第16話 スーパーで友達と会うと何か気まずいよね
「どーしたもんかな……」
ユーリが途方に暮れたとて無い袖は振れない。
鉄の空を見上げても。
石畳を見下ろしても。
もちろん状況が好転する事は全く無い。
「外で寝るのはまだ良いんだが……風呂がな……」
ユーリは自分の体をスンスンと嗅いでみた。一応拘留所で体は清潔に拭いたし、服も替えたので臭いこそしないが、それでも気持ち悪いことには変わらない。
(さて、どうしたもんか……)
普通なら知り合いの家にでも一晩厄介になりたいところだが、このイスタンブールにユーリの知り合いはほぼいない。
(チンチクリンにオリハルコンねーちゃん。そしてジジイか……全員なしだな)
思い出せる範囲でたった三人。カノンやエレナは女性なので論外だ。最後に残ったのは支部長だが、あんな相手に借りなど作りたくないユーリからしたらカノン達以上に論外だったりする。
(そもそも住んでる場所どころか連絡先すら知らねーしな)
先程「それではまた明日!」と元気いっぱい帰っていったカノンに、連絡先くらい聞いておけば良かったと若干後悔している。カノンの部屋に世話になるわけには行かないが、少しくらいクレジットを融通してもらえれば……と考えた所で「いや、年下に借金はねーわな」とユーリは苦笑いのまま首を振った。
結局考えたところでどうしようもない、とユーリはその場を後にし、路地裏の暗い方へと歩を進めていく。
(外で寝るなら暗くて静かなとこだよな)
アンダーグラウンドで育ってきたユーリにとって、外で寝るならそういった路地裏だったりのほうが安心できたりするのだ。
目印を確認しながら、ドンドン路地を進んでいくユーリ。
とは言え、初めての街で路地を歩いてもすぐさま路地裏に着くわけもなく。
迷路のように張り巡らされていることもあって、曲がった先に思いの外明るい通りを見つけては、引き返して。ということを繰り返すこと数回――
不意に路地の向こうに一際明るい通りが見えた。どうやら食材を扱っている店や屋台が立ち並ぶ通りのようで、ユーリのいる暗い路地にまで美味しそうな匂いが漂ってきている。
まだ日が暮れて間もない。食材を片手に通りを行き交う人はどうも晩御飯の材料やプラス一品を買いに来ているようで中々の賑わいだ。
「そーいや腹も減ってたな……」
独りごちるユーリに答えるように、そのお腹が盛大に自身を主張し始めた。
イスタンブールに着いてからユーリが食べたのは、拘留所でだされた夜と朝の食事に、今日の昼は門に入れておいた干し肉だけだ。
しっかりした飲食店に入るには少々ふところが心もとないが、屋台で飲み食いする程度には問題ないくらいのクレジットは持っている。
そうと決めてしまえばフラフラと匂いに誘われるようにユーリの足は自然と明るい通りへと惹きつけられていく。
通りは想像以上に活気があり、今日最後のセールスチャンスだけにどこの店も熱気がこもっている。だがそれ以上にユーリが気になったのは、この通りが昨日の昼に訪れた通りだということだ。
(別の場所にするか?)
昨日の今日だ。チンピラの仲間や衛士がいる可能性が頭に過ったユーリだが、流石にこの人混みの中、ユーリを判別するのは難しいだろう、とユーリはこの通りで食事を摂ることに決めた。
色々と理由をつけたが、本音を言うと今から別の場所に行くのが面倒なだけだ。
とにかく飯を食うと決めたユーリは、通りを埋め尽くす人混みをかき分けて、自身を誘った匂いの元へと足を向けた――
匂いに誘われユーリが辿り着いたのは、何かの肉を串に刺して焼いている屋台であった。
その屋台から漂う匂いに混じって、別の方角から芳ばしい匂いまで――ユーリがそちらを見ると、クルクルと回転している巨大な肉があった。
「らっしゃい――」
肉を焼く店主がユーリに声をかけた。
「オッサン、これ何の肉だ?」
「こいつは豚だな。工場直送の新鮮な肉だぜ?」
店主が串を手際よくひっくり返していく。
「ならありゃ何だ?」
ユーリが指差す先には巨大なクルクルと回る肉――
「あれはケバブだな」
「ケバブ?」
「羊の肉をああやって焼いて、薄くスライスしたものをパンに挟んで食うんだ。この辺りの伝統的な料理だな」
