第30話 アイスコーヒーもホットコーヒーも好き。だが、ぬるいコーヒーてめぇは駄目だ
薄暗い部屋に灯る魔導灯の明かり――まず目に飛び込んでくるのは、入口扉対面の壁を覆うほどの巨大なモニターだ。
暗く何も映していないそれに明かりが灯る。 白く光ったモニターがその次に映し出したのは、イスタンブール周辺の地図だ。青く光る西側には様々な情報が記されており、あまり情報のない赤く光る東側とは雲泥の差だ。
そのモニターに照らされるのは、簡素な執務机だ。部屋の主の性格を示すように綺麗に整頓され、無駄なものが一つもない執務机だが、唯一目を引くのは執務机の左側にある珍しい機械だろう。
コの字型の機械の中央に置かれたガラス製の容器。
その機械のスイッチが入れられれば、部屋に「ガリガリ」という音と独特で芳醇な香りが広がる――全自動コーヒーメーカーだ。
この時代では高価なコーヒーを好んで飲む。それだけで社会的なステータスの高さが伺える。
ガラス容器に注がれるコーヒーが、湯気と香りを更に広げていく中、壁際にある戸棚からカップとソーサーを取り出した男――
「……やはり朝はこうでなくては」
呟くのは白髪とヒゲを短く切りそろえた初老の男性――ここは支部長室。ハンター協会イスタンブール支部を束ねるサイラス・グレイの執務室だ。
全自動コーヒーメーカーがコーヒーを抽出する音と香りを楽しんでいたサイラス支部長だが、淹れたコーヒーを片手に、執務机には向かわずに、その前面に併設されている応接スペースへと足を向けた。
コーヒーメーカーが豆を挽く音に紛れて、二人の人物の訪問があったのだ。
「さて、報告があるとのことだが――」
応接用ソファーに座ったサイラス支部長の目の前には、同じようにソファに座る二人の人物。
一人はエレナ。もう一人は――
「はい! それでは不詳、わたくしカノン・バーンズから」
元気いっぱい立ち上がり、敬礼をしているカノンだ。
「昨日は……お肉をいっぱい取ってました!」
カノンの元気いっぱいの報告が支部長室に響いて消えた。
エレナとサイラスの視線を一身に受けたカノンが「フンス」と鼻息一つ。
コーヒーテーブルに置かれたカップから昇る湯気が、僅かに揺らめいている。
「……」
「……ご苦労だったカノン君」
サイラスの労いにカノンは「スパイ活動お任せください」と、結構な大声で答えながらソファに座り直した。
「では、次に私から――」
仕切り直すようにエレナが口を開いた。
「昨晩、ターゲットはダイニングバー、『ディーヴァ』にて夕食」
「『ディーヴァ』と言うと、君の行きつけの店だったか?」
コーヒーに口をつけ「偶然だな」と笑うサイラスに、エレナは頷く。
「夕食の途中、レオーネファミリーの構成員、ソルジャーと思しき男とトラブルを起こしました」
続く報告にコーヒーを吹き出しかけたサイラスと、「さすがユーリさんですね!」と笑うカノンは対照的だ。
「……レオーネとは。また面倒なものと――いや、そう言えば昨晩代替わり抗争があったと聞いたな……運のいい男だ」
マフィアの相手は骨が折れることなど、サイラスは勿論知っている。
それだけにレオーネファミリーのゴタゴタは、彼らからユーリの存在を遠ざける好材料だと、再びコーヒーに口をつけ――
「いえ、それもターゲット…ユーリが原因です」
「は?」
カップに付く前の口、そんなサイラスの口からこぼれたのは、らしくない疑問符だ。
「ユーリはトラブルの後、その足で奴らのホームに乗り込み、アンダーボス以下殆どの構成員をのしてます」
ちなみにアンダーボスをぶっ飛ばしたのはエレナだが、ユーリに任せていても同じ結果に違いないので端折っている。
サイラスはコーヒーカップを持ったまま固まっている。
小首をかしげるカノンは「マフィアハンマーでしょうか?」と、ゴブリン達の群れを思い出しているようだ。
「その後、ユーリの手引で旧レオーネ・ファミリーのマルコ・ロマーニが乱入。事はレオーネ・ファミリーの代替わり抗争へと移行しました」
固まっていたサイラスがようやくコーヒーに口をつけた。
「急に代替わりだなんだ、と言い出したと思ったら……そんな裏があったとは」
サイラスは呆れたような声を出し、背もたれに身を預けた。
暫く天井を眺めていたサイラスだが、そのままの格好で口を開く。
「ユーリ君はマルコ・ロマーニと面識があったのかね?」
「いえ。間違いなくありません。面識どころか存在すら知りませんでした――」
