第2話 新しい街ってワクワクするよね
ユーリが歩きだしてから半刻ほど――眼の前に巨大な門が現れた。
天に向かってそびえる正門とその脇に見える小さな出入り口。門を起点にぐるりと街を囲む黒光りする壁がユーリに大きな影を落とす。眼前に迫る壁を見上げるユーリだが、その奥にあるはずの街はもちろん見えない。ただ壁よりも高く天を突くように聳える塔だけが、相変わらず存在を示している。
「改めて近くで見るとデケーな……」
もはや庇すら作る必要がない。そんな影の中、壁を見上げるユーリに向かって接近してくるのは数台のドローンだ。
遥か上空から、プロペラの音と風を巻き起こし、ユーリへと近づく少し大きめのドローン。
『ジュウミンカード か ハンターライセンス の ごテイジを――』
一台のドローンから聞こえた電子音に、ユーリは先程入手したばかりのライセンスを持ち上げた。風にユラユラと揺れる木製のタグに何とも情けない気持ちになるが、それを嘆いても仕方がないというもの。
ユラユラと風に靡くライセンスを、ドローンが発する緑色の光線が照らす。ただの木ではなく、モンスターの素材とこの時代の最先端技術で作られたライセンスには、様々な情報が登録されているのだ。
(ちゃんとサーバーにも情報が入ってるよな……)
ライセンスの情報と、中央サーバーの情報の紹介作業を、ユーリが内心ドキドキしながら待つこと数秒――
『ウッドランクハンター、ユーリ・ナルカミ。ようこそ イスタンブールへ――』
電子音とともにドローンが上空へと去っていく。
「ヒュー♪ さっすが700万もしただけあるぜ」
難なく第一関門をクリアしたユーリが嬉しそうに口笛一つ。先程までは情けなく見えていた木製のタグが、中々どうして頼りがいのある相棒に見えてくるのだから現金なものだ。
よくよく見れば、しっかりと5年分の風格を施されたヴィンテージ加工もしてあるではないか。これは機械だけでなく、人の目も間違いなく欺けるだろうとユーリの気分は空へ上がるドローンの如く軽くなっていた。
ドローンが見えなくなる頃、ユーリの目の前の正門が大きな音と共にゆっくりと持ち上がっていく。
「大層だな……横の小せえやつで良いんだが……」
苦笑いしながらユーリが門をくぐると、そこは薄暗く広い空間だ。ユーリの目の前には入ってきたのと同じタイプの一回り小さな門。左手には両開きの扉が一つ。普通に考えればここは壁の中、外門と内門を繋ぐ風除室といった雰囲気である。
だが実際は、空調の管理というより、エレベーターホールと言った方が正しいかもしれない。
なぜエレベーターホールなのか――
『ようこそイスタンブールへ。上層へ御用の方は住民カードかライセンスの提示をお願いします』
不意に響いてきた陽気な女の声がその答えをくれた。ドローンの無機質さとと違うそれは、歓迎モードであるという意思表示なのだろう。とはいえ、ユーリからしたら鼻づまりのような高い声は歓迎というより馬鹿にされている気分だが。
響いてきた女の声が示す通り、イスタンブールは、いやこの世界の都市は、土地の有効活用のために下層と上層に別れた二層式の都市であることが多い。
つまりユーリの左手に見える両開きの扉が、上層へ通じるエレベーターなのだ。
チラリとエレベーターの扉に視線だけ向けたユーリが
「いや、こんまんま下層で頼むわ」
猫撫で声へぶっきら棒に返した。その言葉に『かしこまりましたぁ!』と陽気な声とともに、入ってきた門と反対側にある少し小さめの門が開いた。
薄暗い部屋にわずかな光と街の喧騒が入り込んでくる――
『下層へようこそ! イスタンブールハンター協会へはそのまま真っ直ぐお進み下さい』
ユーリはその声にヒラヒラと手をふりながら、意を決して一歩を踏み出した。ドローンと内門を突破したが、一歩街に踏み込んだ瞬間囲まれやしないかと内心ドキドキしていたりするのだ。
そんなユーリを包み込んだのは、警察組織ではなくわずかに降り注ぐ陽の光と街の雑踏だった。
真っ直ぐに走る大通りと、その脇に所狭しと立ち並ぶ無数の建物。崩れた建物を再利用したものから、新たに立てられた鉄筋製のビルまで。その間を覗き込めば、迷路のように張り巡らされた暗い路地が見える。
無秩序に地面から生える建築物は、スラム街と言われても納得の状態だ。
崩れたいくつかの建物は、旧時代のイスタンブール市街を構成していたものなのだろう。旧時代の建物と、新しい鉄筋ビルが乱立するあまりにも雑多な雰囲気は、景観の保護などクソ喰らえといった状態だ。旧時代のイスタンブール市民が見たら発狂ものだろう。
そんな雑多な街並みをさらにスラム然とさせているのは、遥か上空に見えるプレートが落とす影のせいだ。
