第14話 見られたくない事ほど見られてるもの
傾き始めた陽はプレート上部のグレーチングからはもう見えない。代わりに街を囲む壁に設けられた明かり取り部分から差す西日が、幾つかのビルの影を長く大きく伸ばしている。
まだ夕陽と呼ぶには些か明るい光がビルに反射して僅かに通りを照らす中、 ポツポツと早めに灯る魔導灯の明かりが、長い夜の到来が近いことを教えてくれる。
来るべき長い夜に向けて
明るいうちにと足早にすぎる人々。
通用門から戻ってくる幾人ものハンター。
灯りだした魔導灯が合図だったかのように、俄に騒がしくなってきた通り。それに呼応するように、閉まっていたシャッターがいくつか開き、軒先の明かりも灯りだした――これからこの一画はより賑やかになるのだろうが、今はまだ少し浮ついた程度の雰囲気だ。
少し浮ついた通り、開き始める店々とまだ主張の少ない明かりの数々。そんな夜とも昼とも違う街並みをユーリはカノンと二人で歩いている。
笑うカノンがユーリを覗き込んで、「ニシシ」と笑う。
「大漁でしたね」
嬉しそうなカノンがユーリの隣から前へ――傾いた陽が地面に描く軌跡が、ピョンピョコ跳ねる。まるでスキップでもしているかのようなそれは、嬉しそうなカノンの声を代弁しているかのようだ。
「底抜けにお人好しだな」
ユーリの呟きは、カノンの背中には届かない。いや、敢えて届かないように小さく呟いた……とも言えるか。
あのオーク討伐の後、豚の他にじゃがいも、玉ねぎ、そして小ぶりながらも豚をもう一頭仕留めた二人。
カノンの言葉通り大漁であり、ユーリの言う通り「お人好し過ぎる」結果だ。
量も種類も指定されていないのだから、と何度も帰ろうとするユーリを「あっちに野菜がいっぱい生えてる所があるんです」とカノンが野菜の自生区画へと引っ張るものだから、気がつけばかなりの量の食材がユーリの門に入っている。
モンスターにくっついて運ばれたか、それとも風が運んだか……とにかく自生区画の名に恥じぬ量の野菜は、いくつも収穫を見送ったというのに、豚2頭と共にユーリの門と魔力を圧迫している。
門は本来そこまで広い空間ではないが、使用者の魔力を担保に空間の拡張も出来るのだ。ただ、その分魔力を圧迫するのであまり使いたがるハンターはいない。
だがユーリはカノンと違い魔法を使わないので、「まあ良いだろう」とユーリの門へ全ての食材を突っ込む形に収まった。
そんな大量の食材と共に、二人は依頼先の飲食店に向かっている途中である。
二人が歩いているのは、ユーリが昨夜衛士隊に連行される形で通った東側の大通りだ。ユーリをして結構目立っていたと思う昨夜の行進だが、市民の方は存外気にしていなかったようで、ユーリを見ても驚くような人間は皆無だ。
(街に来て速攻お尋ね者のレッテルは免れた……かな?)
ユーリとしてはモグリから足を洗った以上、悪いことで目立つのは良しとしない。出来るだけ穏やかに、かつ素早くランクを上げることが現状の目的なのだ。
あれだけ「――おたくらに縛られたくない」などと言っていたユーリだが、その辺りは謎のテロ組織連中しか知らないので、どうとでも言い訳が出来る。
こっそりと安堵の息を漏らしたユーリだが、前をピョンピョコと歩くカノンがそれに気がつくことはない。
「ユーリさん、早く行かないと日が暮れちゃいますよ!」
振り返ったカノンの先で、魔導灯が同意を示すように一つ灯った。
「へーへー。分かったよ。ちゃちゃっと済ませよーか」
何はともあれ、正規ハンターとしての初仕事は無事に終わりそうだ、とユーリも足を早めてカノンの後を追いかけた――。
大通りから脇道に入り、そこから更に路地を曲がった先――そこはこの時代には珍しい、景色が待っていた。石造りの旧い街並みをそのまま利用した通りは、他の通りと比べると些か浮いた雰囲気すらあるから不思議だ。
そんな街並みにユーリの顔色はあまり優れない。というのもそこは、昨日ユーリが衛士隊と揉めたまさにその場所だからだ。
「なんつー偶然」
苦笑いのユーリが反対側の路地を振り返れば、なるほど通りを挟んで向こう側はピンクのネオンが灯りだした歓楽街だ。
昨夜衛士達に連れられた道と違ったので油断していたが、大通りから全く違うルートで辿り着いたのだ。迷路のような路地、ここに極まれり。といった所だろうか。
(ほとぼりが冷めてから来たかったんだが……)
ユーリが幾らそう思った所で仕方がない。なんせ依頼はユーリの門の中身を渡すまでがセットなのだ。カノンだけに任せるわけにもいかない。
「ユーリさん、早く行きますよ!」
引っ張るカノンに促され、ユーリは依頼をしてくれたという飲食店の扉を押し開ける。
手触りの良い木製の手動扉。
店内に響き渡る鐘の音。
「えらいレトロだな」
鐘の音同様店内に響いたユーリの苦笑いをかき消したのは、奥からパタパタと聞こえてきた足音と、一瞬で灯った店内の明かり。そして――
「すみません。まだ準備中なんです」
少し疲れたような女性の声。
奥から出てきた声の主は、初雪のような白銀の髪をなびかせる若い女性だった。
サファイアのような瞳。白く透き通った肌。
絵画から抜け出てきたような美人が、少し汚れたエプロンを身に着けているというギャップ。
その姿にユーリは反射的にフードを目深に被った。
(偶然にしちゃ出来すぎだろ!)
