第15話 大事なことに限って忘れがち
リリアの店から逃げるように外へ出たユーリを迎えたのは、煌々と周囲を照らす街灯の数々だった。
慌ててデバイスを見れば、時刻は未だ夕暮れには早い時間だ。とはいえ、それは太陽を隠すプレートが無ければ……の話で、プレートに覆われたイスタンブールの下層には早い夜の帳が降り始めていた。
遠く西側の壁を見れば、確かに陽の輝きこそ見えるものの、下層全体に点在する魔導灯がなければ殆ど真っ暗だろう光量だ。
「不動産屋は……開いてるよな?」
夜を迎えてしまった通りと街に、ユーリの不安が思わず口からこぼれた。
「大丈夫だと思いますよ! まだ閉店まで2時間はありますから」
同じ様に自分のデバイスを見ていたカノンが、その顔を上げてユーリに笑いかけた。
「2時間か……まあ選り好みしなきゃ大丈夫だろ」
ホッと安堵の息を漏らしたユーリが大通りへと向けて歩きだす。その後に「途中まではお供しましょう!」と帰り道が一緒のカノンが続いた。
ユーリに並んで、それを追い越し、また並んで、また先へ進んで――上機嫌のカノンが歩く度、魔導灯の明かりがカノンの影を弾ませる。
石畳の色が変わったところだけを踏んで歩くカノンが、不意に振り返った。
「今日は楽しかったですね! 私達なかなか良いコンビかもしれません!」
嬉しそうに笑うカノンに、ユーリは小さく溜息をついた。漸くカノンが上機嫌だった本当の理由が分かったのだ。
「おいカノン――」
「はい! なんでしょう?」
真っ黒な肩マントを翻し、カノンが元気よく振り返った。
「お前今までチーム組んだことあんのか?」
少し声を落したユーリの目の前で、分かりやすいようにカノンが固まる。
「ええと……それは――」
先程までの元気の良さは何処へやら。モジモジとするカノンは、言いにくそうに口ごもっている。
今も、「え……と……」と言いにくそうにするカノンの様子に、ユーリは頭を掻きながら大きく溜息をつき「ま、あれじゃー長続きしねぇわな」先程の戦闘を思い出してポツリと呟いた。
数時間前に荒野でカノンがオークを屠った一撃。
あの一撃は、カノンにして「暴れすぎ」と言わしめたユーリから見ても、中々にぶっ飛んだ攻撃だった。
ようはデカいのだ。音も攻撃範囲も。何もかもがデカいのだ。
ハンターは、なるべく静かに、速やかにモンスターを倒すのが理想とされている。
イスタンブールより西側のように、ある程度視野が確保された場所で、かつ周囲に敵影がなければ少々燥いだ所で問題ないだろうが、東の荒野ではそうはいかない。
点在する手つかずの廃墟。
手入れの行き届いていない茂みや森。
モンスターの作った集落。
どこに敵が潜んでいるかわからない状況で、あの爆音は味方からしたら脅威だ。
モンスターに向けて「ここに居ますよ。ぜひ襲って下さい」と言うアピール以外の何物でもない。
さらに攻撃の範囲も問題だ。
肩口を切り落とした一撃が地面にあたり、爆発を起こした。
ユーリは、あれが爆発系の魔法なのだろうと考えている。
戦斧の斬撃に爆発を加えた攻撃。
今はオークの半分を吹き飛ばす程度の一撃だが、あれが全力かどうかはわからない。
そもそもレベルが上がれば、その威力も上がる。
もちろん力の制御は出来るだろうが、乱戦になればなるほど力みや制御ミスはあるのが普通だ。
暴発するかもしれない攻撃を、ポンポン隣で使われてはフレンドリーファイア必至だろう。
サイレンサー付きのライフルを使う隣で、手榴弾をバラバラ撒き散らすやつがいたら「ちょっとお前とは……」となるのは必然というものだ。
「やはり駄目……でしょうか?」
いつの間にか隣に並びトボトボと歩くカノンの姿は、先程までのスキップ姿とは真逆で、分かりやすいくらいに落ち込んでいる。
恐らくカノンは、今まで何度もこうしたやり取りをしてきたのだろう。寂しそうなカノンには悪いが、ユーリは別に他のハンターが悪いとは言わない。実際自分たちに危険が及ぶ可能性があるなら、それを遠ざけるのが普通だからだ。
それに自分たちだけでなく、カノンの為でもある。
カノンに同情し無理して荒野に出たとしよう。そこでカノンの爆音に惹かれてモンスターが集まれば、最悪パーティは全滅だ。そしてその中には、勿論カノンの姿もあるだろう。
自分の身と、カノンの身を考えれば、爆弾娘など荒野に出さない方が正解なのだ。
そうして誰もチームを組んでくれない爆弾娘は、オペレーターという怪しいテロ組織の一員に迎えられたのだろう。