店主の言う通り、クルクル回る肉を薄く削ぎ落としているのがユーリの位置からでも見える。そんな肉の塊を見ながら、「野生の羊が入荷した時しか見られないけどな」と苦笑いの店主が「世知辛い世の中だぜ」と続けた。
伝統料理ですらハンターへの依頼頼りという現実だが、ユーリからしたらそれが食い扶持なので何とも言えないというのが本音だ。
それ以上にユーリが気になるのは結局のところ――旨いかどうかという一点だろう。
「羊か……個人的には豚のほうが旨いと思うんだが――オッサン一つくれ」
「あいよ。一本100クレジットだ」
手渡された豚串を受け取りながら、ユーリはデバイスを屋台に付属している機械にかざす。
「俺も豚のほうが好きだけどな。なんでも昔、この辺りじゃ宗教的な理由で豚が食えなかったんだと」
苦笑いの店主が再び手元で串をひっくり返した。
「ほえー。そいつは難儀なこった――」
豚串を一口齧ったユーリが「あ、うまい」と思わず声をもらした。塩胡椒だけのシンプルな味付けが、溢れ出る肉汁の旨さをより際立てている。
「うめーだろ? ま、今の時代出てきもしない神様なんか信じてるやつの方が少ないからな。豚もようやく解禁よ。うまいもんは正義ってやつだな」
腕を組みウンウン頷く店主と、話半分で豚串に夢中なユーリ。
店主の言う通り、モンスターが出現してから宗教というものの在り方はガラリと変わった。
一部の熱心な信者を除き、ほとんどの人は宗教や神という存在に頼ることは無くなっている。
無理からぬ事だ。
モンスターは止めどなく溢れてくるのに、自分たちを助けてくれるはずの神や天使は一向に現れないのだから。
そんな時代が長く続けば、一部の狂信的な信者以外は神の存在など信じなくなり、今やそれぞれの宗教が持っていた教義や戒律を知っている人は殆どいない。
逆に一部のモンスターを崇める宗教まで出てくるのだから、人という種の臨機応変さには同じ人種でありながらも舌を巻くほどである。
「神だの宗教だのは分かんねーけど、とりあえず旨いもんに罪はねーよ。ってことであと五本くれ」
咥えた串を上下に笑うユーリの前で、「あいよ。500クレジットな」と店主も嬉しそうに笑った。
追加の豚串も一気に平らげ、店主に礼を言ったユーリは、新たな食べ物を探しに通りを歩く――
「さっきのケバブってーのも気になるな……」
芳ばしい匂いを思い出し、はたと足を止めたユーリ――
「あれ? ユーリさん?」
そんなユーリの後ろから不意にかけられた、少し前に聞いたばかりの声。
振り返るか振り返らまいか。一瞬迷ったものの、無視するわけにはいかずユーリは振り返った。
ユーリの視線の先には銀髪を街灯の黄金に染めたリリアの姿があった。
「……さっきの店のねーちゃんか」
ユーリは分かっていた。声をかけられた時点で誰なのか。ただそれを認めたくない自分がいるのも確かだ。
「リリアって言います。ユーリさん……で合ってましたよね?」
「ああ」
短くぶっきらぼうにする返事に何の意図もない。ただ単純にユーリは何を話して良いのか、分からないだけだなのだ。
どうして良いか分からないユーリの目の前で、「あ、そうだ」と思い出したようなリリアが、ポケットから安っぽいチェーンを取り出した。
「これ……。昨日落としましたよ」
不意に差し出された見覚えのあるチェーンに、「あ、悪い」とユーリも思わず受け取ってしまった。実際覚えがあるので仕方がないが、それが意味する行為にユーリが気がついたのは、目の前で笑うリリアが「やっぱり」と呟いた時であった。
「昨日、助けてくれたのもユーリさんだったんですね」
微笑むリリアを前に、ユーリが「しまった」と思うが時すでに遅し。ユーリの目の前でリリアが深々と頭を下げた。
「あの時は、ありがとうございました」
「別に……。アンタを助けたんじゃねぇ」
昨日と同じことを呟くユーリに、リリアが首を振る。
「それでも助けられたのは事実ですから」
「あんな暴力沙汰が、か?」
起こした本人がそんな事を言うものだから、リリアも笑ってしまう。
「それでも、です。確かにやりすぎだったかもしれませんけど……。私が助かった事実は変わりませんから」
あまりにもリリアの笑顔が真っ直ぐで、疑うことを知らぬ程眩しいものだから、ユーリは思わず「あのな――」と口を開いたのだが、慌ててそれを閉じた。