遥か上空に作られたプレートは、上層に住む市民にとっての地面だ。目測凡そ200メートル程。明り取り用に所々グレーチングになっているが、見える青空も差し込む光もごく僅かで、お世辞にも下層は健康的とは言い難い雰囲気である。
プレートを見上げるユーリの視線の先で、何度もそのグレーチングに影が射す。上空を行き来している車両だろうか。
少ない土地に多くの人間が詰めかけ暮らす。それ故持つものは上層で優雅な暮らしを、持たざるものは下層で慎ましい暮らしを。それはこの街に限らず、この時代どの街でも似たようなものなのだ。
「何だよ……大昔は観光名所だったって聞いてたんだが」
苦笑いを浮かべながら、陰鬱な街並みを眺めたユーリが小さく溜息をついた。実はちょっとだけ期待をしていたのだ。観光でも有名な都市だったと聞いて、少しだけ。だが蓋を開けてみたら、他の都市と代わり映えのしない風景は、ユーリのテンションを少しだけ下げていた。
生存圏に対して増えた人口を賄うために、狭い土地を有効活用しなければならない事は知っている。
だからこそ生存圏の回復やモンスターの討伐が早急に望まれ、ユーリのようなハンターが活躍出来る時代なのだが……似たような街並みが許容できるかどうかは、別問題だ。
少しだけ落ち込んだユーリではあったが、
「さて、と。まずは支部登録に行くか」
気持ちを切り替え、本来の目的であるハンター協会へ向けて歩き始めた。
ユーリが向かうハンター協会とは、その名の通り、登録されているハンターたちを纏めている組織のことだ。
仕事の斡旋から、報酬の振込、街に所属するハンターの管理までハンター達に関わることを一手に引き受けている、その名の通りハンターのための組織でもある。
どの街でも塀の外で活動するハンター達のために、各門から同じような距離、そして中央通りにあることが一般的だ。先程も入口のシステムAIが『このまま真っ直ぐ』と言っていたので、この街もご多分に漏れずこの通りに面しているのだろう。
通りを歩くユーリに向けられるのは、商魂たくましい人々の呼び込みや挨拶だ。見た目こそ雑多でスラム然とした街並みではあるが、下層と言えど大通り沿いに加えて街の入口だ。流石に本当のスラムではないのだろう。
今もユーリとすれ違ったハンターらしき男が、顔なじみのように一つの建物へ手を挙げながら入って行った。良く見れば他にもハンターらしき人々が様々な建物へ出入りを繰り返している事から、ハンター向けの飲食店や雑貨店が軒を連ね、これから荒野へ出るハンター相手に商売をしているようだ。
ユーリが入ってきた門は、人類の生存権側であるのでモンスターの発生が比較的少なく安全ではあるが、完全にモンスターがゼロと言う訳では無い。
先程から少なくないハンターとすれ違っている事から見ても、こちら側にも儲け話は転がっていると見える。
「さっすが最前線。食い扶持は何とかなりそうだな」
ユーリが口角を上げて呟いたその時、遠くから美味しそうな匂いが漂ってきた。
「そっか。街に着いたんだよな……」
独りごちたユーリが、匂いに誘われるように、中央の通りからフラフラと脇道へとそれていく。
「折角なら、この街の飯でも食ってくか」
久々にまともな料理が食べられる環境に来たのだ。この世界でも数少ない娯楽である食を楽しむくらい、いいだろう、とユーリが大通りを突き進み、遠くから漂ってくる食べ物の香りに導かれてたどり着いたのが、屋台が並ぶ通りであった。
飯を食おうと思っていたのに、邪魔なチンピラのせいで警察組織に追いかけられる羽目になるとも知らず。
そうして屋台通りで始まった追いかけっこを何とか逃げ切ったユーリは、中央を走る大通りへと戻ってきていた。
「クソ。結局食いそこねた。しかもチェーンもなくすしよ……」
舌打ちをもらしたユーリであるが、本来の目的のためハンター協会へと足を向けることにした。流石にあの騒動の後で、屋台通りへ戻る気にはならなかったのだ。
飯を一旦諦めたユーリが、自身の持っていた麻紐をタグに通しつつ大通りを歩き出す。
ハンター協会は大通りを真っ直ぐ……という認識よりも歩いてくるハンターに逆行するように通りを歩く――通りに面している建物が巨大なビル群に変わり、街の雰囲気が活気と賑やかさに溢れた頃、ビカビカとした巨大なネオンの看板が見えてきた。
――【ハンター協会イスタンブール支部】――
「……くそダセー看板だな」
看板を見上げ、つぶやくユーリ。
雰囲気もないこの安っぽくてダサい看板が、ユーリにはどうしても気に食わない。
とは言え、ここに入らなければ何も始まらないわけで……
ユーリは覚悟を決め、一歩を踏み出した。