ今の爆発! アレだ! あのアレ、爆竹じゃねーか!」
腹を抱えて「ヒーヒー」笑うユーリ。
「ムッキーーー! 駄目駄目なユーリさんに――ョッホーーーイ!」
顔を真っ赤に怒るカノンだが、カルキノスに戦斧ごと振り回され間抜けな悲鳴を上げるハメに。
カノンを挟もうともう一つのハサミを動かすものの、その度にカノンが「ひょえ」と奇声と共に身を捩りそれを器用に躱している。
悲鳴を上げながらクネクネと奇妙な動きでハサミを躱し続けるカノンの姿に、ユーリは腹を抱え砂浜を転がる。
今もまた身を捩ってハサミを躱したカノンが「わ、笑ってないで助けて下さい」と首だけ振り返った。
「はぁー、ハハハ…腹いてぇ……斧離したらいいだろ?」
指で目を拭うユーリの言葉に「ナルホド」とカノンが狙いすましたように、振り回される勢いを利用してユーリ目掛けて飛び出した。
「受け止めて下さーーーーーふぎゃ」
ユーリに向けて飛び出したカノン。その顔面を片手で受け止めたユーリ。
「乙女の扱いを所望します!」
「乙女になってから出直してこい」
鼻っ柱を真っ赤にし、涙目のまま顔をさするカノンと、そんなカノンをジト目で見るユーリ。
「さーて、どうしたもんかね」
怒り狂ったようにハサミを振り回すカルキノスを、腕を組んで眺めるユーリ。魔力は粗方回復したが流石にもう一度魔法をぶっ放す気にはなれない。
そもそも「物理を弾く」と言うが、その情報がどれだけ正確かも分からない。昨日スライムを狩った帰り道に「スライムは物理に耐性があるのに」とブツブツ呟いていたカノンを思い出したからだ。
他のモグリはどうかしらないが、少なくともユーリやその友人であるヒョウにとってスライムは「魔法にめっぽう弱い」という位置づけでしかないのだ。
物理が効かない。魔法が有効。ではなく、魔法に極端に弱い。つまり物理でも普通に倒せる。そういう認識だ。
その認識の齟齬を考えると、もしかすると目の前でハサミを振り上げているカルキノスも――そう考えれば行き着く先は一つ。
「ひとまずぶった切ってみるか――」
言うやいなや、ユーリは一瞬でカルキノスとの間合いを詰め、振り回すハサミの根本に向けて手刀を放った。
関節部分に吸い込まれる手刀――吹き飛ぶハサミ。
「やっぱり」漏れる溜息を掻き消す
「ぎょええええ!」響きわたったカノンの絶叫。
「何でお前が――」
――絶叫してんだ? と言わんと振り返ったユーリに残ったハサミが迫る。
痛みなど感じていないように、カルキノスはもう一本のハサミを大きく広げ、ユーリを挟み込まんと勢いよく閉じ――られる瞬間、両手でハサミを掴んで受け止めたユーリ。
「オーケー。力比べだな」
挟もうとするカルキノスと、押し広げようとするユーリの正面からの力比べだ。
泡を吹き、渾身の力を込めるカルキノス。
不敵な笑みでハサミを握りしめるユーリ。
軍配は勿論――ユーリに上がった。
ミシミシと音を立てながら、カルキノスのハサミが要の部分を支点に、反対側に曲がっていく。
一際大きな音の後、残ったのは無惨に引きちぎられた刃の部分。
手に持ったハサミ、そこにめり込んだ自分の指を見ながら「うーん。これ多分殴っても殺せるぞ?」とユーリが苦笑いを浮かべた。
「恐るべき『武器はこの身体』!」
頭を抱え蹲るカノン。
「いや、俺の身体じゃなくても――」
ユーリは投げ出されたカノンの斧を拾い上げ、そのまま目の前にいるカルキノス達磨に振り下ろした――
両腕を無くし、既に反撃する事も、受けることも出来ないその背に、戦斧が吸い込まれるように消えていく――カルキノスの身体を両断した戦斧が再び砂塵を巻き上げた。
「――ほらな?」
「魔法の必要性とは?」
叫ぶカノンだが、ユーリは「お前もやってみろ」と戦斧を放る。回転して綺麗に自身の目の前に突き刺さった戦斧とユーリを何度か見比べ、カノンが戦斧を握りしめた。
「ちっと待ってな――」
再び次のカルキノスとの距離を詰めたユーリ。その手刀が無慈悲にも二本のハサミを奪い取る。
出来上がった達磨を顎でしゃくるユーリに、真剣な表情で頷くカノンが駆け出した。
勢いを付け、飛び上がり「どりゃあー」気合とともに思い切り戦斧を振り下ろす――
キーンと耳をつんざくような高い音が海岸線に響いた。
一拍遅れて戦斧を握る手を発信源に、カノンの全身に衝撃が震えとなって伝播する。
「か、硬すぎでしょう!」
涙目のカノン。
「おまっ! マジか……」
カノンのメチャクチャなフォームに、片手で顔を覆うユーリ。
そのままカノンの襟首を掴み、「ちょっと作戦会議だ」と一旦カルキノス達磨から距離を取るためユーリは砂浜の際へと足を早めた。
別にユーリが残りを狩ってもいいのだが、バディのレベルアップにうってつけの状況だ。これを利用しない手はない。それは能力者達だけが成し得る身体能力の向上を指すそれとは違う種類のレベルアップ。
研鑽と反復による技術の習得。
言われてすぐに出来る技術ではない事は、ユーリ自身重々承知だが、悪癖の矯正は早い方がいい、と今も「魔法でやっつけた方が早いのでは?」頬を膨らませるカノンを引っ張って歩く。
「魔法でやったほうが早いだろうが……良く考えてみろ」
自身を振り返ったユーリに、カノンは「何をでしょう?」と首を傾げた。
「物理を弾くとか言われてる奴を、お前が斧一本で倒すんだぞ?」
「出来るでしょうか?」
モジモジと人差し指を突き合わせるカノンは、先程の失敗を思い出しているのだろう。気合一閃で振り下ろした渾身の一撃を軽々と跳ね返されたのだ。そう思うのも無理はない。
だがカノンの目の前でニヤリと笑うユーリだけはそう思ってはいない。
「出来る」
短く、だが力強く言い放たれた言葉にカノンが顔を上げた。
「ポテンシャルは間違いなくある。あとはちょっとした……そうだなコツだな」
「コツ……でしょうか?」
訝しむようなカノンの視線に、ユーリは笑顔のまま「ああコツみたいなもんだ」と頷いた。
「それが出来るようになれば、歴戦の戦士みたいじゃねぇか?」
悪い顔で焚き付けるユーリの目の前で「……歴戦の戦士」と呟くカノン――ニマニマと口の端が歪むその顔には「良いネ!」と書いてあるようだ。
「やるか?」
「やったりましょう!」
腕を振り上げたカノンの気合が青空に吸い込まれていった。