カノンが入りたいと言ったのか。
それとも支部長が誘ったのか。
それは分からないが、オペレーターというポジションにいた事。そして今日一日楽しそうにしていた事。それらの事実が朧気に見えたような気がして、ユーリは大きく溜息をついた。
その溜息が、呆れの溜息にでも聞こえたのか、カノンが分かりやすく肩を震わせる――。
「別にいいだろ――」
ユーリの言葉に「え?」とカノンがポカンとした表情をこぼした。呆れられると思いきや、「良いんじゃないか」と言われたのだ。恐らく初めて貰っただろう言葉に、カノンはどうやら理解が追いついていないらしい。
そんなカノンの頭に手を置いたユーリがもう一度大きく溜息をついた。
「別に煩くても良いって言ってんだよ――」
ユーリは崩れたカノンのベレー帽を一旦持ち上げ、それをもう一度彼女の頭に返した。
「――オペレーターのお前が敵を誘き寄せて悪いことなんて一個もねーだろ」
ニヤリと笑うユーリの前で「ユーリさん」と呟いたカノンの顔を、淡い光の街灯が柔らかく照らしている。
「――私、今オペレーターじゃないですよ?」
「わかってんよ! バカなのお前? ホント。今の発言はアレだろ? そーいうあの雰囲気のやつだろ?」
ユーリが片手で顔を覆う。正直ちょっとでも元気づけようとか思ったことが恥ずかしいのだ。
「嘘ですよ。元気づけようとしてくれてるんですね。ありがとうございます、ユーリさん」
ニヘラと顔を崩したカノンは本気で嬉しそうだ。
ユーリはそんなカノンの表情に一瞬だけ言葉が詰まり「そ、そんなんじゃねーよ」と口を尖らせそっぽを向いた。
「俺が集める手間が省けていい。ってだけだ」
「あれ? 照れてます?」
「照れてねー」
カノンと視線を合わせようとしないユーリと、その周りをクルクルと回るカノン。
街灯に照らされ、楽しそうに踊る影を引き連れた二人が通りを歩く――。
☆☆☆
「……重大なことを忘れていた」
大通りで家に帰るというカノンと別れて、仮の住まいを探しに来たユーリだが、いざその段になって重要なことを思い出したのだ。
「……クレジットが殆ど無え」
そう。お金がないのだ。
プレートに届きそうな程に伸びる高層ビル、そのエントランス前の階段に座り込みユーリは暗い鉄の空を仰いだ。
思えばライセンスの件からずっと最悪だった。
貯蓄の殆どを毟り取られ。
飯を食おうとしたら、デブに道を阻まれ。
よく分からない機械で荒野に飛ばされ。
訳の分からない因縁をつけられ。
さらにテロリストへの勧誘まで受ける始末。
本来であればライセンスを入手。
その足で支部での活動登録。
依頼をその日に達成。
そのクレジットを担保にとりあえず最短期間での借家の確保。
と、ユーリはちゃんと絵を描いていたはずなのに、気がつけば何一つ達成できていないという状況なのだ。
一応今日依頼は達成したものの、報告は明日に回してしまったし、何より依頼料の少なさから最短期間である一ヶ月の賃貸すら怪しいという状況だ。
「まさか街中で野宿する羽目になるとは……」
何度確認しても、ユーリのデバイスに表示されるクレジットは五桁しかない。チンピラから慰謝料をふんだくってこれである。全財産合わせてこれでは、一ヶ月の賃貸だとしても確実に一桁は足りない。
ちなみにこの時代にホテルや宿のような施設はない。
そもそも旅行者などいないので職業として成り立たないのだ。
都市を移動するハンターも、必ず部屋を借りる。
一般人であれば旧時代と同じように月ごとにクレジットが引き落とされる仕組みが普通だが、ハンターの場合はそうはいかない。
いつ死ぬか分からない職業なだけに、料金は前払いが絶対。期間は最短の一ヶ月から最長の一年まで。
期間終了前に更新する場合はまた前払い。というシステムになっている。
その代わりハンターであれば大体どんな物件でも一発で借りられるのはメリットだろう。
ビルの部屋に空きがあり、お金さえ払えば即日入居できるという利点はある。
そういったこともあり、ユーリは意気揚々と借家を紹介しているビルに来たのだが――
その一階のガラス窓に、ベタベタ貼られている物件情報の紙を見た瞬間「あ、クレジットが――」となったのである。
「どうしたもんかな……」
もう一度溜息をついて見上げたユーリの目の端に、壁の向こうで完全に沈む太陽が映っていた。
……長い夜が来る。