エレナの報告にサイラスは目を閉じた。流れる沈黙は何かを考えているかのようだ。
「【情報屋】か――」
「――ご存知だったので?」
目を瞑り、天井を仰いだままのサイラスの言葉にエレナが一瞬だけ目を見開いた。
驚いたエレナの質問には二つの意味がある。
一つ。ユーリに【情報屋】とのパイプがあるのを知っていたのか。と言う意味。
二つ。ユーリが【情報屋】を使ったという事を知っていたのか。と言う意味。
「いや、知らなかったよ。だがそれ以外には考えられないのでね」
どちらの質問にも答える形で、もう一度コーヒーに口を付けたサイラスは、「冷めてしまったな」と静かに呟いた。
「ユーリ君なら、マフィアの面倒さくらい知っているだろう。で、あればだ。一度に叩きたくなるのは必然。そもそもそういった性格だろう?」
カノンを見るサイラス。
「そうでしょう!」と元気いっぱい答えているカノンだが、会話の内容が分かっているかどうかは微妙だ。
「マフィアを一箇所に集め、尚且つマルコ・ロマーニを動かせるとしたら……【情報屋】くらいしか思い浮かばなくてね」
カップに視線を落としたサイラスは、一瞬の躊躇いの後、コーヒーをすべて飲み干した。
「おみそれしました」
エレナが頭を下げる先、ゆっくりと息を吐いたサイラスがカップを置く。
報告自体は終わったエレナだが、ユーリとサイラスだけが納得している部分だけは引っかかったままだ。故に――
「それにしても、マフィアを情報一つで動かせるほどの『情報屋』がいるのでしょうか?」
顎に手を当て考え込むエレナ。対するサイラスは――
「ん? 【情報屋】であれば可能だろう。流石にそこからのタレコミなら動かざるを得ないよ」
怪訝そうな表情だ。
少し噛み合わない二人の会話に、首をかしげるカノンと、眉を寄せるエレナ。
「『情報屋』なら私も使いますが――」
「ああ。なるほど。【口】のことか」
一人納得し頷くサイラスに、エレナは「口?」と話が見えていない。
「本来【情報屋】というのはある組織の称号なのだよ。君の言う『情報屋』達を束ねているとも言われている」
席を立った支部長が再びコーヒーメーカーのスイッチを入れる。
ガリガリという豆を挽く音と、芳ばしい香りが部屋に広がる――「飲むかね?」とエレナに尋ねる支部長と「いえ、遠慮しておきます」と答えるエレナ。
「いただきます!」
聞かれてもいないのに答えるカノンだが、答えを分かっていたように、サイラスは既に二つのカップを準備済みだ。
カノンの前に置かれたカップにコーヒーを注ぎ、ポットを戻したサイラスが口を開く。
「君が『情報屋』だと思っているのは、情報を渡すだけの係だ」
「故に【口】ですか?」
ソーサー片手に、ソファの背もたれに浅く座るサイラスが大きく頷いた。
「左様。彼らは自分の事を一度たりとも『情報屋』と名乗ったことはないのでは?」
「……確かに」
思い出すように視線を下げるエレナ。彼らは誰も彼もが「情報を売る者」だとか「情報を扱う者」だとか回りくどい表現をしていたことを思い出したのだ。
その思考を引き戻したのは、「美味い」と呟いたサイラスの声だ。新しく淹れ直したコーヒーに満足しているように、サイラスがもう一度カップに口をつけた。
ソーサーを片手に、今もソファーの背もたれに浅く座るサイラスは何処か絵になる。そんなサイラスに刺激されてか、エレナの隣でカノンは何故か足を組み、ドヤ顔で小指を立ててカップを掴み口をつけ――
「あっついです!」
カノンの悲鳴にそのカップから立ち昇る湯気が揺らめく。
サイラスとエレナの視線がカノンに集まるが、当の本人はカップに「フーフー」息を吹きかけるのに必死だ。そして何故か小指はまだ立っている。
サイラスとエレナの溜息が重なり、どちらともなく肩を竦めた。
「……自ら【情報屋】を名乗ることの出来るのは、組織のトップだけ。そして【情報屋】の下には街中の【耳】や【目】から情報が集まり、それを必要な人間に【口】を通して流布する。それが彼らの実態だ」
ソーサーとカップを持ちながら、再びソファに座り直すサイラス。
「もし直接【情報屋】を名乗る人間から連絡が来たなら。それはかなり信憑性が高く緊急の情報ということだな。それこそお得意様に恩を売るような」
ソファに深く腰を下ろしたサイラスが、ソーサーとカップを机に置く。湯気は未だ勢いよくカップから立ち上っている。