(おいおい。俺は何を言おうとしてんだよ……。こんな姉ちゃんがどうなろうと――)
ユーリは思わず説教をしそうになった自分を止めたのだが、「あのな」などと口から飛び出した言葉に、リリアが今も続きを待つように首を傾げている。
言うか言うまいか、逡巡したユーリだが、諦めて思っていた事を口に出した。
「あのな……。感謝するのは、善人だけにしとけ。俺みたいな悪人に感謝なんてしようもんなら、見返りに何を要求されるか分かんねぇだろ」
溜息混じりに絞り出したユーリの言葉に、リリアがキョトンとした顔を見せる。
「なにか、要求するんですか?」
「いや、しねぇけど……」
「じゃあ、いいんじゃないですか?」
首を傾げるリリアから、ユーリは分が悪いと視線をそらした。
「そういえば、ユーリさんは何してるんですか? あ、私は買い出しです。ユーリさん達が沢山お肉とか取ってきてくれたので」
はにかむリリアの姿に、ユーリは一瞬たじろぎそうになってしまう。
……やはり苦手なのだ。自分とは違い、悪意など微塵も持っていないようなリリアが。善人すぎるのだ。近づくとその眩しさで自分が消されてしまいそうなほど。
そして理解不能なのだ。そんな自分とは真反対の善人のくせに、あんな大暴れを見せた犯罪者予備軍の自分に絡んでくるのが。先程までは一応礼という建前があったから、と理解できたのにこの期に及んでまだユーリに絡んでくることが理解不能なのである。
ずっと分からなかった苦手意識だが、今のところそう結論づけている。当たっているかどうかは分からない。だが分からないままというよりは健全だと、ユーリの中で出された暫定的な答えがこれだ。
ユーリが苦手意識に自分の中で答えをつけた時、「ユーリさん?」と不思議そうなリリアの声がユーリを現実へ引き戻した。
「ああ。俺は……晩飯を……食いにな」
ユーリらしからぬ覇気のない声に、ユーリ自身も戸惑っていたりする。
「あ、そうだったんですね。確かに屋台美味しいですもんね」
反対にリリアはなぜか嬉しそうだ。
「そうだ! もしよろしければお店に食べに来ませんか? お礼も兼ねてサービスしますよ」
リリアが見せるウインクの破壊力。ユーリのライフはもうゼロに近い。
「……いや、遠慮しとく」
「そうですか……」
わかりやすくシュンとなるリリアに、なぜか焦ったユーリは、思わず口をついて言葉が出る。
「いや、別にアンタの料理がどうとかじゃなくて……その……なんだ」
言ってしまった瞬間、「言う必要なかった」とユーリ自身でも思ったフォローは、その語尾をすぼめていく事になった。
「なんでしょう?」
「……その……ふところが……な」
ユーリ自身何故か恥ずかしくて、今すぐこの場を去りたい気持ちでいっぱいだ。昨日の昼、夜と大立ち回りを見られ怖がられるならまだしも、絡まれるている現状がやはりユーリには理解不能なのだ。
そんな理解不能な相手に、今自分が一番困っている弱みを見せているのが恥ずかしいやら、逃げ出したいやらでユーリ自身困惑している。
(敵意を向けられる方が楽なんだが)
ユーリの目の前で「ふところ……ですか?」とキョトンとしているリリアに敵意など微塵も感じられない。
「……そういう事だから、今度またごちそうになるよ」
とりあえずサッサと話を切り上げようとするユーリに、
「大丈夫ですよ。うちの店は安くて美味しいがモットーです! それにお礼も兼ねてるって言いましたよね? お腹いっぱい食べましょう」
笑顔のリリアがユーリとの距離を一歩詰めた。
ユーリは逃げられなかった。
お前の料理に興味はない。これは自分で否定してしまったので却下。
お金がない。リリアに言わせれば問題ない。
お腹がいっぱい。その前に飯を食いに来たといってるし、何より金がないと言ってしまってるので会話の流れから不自然。
ユーリがこの場を切り抜けるために考えつく言い訳は、どれもこれも使えそうにない。
逃げられぬのなら、とユーリは肚を括ってリリアを見た。
「……一番安いので頼む」
安ければ量も少ないだろう。
それを速攻で食べて早めに店を出よう。
そういったよく分からない理論で出された、ユーリの恥ずかしい返事にリリアは「はい!」と嬉しそうに頷いた。
「じゃあ行きましょうか」
楽しそうに歩くリリアの後を、ユーリはトボトボとついて行くことになった。
 