何となく彼女から隠れなくては、という衝動に駆られたのだ。それは間違いなく、昨日の昼間に屋台通りでユーリが――結果的に――助けた女性であり、あの時襲ってきた感覚であった。
急にコソコソ仕出したユーリとは対照的に、カノンは女性に笑顔を向けている。
「こんにちは! ハンター協会から来ました! 依頼の食品をお届けに!」
元気いっぱい敬礼をするカノンの背後に、ユーリがコソコソと移動する。カノンとユーリでは身長差がありすぎて隠れられないのだが、それでも何か盾が欲しいユーリなのだ。
そんなユーリのことなど気にしていないのか、女性はユーリ達を見比べて笑みを見せた。
「そうだったんですね。ありがとうございます」
微笑んで丁寧に頭を下げる女性の姿に、ユーリはフードを更に深く被り視線を逸らした。
ユーリが逸らした視線の先に飛び込んできたのは、明るくなったことで顕になった店内だ。
左奥にあるカウンターと、その前に並ぶいくつかのテーブル。然程広くない店内だが、その中にあってユーリの目を一番引いたのは、テーブルを挟んでカウンターと反対側にあるものだ。
(……劇場? いや舞台……か?)
広くない店内を圧迫している小さな舞台。お世辞にも立派とは言えない大きさだが、店内の調度品と違い比較的新しい事から後付なのは間違いないだろう。
そんな舞台を眺めるユーリの耳に
「依頼料も少なかったですし、まさか来ていただけるなんて――」
再び響いてきた声で、ユーリは思わず意識を女性へと戻した。
不意に視線に飛び込んできた女性は、髪を耳にかけ笑っている。その絵画の女神のごとき雰囲気が、店内を照らす電球色の柔らかな橙とマッチしているから不思議だ。
「いえいえ! 困ったことがあればいつでもハンター協会にお任せください!」
相変わらず敬礼姿のカノンに、「そうですねお言葉に甘えさせていただきます」と女性が手を口に当てて静かに笑った。
そんな女性が店の裏手に案内するというので、ユーリとカノンは二人してその後に続く。
既に女性とカノンはだいぶ打ち解けており、「カノンちゃん」「リリアさん」と呼び合い談笑している。
ちなみにユーリはなるべく気配を消している。なぜなら昨日の騒動を見られている恐れがあるからだ。それも昼と晩の二回も。
そしてそれ以上に、どうもこのリリアという女性に苦手意識があるのだ。上手く言い表せない。ただこの女性に関わらない方がいいとユーリの本能が告げている。
そんな本能に、ユーリが「意味が分からん」と眉を寄せている間に、一瞬で裏手についてしまった。そもそも店自体が小さいのだから仕方がないが、ユーリとしては色々と認識の整理の時間くらい欲しかったと、小さく溜息をついた。
(考えても分からん事は考えない――)
「それではユーリさん、食材をお渡しください!」
勢いよく振り返ったカノンに、思考の海から引っ張り出されたユーリが「あ、ああ」と微妙な返事を返し、自身の門に手を突っ込んだ。
出てくるのは大小の豚にジャガイモを始めとした野菜たち。
「こ、こんなに沢山……ありがとうございます」
驚く女性がユーリを見つめ、その顔を綻ばせた。眩しすぎる笑顔を直視出来ぬユーリが、「仕事だからな……」とぶっきらぼうに呟きそっぽを向く。
「ユーリさん。なんで照れてるんでしょうか?」
いつの間にか隣に来たカノンが、妙な笑顔でユーリを見ている。ニヤニヤとユーリを覗き込むカノンの顔はまるで「弱点を見つけました」と言わんばかりである。
そんなカノンをユーリは押しのけ、小さく溜息をついた。
「照れてねーよ」
「いや照れてますよ」
また覗き込んでくるカノンに反論しても、水掛け論にしかならないと思ったユーリは、カノンから視線を逸す――その視線の先にはリリアと呼ばれていた女性の姿があった。
笑顔の彼女とユーリの視線が交わった。
初めてしっかりとユーリの顔を見たリリアは、驚いたように目を丸くし、「あれ? あなた昨日の――」と小さく呟いた。
「昨日?」
カノンが首を傾げた瞬間、ユーリは「カノン、さっさと帰るぞ」とリリアに背を向け、店内へ向けて歩き出した。何かを言われる前に退散を決めたユーリだが、カノンが「え? もうですか?」と食い下がってくる。
「俺はイスタンブールでの寝床も探さねーとなんだよ」
チラリとカノンを振り返り、それっぽいことを口にするユーリだが、実際のところ重要な問題でもある。
ユーリはイスタンブールに来てから、荒野、拘留所、荒野と未だ息つく暇もないのだ。そのためこの街で寝泊まりする場所すら確保できていない。
もう外は日も暮れている事だろう。であれば早めに雨風を凌げる場所の確保に走らねば、今日のユーリは街中にあって野宿ということになりかねない。
そんなユーリの状況を思い出したカノンが、「あ、そうでしたね!」と言いながら自身の額を叩いた。
「それではリリアさん。また何かあればハンター協会まで!」
リリアに敬礼を見せたカノンは、既に店内へと向かったユーリを追いかけその場を後にした。
「ユーリさんか……。昨日の様子じゃ怖そうな人だったけど……」
呟いたリリアが「あ」と気が付き自身のポケットを弄った。出てきたのはキラリと輝くチェーンだ。
「返しそびれちゃった……」
リリアの呟いた言葉は、またもユーリの背中には届いていなかった。