サイラスの言葉にエレナは漸く合点がいった。ユーリが使用した【情報屋】はマフィアやマルコにもパイプがあった。そしてそんな人物から「お得意様だから教えるけど、お前狙われてるぞ」と言われれば、ドン・レオーネとて兵隊を集結させておいて損はないと踏むだけの人物なのだ。
とはいえ、それに納得したら、それ以上に不可解な事もあるわけで――
「そんな人間とパイプがあったとは……」
「それ以上に、そんな【情報屋】を通信一つで動かし、マフィアを切らせる関係性も…だ」
――イスタンブール最大のマフィアにも顔が聞く人間。そして何よりそれを簡単に切らせるだけの関係性。
つまり【情報屋】にとってユーリは、マフィア達以上の存在なのだろう。
(……悪友と言っていたな)
エレナは揺らめく湯気の向こうに、つい先程まで一緒に居たユーリの顔を思い出す。
――ウッヒョー! このシャンプー持って帰ろう
不意に聞こえてきた情けないユーリの声を、掻き消すように頭をふった。
「ユーリ・ナルカミ……思っていた以上に底が知れない男だ」
そんなことはつゆ知らず。サイラスは考え込むように指を組み眼鏡を光らせている。
「やはり引き入れたい人材ではあるな」
大きく息を吐く支部長に「いや、案外底が浅いかもしれません」とエレナは言えるはずもなく。
取り敢えず底の浅さは置いとくとして、ユーリの信条的に難しそうな事だけを伝えることに決めたエレナは口を開く。
「ユーリの引き入れですが、少々難しいかも知れません。実は――」
「成程。自分だけが自分の生き方を決められる…か」
エレナの話を聞いたサイラスは背もたれに大きく身を預け、天井を仰ぐ。
「ユーリさんらしいですね」
と笑うカノンは未だにカップを「フーフー」と必死だ。
「益々持って興味深い。今彼は何を――」
「確か、今日は仮眠を取ってから支部に来ると――」
エレナの報告の途中、支部長室のベルがなり、スピーカーから音声が流れ出す――
『失礼します。支部長、ロビーにてハンター同士のトラブル発生です』
報告内容にしては落ち着いた声音は、ベテランの事務員なのだろう。
「……分かった。状況は?」
実はユーリをしてお行儀がいいと言わしめた正式ハンター達であるが、ハンター同士でイザコザがないわけではない。
モンスターの素材を身体に取り入れているためか、はたまたモンスターの遺伝子をベースにしたナノマシンの影響か。
ハンターには破壊衝動のようなものがある事は確認されている。
その最たる者、破壊衝動を押さえられない者が、【剛腕】のラッセルのようにハンター崩れとなるのだ。
ただ、普通は肉体のレベルアップと共に精神力も上がるため、そういった衝動が精神を支配する事は稀だ。
それでも喧嘩っ早い人間がいるように、ハンターの中にも気の短い人間がいるわけで……
『五対一での乱闘騒ぎです。既に三対一ですが……』
基本的にハンター同士のイザコザは一対一の話し合い、それが無理なら立会人を使っての決闘などで解決するのが常だ。
決闘は他のハンターのガス抜き作用もあるため、【ハンター協会】も死人さえ出なければ特に口出しをすることはない。
……と言うか普通は一対一でしかイザコザは起きない。他のメンバーが諌めるのが常だからだ。
それが五対一。しかもすでに三対一だというえらく手の早い話に。
「「まさか――」」
サイラスとエレナの声が重なり
「ユーリさんでしょうか?」
カノンが答えをだした。
「はい。一人の方はアイアンランクのユーリ・ナルカミ様で間違いありません。あ……二対一になりました」
「直ぐに行く」
飛び上がるようにソファから立ち上がったサイラスが、勢いよく扉を開け放ちそのまま駆けていった。
「……ユーリさん流石ですね――うぇぇ……苦い」
笑いながらカップに口をつけたカノンが、渋い顔ひとつ。
「……君も大概だと思うがね」
ブレないカノンにエレナの苦笑いは止まらない。
せっかく入れ直したサイラスのコーヒーは、既に湯気が薄らぎはじめていた。
『はあぁぁぁ? 何で俺だけが悪いんだよ! 殺してねぇしセーフだろ?』
響いてきたユーリの頓珍漢な声が、薄らいできた湯気を揺らす――
「支部長も苦労するな」
エレナのボヤきは既に勢いをなくしてきた湯気のように、誰に拾われることもなく消えていった。
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